日本には「出る杭は打たれる」ということわざがあるように、同調を求める文化があります。これは社会の結束や調和に貢献する一方で、画期的なイノベーションを生み出すかもしれない「型にはまらない視点」を持った「出る杭」の活躍を妨げる圧力にもなります。政府が宣言しているように、これから日本がイノベーションの文化を育んでグローバルリーダーを目指すのであれば、この「出る杭」の扱い方を見直すことが不可欠でしょう。
まず考えなければならないのが、リスクテイクが単なる経済変数ではなく、進歩に不可欠な要素だということです。Andreessen Horowitzのマーク・アンドリーセンはこの「出る杭」の人材ことを「martyrs to civilizational progress(文明進歩の殉教者)」と呼び、その自己犠牲的な性質を強調しています。「合理的な人間は自分を世界に合わせる。非合理的な人間は世界を自分に合わせようと粘る。それゆえに、あらゆる進歩はこの非合理的な人間にかかっている」と文学者ジョージ・バーナード・ショーが表現したような生き方を彼らはしているのです。
イーロン・マスクやリチャード・ブランソンのような有名な「出る杭」も、この逆説的な真理を体現しています。イーロン・マスクはSpaceXやTeslaなどの企業を生み出し、その常識を塗りかえる数々の挑戦が称賛されるのと同じくらい、SNS上の悪ふざけでよく物議を醸しています。ビジネスにおける冒険的なリスクテイキングで知られる実業家のリチャード・ブランソンも、極端な「リスクテイクの精神」を体現しています。より身近なところでは前澤友作氏も、リスクテイク型の思考がいかにビジネスの革新につながるかを示す良い例です。また、これらの人物は複雑な恋愛事情を抱えている点でも共通しています。イカロスのように太陽に近づきすぎる挑戦的な気質が、個人の人生として落ちていくリスクになる一方で、革新的なアイデアを実現することにつながっているのでしょう。
これらの「出る杭」が成功すれば称賛されますが、失敗すれば大抵の場合は非難され、ときには極端な中傷さえもあるでしょう。このような白黒思考に基づいた評価は、人間の性格や創造力における多面性を見落としています。例えば、ピカソやベートーヴェンは、私生活では「常識的」ではありませんでしたが、芸術や音楽への貢献は計り知れません。現代社会として、私たちは今の「キャンセル・カルチャー」がいかにイノベーションを抑圧するか、危機感を持って理解する必要があります。「出る杭」を個人として抑圧することは、彼らが社会に今後もたらすかもしれない画期的なイノベーションを抑圧することに等しいのです。
日本では社会への同調が重視されることから、イノベーションを抑圧する傾向が特に強いようです。しかしイノベーションを育む強固な文化を築くためには、この集団的思考からのパラダイムシフトが必要です。もちろん、非道徳的な行為を容認するという意味ではありません。奇抜さや、普通とは違う考え方が容認されるだけでなく、称賛される環境を作るということです。アメリカ文化も欠点だらけであることは米国出身の私が真っ先に認めるところではありますが、この分野に関してはアメリカが秀でていて、日本が学ぶことは多いはずです。
「出る杭」は仕事だけではなく、人生のさまざまな面において「普通」から外れた生き方をしていることが多いものです。彼らは生来からリスクや常識への挑戦を好み、社会を良くする可能性のために個人としての幸福を犠牲にしてしまうことも少なくありません。多くの場合、これらの正と負の側面は切り離せないものなのでしょう。社会として、彼らの人生における選択の全てを肯定することはできないかもしれません。しかし、彼らが社会にもたらすとてつもない貢献のために必要なトレードオフとして、合理的な範囲で許容するべきではないでしょうか。そして「出る杭」を単に受け入れるだけではなく、これからの世の中を変えるのに必要な人材として歓迎する方向へ社会の意識が変わっていく必要があるでしょう。
Founding Partner & CEO @ Coral Capital