本記事はDL数が250万を突破している化粧品ECプラットフォーム「NOIN」を運営するスタートアップのノインで総務人事部長を務める土屋輝章氏による寄稿です。日本のスタートアップではストック・オプション活用の歴史が比較的浅く、仕組みの理解や、個社で実際に設計を経験した人のナレッジなど情報共有が十分ではありません。そこでノインで2021年1月から信託型SOの設計を開始し、実際に2021年5月からインセンティブ制度導入に至った同社の取り組みについてまとめた土屋氏のnote投稿を、同氏の許可を得てCoral Insightsに同時掲載いたします。
※本記事は「信託型SO」をどう作るかということを業界で広く共有する意図で書かれた文書であり、ノイン社の採用を意図したものでも、会社の公式文書でもありません。
ノイン株式会社では、2021年1月よりストックオプション(以下、SO)の設計を開始しました。2021年5月に信託型SOを使ったインセンティブ制度を導入し、2021年10月には上半期の評価(初めてのポイント付与)を終えております。
社外に公表できるようなフェアな制度を作れたので、今後SOの設計をする経営者や実務家の方の参考になればと考え、会社の同意を得たうえで当社の制度を作っていったプロセスを公開することにしました。
インセンティブ制度に込めた想い
世の中には起業したからといってIPOしなくていいとか、SOを目当てにスタートアップに行くのは違うとおっしゃる方々がいらっしゃいます。確かに我々の事業の目的はお金じゃないですし、世の中に最高のサービスを提供して貢献するのが会社の存続意義です。当社には「本当にほしい化粧品が『見つかって』、それが『当たり前に買える』世界をつくる」というミッションがあり、それを実現するために「最先端のテクノロジーとマーケティングでブランドと消費者の課題を解決し、BeautyTechとして業界のリーディングカンパニーとなる」という目標を達成したいと思っております。
一方で、その目標の達成の道のりは非常に険しいです。現時点から見れば簡単な道のりではなく、その過程にはスタートアップならではの苦労もあると思います。そのリターンとして多くの社員にチャンスがあり、夢のある制度を設計したいと思ってこの制度を作りました。
会社としてのIPOの目的は決してSOでリターンを得ることではありませんが、結果としてそのような節目を迎えられたらとても嬉しいですし、全社員で共通の目標が持てることは良いことなのではないか、と思っております。
どのようなメンバーで設計していったのか
今回のSO制度は、ノインCEOの渡部、COOの千葉、経理部責任者で会計士の越田、そしてこの記事を書いている私(土屋)の4名が中心になって作っていきました。渡部からはどういう人を当社として評価していきたいかのビジョン、千葉は前職GunosyでのSOの行使及び運用経験、そして越田は会計や税務の観点より設計に携わっています。私個人としても経理経験14年と人事経験5年の集大成として、この制度の設計に関わっています。
どんなタイプのSOを選択したのか
今回導入したのは信託型SOというものになります。2年以上前から検討していました。近年、上場した企業で信託型SOを活用した事例も増えつつあり、一般的なSOよりもメリットが大きいと考えて、こちらを選択しました。今回の記事ではSOの仕組みの解説には主眼を置いていないため、この辺の詳細は割愛いたします。
どんな流れになるのかを理解
それでは当社がインセンティブ制度を作るまでに検討したことを順番に説明していきます。まずどんな流れでインセンティブが社員に与えられるのか、スキームそのものを理解しておくことは重要です。社員が売却益を手に入れるまでのフローを図解すると、以下のようになります(制度を伝えるのが目的なので、ここから先は正確性を多少犠牲にしてご説明します)。
Step4~5:SOの行使と株式の売却に関して
スキームは、実際の売却までの流れを逆から説明したほうがわかりやすいですし、実務的にも逆から検討していくことになるので、まずは上図のStep4~5からご説明していきます。
当社のSOの場合、IPO後にSOを行使すると約500円で普通株式が1株購入できます(この株価は雑に概算する方法もありますが、設計する段階では専門のコンサルで算定していただきます)。そして、その普通株式は当社の時価総額が300億円だった場合、1株当り約4,000円程度で市場売却できる予定です。つまり差額の3,500円が売却益になります。
仮にSOを1,000株交付されていて、300億円上場の場合、「(4,000-500)円×1,000株=3,500,000円」となります。
まず、このように実際に想定する売却益がどの程度になるかをイメージして、社員に対してどれくらいのメリットを準備できるかを大まかに把握しておくことが重要です。
なお、良くある論点として「SOは資金調達を繰り返して(上場前に)株価が高くなる前、早めに設計したほうが良いのでは」というような議論があると思います。個人的にここに関しては「500億円以上のIPOを考えているのであれば、SOの行使価格は100円でも300円でも1,000円でも、たいしてリターンは変わらないので焦らなくて良い」と考えています。6,700円との差額で考えると微々たる差ですよね。当社では貴重な資金はまず全力で事業の成長に使うべきと考え、シリーズCの後までSO発行を見送ってきました。
もちろん、安い行使価格でのSOの発行を目的とするのではなく、重要な社員の採用やリテンションのために発行するなど、違う意図をもって発行するケースはあると思います。シードやシリーズAの段階でのSO発行を否定するつもりは全くないのでご容赦ください。
また行使価格については、実際のIPO後に権利行使する際に「行使価格が高いと相当のキャッシュが必要になる」という論点もあります。SOの権利行使の際には一旦行使価格で社員が買い取る形になるため、現金を用意する負担がかかります。こうした事情から、行使価格が低く押さえられるように、SOの発行は早いほうが良いというロジックもあると思いますのでご注意ください。特にCXOクラスで10,000株などを付与するようなケースにおいては、行使価格が500円だとしても行使時に現金で500万円ほど必要になるので、段階的な行使、もしくは借り入れなどが必要になるケースも出てきます。
ここまででStep4~5はご理解いただけたでしょうか?次に検討したのはSOをどれぐらい発行するかという論点です。
SOをどれぐらい発行するか
何個分のSOをプールするのかによっても社員に与えられるインセンティブの総量は変動することになります。ここは投資家との投資契約などによっても制限が加えられていたりする場合があるので、その会社次第ではあります。またもう1つ別の論点として一般的にはIPO時点での潜在株式(主にSOなど)は総発行株式数の10%以下に抑えたほうが良いという意見もありますので、無限に発行することはできません。資本政策と今後の資金調達の計画やIPO後の株主の株式保有率などのバランスを検討しながら、当社は信託型SOの評価制度に割り当てるSOの数を360,000個としました。
この総量を決めたら、次は、誰に何個付与するかです。つまり、どういうロジックでSOやポイントを付与するのか、具体的な信託の設計を検討していくことになります。
Step3:ポイントとSOの配賦方法について
信託型SOの場合、このポイント付与ロジックはかなり自由に設計ができるのですが、当社は議論を重ねた結果、「半期の評価ごとに毎半期10,000ptを評価結果に従い、社員に分配していく」というシステムにしました。
設計のこだわりポイント①毎期10,000ptの配賦
今在籍している方と上場1年前に入社した方は、同グレードの方であってもIPOへの貢献度や入社時にとったリスクは違うというと考えています。IPO直前ですでに有名なサービスになったタイミングで入ってくる方と、有名なサービスになるまでのプロセスで貢献した方へのリターンはフェアなルールの中で差をつけたい。この方法を考えぬいた結果、毎期10,000pt配賦するという方法を思いつきました。早く入社した人ほど1人当たりのポイント付与数が多くなる可能性がある設計にできますし、毎期同じポイント数をその期に在籍したメンバーに配るという制度は、一定の統制が取れたフェアな方法であると考えています。
例えば、仮にIPOまで6年かかったとしたら全部で120,000pt配賦(10,000pt×年2回×6年) することになります。この場合、当社がプールした360,000個をIPOまでの累積ポイントに従い配賦したとすると、1pt=3株になります。
そうすると例えば、以下のような計算式が成り立つことになります。
仮にIPOが4年(80,000pt)でできれば1pt=4.5株ということになるので、1pt=3株と比べると1.5倍になりますし、9年(180,000pt)であれば1pt=2株なので3分の2になります。こう考えると1ptが何株相当か分かりにくいように感じられるかもしれませんが、これには理由があります。
設計のこだわりポイント②IPOのタイミングにかかわらずフェアに運用ができるようにした
評価制度やグレードの定義を公開して、オープンにしている会社は増えてきてますが、SOはブラックボックスになっている会社が多い印象を受けます。個人的にそれには要因があると思っています。
SOの計画策定で一番難しいのは、IPOまでの年数の計算です。予定よりIPOが遅れた場合、もう配るSOのプールがない!ということが起こりがちです。一方であまり配らないとSOの行使価格がどんどん上がっていってしまい、魅力のあるSOの設計ができなくなります。
特に従来のSOだと入社時に相当数を付与するケースも多く、そして、付与してしまったSOはあとから修正ができないので、一部の人に付与しすぎてもう調整不可能なほどアンフェアな状態になるということがあります。
創業初期やシリーズAぐらいの段階で、まだサービスの将来像や上場までの時間軸、必要な組織・人員数の解像度が高くないタイミングで多くのSOを発行してしまうと、結構リスクが高い気がします。しかも、そういうタイミングだと会計や人事制度設計の専門家もいなかったりして、シリーズBとかCで入ってきたCFOやCHROから「も、もう直せないじゃん…なんでこんな設計に…」とか、IPO直前に各部署から「なんであいつがあんなにSOを持ってるんだ」「この人にもっとSOを発行したかった。こんなに活躍してくれたのに」といったことが起こるのがスタートアップのSOあるあるかな、と思います。賞与や給与ですら起きるトラブルなので、これだけの金額がかかったSOであれば、アンフェアな状態がどれだけ根深い問題になるかということはイメージいただけるのではないかと思います。
当社の導入したポイント分配の仕組みであれば、IPOのタイミングを変更したことで特定の社員に損得が発生するといったことを全く気にすることなく、半期毎の評価を適切に運用をしていくことができると期待しています。
設計のこだわりポイント③半期ごとの評価が蓄積されるようにした
人は忘れるもの。1年前のプラスの実績のことより直近のトラブルが気になります。勤めていれば自分の上長も変わるし、そのことにより評価も大きく変わるかもしれないですよね。本来それは適切に評価会議の段階で調整されるべきことですが、会社が大きくなれば評価者の数も増えるしそのコントロールをし続けることは人事部としては限界があります。
SOを1年に1回発行するとしても、個人的には全部署で1年前の実績が適切に反映されるかは少し怪しいと思っています。また一般的にSOは上場前に調整が入ることが多いと思いますが(余ったSOを一気に分配するなど)、その場合、どうしても直近の評価に大きく影響を受けると思います。
この問題を仕組みで解決したかった。半年ごとに評価結果が本人に通知され、ポイントが蓄積されるシステムであれば、透明性と納得感が高いSOの運用ができるのではと考えました。
「SOもらえるって聞いてたけどもらえなかった」「給与と違ってSOはCEOの一存で決まるからブラックボックス」「CEOのお気に入りがいっぱいもらってるらしい」などなど、SOに負の体験や不満がある方も少なからずいらっしゃると思いますが、当社はフェアな設計と運用に、自信と覚悟をもって取り組んでいきたいと思っています。
さて、ここまででインセンティブ制度の枠組みは決まってきました。それでは次に、具体的な社員への配分ルールはどうでしょうか?ここで、Step1を検討することになります。
Step1:毎期の10,000ptの配賦方法の考え方
半期ごとの評価のタイミングで、評価に従い、以下の評価点を個人につけます。そしてその評価点を基準に10,000ptを配賦します。この辺りは一般的な企業の評価制度を思い浮かべていただければ認識はずれないと思います。
設計のこだわりポイント④グレードごとの評価点の傾斜を強くした
ここは会社の人材育成や評価に対する考え方により分かれるところではありますが、当社ではグレードごとの評価点の傾斜を強くしました。注目いただきたいのはマネージャークラスのところで、[G-E]から[G-F]のグレードに上がると、なんと評価点が3倍以上になるように設計しました。上のグレードへ上がりたいモチベーションの醸成により、1人当たりの貢献度が大きくなり、結果として事業が成長する期待を込めたものです。なお、取締役の渡部・千葉はこのインセンティブ制度の対象外としています。めちゃくちゃ活躍する社員が出てきて、上位のグレードが利用されるようになると嬉しいなと思っています。
最も大事なプロセス。それは制度を使ってみること
これでインセンティブ制度の大枠はでき上がりました。最後は検算です(ここでは説明の都合で「最後」と書いていますが、実際の設計時には全てのTODOを同時並行で進めました)。振り返ると最も重要なプロセスだったと感じています。
まず、6年分のざっくりした事業計画を作成し、グレード別の人員計画を作ります。人員計画は150人プランと300人プランを作りました。
そしてでき上がったのが毎期のグレード別想定リターンのテーブルです。以下の表は300億円の上場で150人の人員計画パターンです。これを想定上場時人数(150人or300人)、想定時価総額(300億円or500億円)で4パターン作っていきます。
そして4パターンを集計して1つにまとめたのが以下の表です。
2021年4月よりIPOまで在籍し、その該当期間ずっと同グレードで普通評価(100%達成)だった場合の、IPO時の想定リターン(株式売却益)を4パターン集計しています。上記2つの表の計算には非常に変数が多いので、あくまで想定リターンですが、ご参考になれば幸いです。
こちらのテーブルを用いて行った検証が、前期2020年10月~2021年3月の評価結果にあてはめて、実際の個人別の売却益の計算結果が想定のイメージと近いかのシミュレーションでした。さすがに個人名が載るのでこればかりは開示できないのですが、このプロセスが一番大事でした。机上の空論より使ってみるのが何よりの検証になります。
シミュレーションしてみた結果、当初はイメージ通りの数字にならず、Step1のテーブルを何パターンか作って納得が行くまで議論を重ねました。その結果、この記事に記載されたようなインセンティブ制度になっています。本当にこの検証をやっておいて良かったと思います。やっていなかったら、初運用のタイミングで大問題になっているところでした。
結果として、「現在在籍する部長~執行役員クラスは、500億円前後の時価総額でのIPOができた場合」そのリターンは1億円を超える可能性があるような形になりました。個人的に注目いただきたいのはマネージャークラス(同グレードの管理職ではないスペシャリストも対象)です。図を見ればお分かりのとおり、なんと想定リターンは「2,000万円~4,000万円」ということになっています。
最後にちょっと個人的な決意を
ノインに転職してから4年半、管理部全体の責任者として採用から経理まで幅広くやってきました。ただ、前職では上場企業で経理の責任者を務めていたこともあり、心のどこかでメインは経理という気持ちが残っていたように思います。
実はこの春から希望して、総務人事部と経理部を分け、総務人事部の責任者になりました。会社も60名を超える組織となり、信託型SOという運用が難しい制度も設計しました。これからますます評価や育成など人事系の課題が重たくなってくるのを感じており、この領域にフルコミットしようと思っています。
採用や労務などのHR領域はまだ4年と経験が短いですが、この領域の奥深さと面白さを全力で楽しみつつノインに貢献していきたいと思います。次は目標管理や評価制度のレベルアップに着手します。
なお、そもそもノインってどんな事業やってる会社なの? という方はこちらのNOIN公式noteを見ていただければ幸いです。!
「SOの設計気になる」「なんで信託型SOにしたのかもっと詳しく聞きたい」など、SOの設計について悩んでいる経営者や実務家の方がいらっしゃったら、ここに書ききれなかった当社の議論や私の経験で良ければお話しできますので、以下のTwitterのリンクから、お気軽にDMください。
上場経理から #NOIN の1号社員&スタートアップバックオフィス( #SBO )に飛び込んだ5年間をまとめました!前回は会社の歴史で、今度は自分の歴史です。SBOのキャリア形成や悩みを赤裸々に書いたので、キャリアに悩むSBOの方や、採用検討中の創業者の参考になれば嬉しいです。https://t.co/rzLfrdDxUg
— Teruaki Tsuchiya@NOIN総務人事部長 (@t_tsuch1ya) September 10, 2021
なお、念のために補足ですが、
- あくまで本記事はインセンティブ制度を作る思考過程を明らかにして、より多くの方に自社のインセンティブ制度について考える機会を提供したいと思ったことをきっかけとして、会社の許可を得たうえで私が個人的に作る際に工夫したことを記載させて頂いたものであり、私自身(会社も)、当社への入社を勧誘する意図したものでもなければ、当社の新株予約権を取得するように勧誘するといった意図も持っていません。
- 既存社員や今後入社される方のSOの付与を約束するものではありません。
- SOの交付を受けられるのはSO信託期間満了日(IPO6か月後)の発行会社の判断で交付することが決まった場合に限られます。
ということを付記させていただきます。本記事が、スタートアップの方がストックオプションの制度設計を考える際の参考になれば幸いです。
(情報開示:ノインはCoral Capitalの出資先企業です)
Editorial Team / 編集部