シリコンバレー離れは進んでいるのか?(そもそもシリコンバレーって?)
本記事はTemma Abe氏による寄稿です。Abe氏は東京大学経済学部を卒業後に新卒で三菱商事に入社。2016年からのアクセンチュア勤務を経て、2019年からは米国西海岸に在住し、UC BerkeleyでMBAプログラムに在籍しています。就職活動や授業、課外活動を通じてテック業界の情報をフォローしています。また、現地で流行のニュースレターやポッドキャストを数多く購読しており、そこから得られる情報やインサイトを日本語で発信する活動をされています。
話題の「シリコンバレー衰退論」に欠けているいくつかの視点
コロナ禍以来、HPE、Oracleなどの老舗企業や、Tesla創業者のイーロンマスク氏などを筆頭に、企業や人材のシリコンバレー離れが加速しているという話を見聞きすることが多くなりました。高い家賃、生活費、所得税、州政府の規制、行き過ぎたリベラリズムなど、確かにシリコンバレーを離れる理由には事欠かないですし、コロナ禍で定着したリモートワークが起爆剤になっているのは間違いないでしょう。このトレンドについては、すでにいろいろな場所で語られているものの、その議論に欠けている視点があるのではないかと個人的に感じてきました。本稿では、そのいくつかをご紹介して、より正確な議論をするための一助になればと思います。
目次は以下の通りです。
- 実際のところ、誰が移転しているのか?(データの話)
- そもそも、シリコンバレーとは何を指しているのか?(言葉の定義の話)
- リモートワークで代替できない人間関係とは?(本質的な議論)
(1)実際のところ、誰が移転しているのか?
シリコンバレー離脱で良く話題にあがる代表としてのHPEやOracleとは、どういう位置づけの企業でしょうか。人によってさまざまな見方はあると思うものの、一般的にはシリコンバレーでは老舗と呼ばれる大企業だと思います。また、私にとって身近な経験から言えば、ビジネススクールの就職先ランキングで上位に来るような企業ではありません。近年のテクノロジー業界を席巻しているGoogle、Facebook、Appleや、急成長するスタートアップがひしめくなかで、HPEやOracleは、シリコンバレーでの人材獲得競争において有利な立場にあるとは言えません。タレントの獲得場所をシリコンバレーの外に求める企業が移転をする、という話だとすれば、特段ニュースになるようなことでもなく、自然なことなのではないでしょうか。
また、Telstra Venturesによる調査レポート「Tech’s GreatMigration」によれば、2020年においてシリコンバレーから移転したスタートアップは、実際には1%程度しかいなかったとのことです(下図参照)。しかも、移転したスタートアップの中でも多くはカリフォルニア内で移動したとのことです。有名人や有名企業の移転はニュースになりやすいのでトレンドと捉えやすいですが、少なくともこのレポートが調査対象としているスタートアップについては、別のストーリーが見えて来そうです(調査は全米27地域、3万5,000社が対象)。
(2)そもそも、シリコンバレーとは何を指しているのか?
上記で出てきたカリフォルニア内での移転、というのを少し深堀りしたいと思います。そもそも、シリコンバレーというのは地理的にどこを指しているのか、実は良く分かっていない人も多いのではないでしょうか。正直に申し上げれば、私もこちらに来る前までは、サンフランシスコ、ベイエリア、シリコンバレーという地名を漠然とした理解のまま、良く分からずに使っていました。
上記はこちらのオフィスなどで何度か見かけたことのあるポスターの抜粋ですが、シリコンバレーと所在するいくつかの企業をマッピングしたものです。これを見ると分かるように、シリコンバレーとは元々サンノゼ近郊を中心とした、いわゆるサウスベイ地域を起源としており、サンフランシスコはポスター左上にちょっと入っている程度です。私の通っているカリフォルニア大学バークレー校も右上の方にギリギリ入っているという位置づけです。ポスター全体に写っているエリアが、いわゆるベイエリア(Bay Area)と呼ばれ、その中にサンフランシスコ、バークレー、オークランド、サンノゼ、パロアルト、マウンテンビューなどの小〜中規模の街が集まっている感じです。なお、ベイエリア全体では人口700万人程度ですが、その中でいちばん人口の多いサンノゼ市で約102万人、2番めのサンフランシスコでも約88万人にすぎません(2019年の国勢調査の統計)。東京の世田谷区が約94万人なので、サンフランシスコ市より少し人口が多いくらいです。
前置きが長くなりましたが、「シリコンバレーから人が流出している」という話を深掘りしてみると、実は「サンフランシスコから人がいなくなっている」という話が多いのではないかというのが、私の肌感覚です。こちらの記事によると、「(コロナ禍以降)サンフランシスコからノースベイやイーストベイに引っ越す人が増えている」とのことで、これはつまり、サンフランシスコなどに住んでいた人が、比較的家賃が安く自然も豊かな地域を求めて、ベイエリア内で移動しているトレンドがあるということです。実際、コロナ以降、サンフランシスコの賃料は大きく下がっている一方で、私の住んでいるイーストベイの一部地域の家賃は下がっていない(または上がっている)というのが実感です。
まとめると、巷で良く聞く「シリコンバレーからの人の流出」という話については、以下の疑問が出てきます。
- シリコンバレーというよりも、サンフランシスコからの流出が多いのではないか
- ベイエリアの中において、家賃の高いエリアから、自然の多い郊外へ人が流出しているケースも多いのではないか
- オフィス通勤が復活する際に、またすぐに戻ってこれるように、とりあえず近郊に引っ越している人も多いのではないか
(3)リモートワークで代替できない人間関係とは?
最後に、より本質的な論点としては、「リモートワーク時代とは言え、シリコンバレーの外では得られない価値がやはり大きいのではないか」という点があります。シリコンバレーに所在しなくてもZoomでコミュニケーションが成り立つという議論は、VC、大手テック企業、スタートアップなどのさまざまな関係者から語られていますが、私は、以下を対象としていると理解しています。
- VCとスタートアップ間で行われる、資金調達などの一時的なやり取り、または取締役会議などの低頻度のやり取り
- 同じ企業内の人間同士の、共通のルール、文化、プロトコルなどを前提としたコミュニケーション
- 明確かつ共通のビジネス上の目的のある組織間の、セールストークや交渉などのやり取り
上記に含まれていない重要なコミュニケーションとして、「たまたま同じ物理的な空間に居合わせた人達同士でのランダムなやり取り」が挙げられます。そしてシリコンバレーにおけるその重要性を示すいくつかのストーリーを、前回の寄稿でも紹介した有名なLenny’s Newsletterが以下のように紹介してくれています。
- Stripeは同じアクセラレーターにいたスタートアップ仲間にStripeのベータ版を導入させるために、彼らのPCを借りて次々にセットアップしていった。リンクを送るというやり方ではなく、その場で自分たちの手でコーディングをして。
- Lyftは初期の顧客獲得戦略として、チーム全員の知り合いのスタートアップに連絡してもらい、そこで働く人たちにアイスクリームサンデーを無料で配りに行った。アイスクリームにLyftのクレジットを添えて。
- Product Huntの創業者は近所のPhilz Coffeeに入ったときに、店内で知らないお客さんがProduct Huntのサービスを利用しており、話が盛り上がっているのを耳にして、涙した。これ以上のユーザーフィードバックはないだろう。
これらが示唆するのは、特に初期のスタートアップにとって、新しいトレンドやプロダクトへの感度が高い人たちへのアクセスは不可欠であり、そういう人たちが集積している地域に住むことは、良い出会いの確率を大きく高めてくれる、ということだと思います。また、それを実現する場所として世界でもっとも有名なのがシリコンバレーである、というのが一般的な認識ではないでしょうか。
もちろん、脱シリコンバレーの目的地として挙がることの多いテキサス州オースティンを始めとして、シリコンバレーの外においても同様のコミュニティが形成され、今後も拡大していくという話もあります。私としてもそのトレンドを否定するつもりは全くありません。本稿で提示したかったのは、サンドヒルロードに行かなくてもZoomでVCから資金調達ができて、優秀な社員もリモートで雇えるような時代になっても、物理的な近接性を前提にしたランダムな出会いは代替できず、その価値は多くの人が考えているより大きいのではないか、ということです。
(訂正:記事初出時、サンフランシスコ市がベイエリア最大人口としてありましたが、正しくは2番めでした。記事は修正済みです)
Contributing Writer @ Coral Capital