「未来を予測する簡単な方法は、いまお金持ちが何を持っているかを見ることだ。10年経てば中間層もそれと同等のものを手にするようになり、さらに10年すると貧困層はも持つようになる」
これはGoogleでチーフエコノミストを長年務めている経済学者のハル・バリアンさんが2011年に言ったことで、「バリアン・ルール」として知られています。日本語で読めるミクロ経済学の教科書で彼の名前を知っている人もいるかもしれません。
例えば、自動車に搭載されているABS(アンチロック・ブレーキ・システム)。濡れた路面でタイヤが空転するのを未然に検知してスリップ事故を予防する技術は、1960年代には実用化されていたものの長らく贅沢品でした。高級車にしか搭載されていないか、数十万円の追加オプションでした。そのABSは徐々に値段が下がり、日本では2010年代半ばから、すべての自動車への装備が義務化されました。エアバッグも同様に高級車から搭載が始まりました。
自動運転についても似た道筋をたどるのではないでしょうか。2020年5月に可決された改正道路交通法により、いよいよレベル3の自動運転について日本国内でも法制化が進みましたが、当面は高級車のみの話に限られることでしょう。
日本ではうまく立ち上がっていませんが、UberやGrab、DiDiのようなタクシー配車アプリは、かつてお金持ちだけが享受していた「運転手付きリムジン」の民主化と見ることができます。かつて電話で運転手付きのクルマを呼ぶのはお金持ちにのみ許されたライフスタイルでした。しかし自動運転と相乗りが一般化すれば、中間層でも通勤や通学に配車アプリを使う未来もあり得るかもしれません。
バリアンさん自身は、このルールに当てはまる例として、ビデオデッキ、大型フラットテレビ、携帯電話などを挙げています。例えば1990年頃には携帯電話はきわめて高価で、企業の経営者やお金持ちが使うものという時代が長く続きました。もっと古い事例を出せば、戦後に家電の「三種の神器」と言われた白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫などが富裕層から徐々に一般庶民にまで普及していったことや、海外旅行が一般化したのも同様にバリアン・ルール通りです。
2020年現在、お金持ちだけに許されて、一般庶民に手が届かないものは何でしょうか? それを考えるとことはスタートアップのヒントになるかもしれません。
例えば、ロボアドバイザーは良い例だと思います。かつて資産運用を任せるプライベートバンクは金融資産が1億円以上とか10億円以上の顧客だけを相手にしていて、中間層には無縁でした。小口顧客を個別に相手にしても充分な手数料が稼げなかったからです。それがいま、クラウドと自動化により一気に1顧客あたりの対応コストが下がり、誰でも利用できるサービスとして民主化した、と見ることができると思います。
富裕層のライフスタイルと中間層の違いと言っても、近年は物質面では差が減っているようにも思えます。家電やデジタルガジェットについては中間層と差があるように思えません。ビル・ゲイツが使うスマホが100倍の値段ということはありません。装飾品など顕示的消費と呼ばれるものを除けば、大きく違うのはプライベートジェットやヨットといった極端に高価な乗り物、それから広い居住スペースや使用人あたりでしょうか。お金に余裕がある人たちは、行列や人混みを避けて特別扱いで何かを予約したり、参加するようなこともあるかもしれません。
考えてみると、家庭向けの掃除や料理のサービス、ベビーシッター、子どもに付ける家庭教師といったものもマッチングプラットフォームの台頭で、徐々に民主化が進んでいるようにも見えます。料理人を雇えるのは相応に裕福な人だけだったでしょうが、今や各都市に無数に点在する、合理化され、洗練された厨房からクリックひとつで料理が届く時代となりました。個人的に雇う専門家という面ではYouTubeが革命的変化をもたらしつつあります。世界各地から生まれつつあるYouTube世代の才能あるアーティストたちを見ていると、音楽や楽器、絵の先生を雇う必要などあるのだろうか、とすら個人的には思います。
バリアン・ルールが過去に成立したのは、主にエレクトロニクスや製造業の目覚ましい技術革新があったからでしたが、向こう20年ではデジタル技術による限界費用の低減や自動化が肝になるのではないでしょうか。ギグ・エコノミーの行き着く先は「サーヴァント・エコノミー」(召使い経済)だという懸念も米国ではでてきています。私たち人間に仕える未来のサーヴァントはソフトウェアやロボットであって、人間が人間を搾取することのない社会であってほしいと思います。
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