手元に定量データがないままに書くのは少し気が引けますが、最近なるほどなと思わず同意する話を耳にしたのでシェアしたいと思います。
スタートアップは長時間労働が当たり前のブラックな労働環境が多いのではないか、という問いに対して、今はむしろ下手な大手企業よりもスタートアップ企業のほうがホワイトだとする観察です。なぜなら人材の流動性が高く、特にエンジニアなど売り手市場では、いくらでも働き口があるためブラックな職場からは人がどんどん抜けるので、結果的にホワイトなところが多いというのです。
一方、大手企業で、特に中途採用が少なく終身雇用的な慣行が残っている環境では多少のことでは社員は会社を辞め(られ)ません。だから、多少ブラックな職場でも環境が改善されづらい、という話です。
実際のところ、どうでしょうか? 本記事では、私がこれまで友人・知人のスタートアップ起業家たちに聞いた話を総合して、2019年の日本のスタートアップでの働き方について、いくつか興味深い観察をお伝えしてみたいと思います。スタートアップへの転職を考えているものの、実態が見えづらいと感じている人も多いでしょうから、参考になればと思います。
ブラックとは長時間労働なのか労基法違反なのか?
まず、論点として切り分けるべきは「ブラック」が指すものが、単純に残業が多いことなのか、それが労働基準法に違反してる不法行為であるのかという点です。
スタートアップといえども労働契約を結ぶのであれば、社員は労働基準法に守られます。労働基準法は強行法規なので、私的自治(双方の合意や契約書、社内規則など)を理由にして上限規制を破ることはできません。労使で36協定を結んでも、残業は最大で月45時間、年間360時間までです。臨時の理由があれば月100時間まで時間外労働が可能ですが、これも年間で6か月までです。
月45時間以下といえば、だいたい平日の朝9時から夜8時までです。「ハードワーク」という言葉から、ほど遠く感じるのは私だけでしょうか? ともあれ、この記事では定性的な話にだけ焦点を当てることにします。
個人・会社のライフステージによって異なる
スタートアップの創業者や、そこで働く人々の話を総合すると、一般論としてスタートアップでの労働時間は会社のステージと、個々人のライフステージによる、ということがありそうです。どちらも「レイター」(人生でレイターというと老年期を思わせますが)になるほど、ホワイトな働き方に近づく、ということです。夕方6時ごろから徐々に退社して、7時になるとほとんど人が残っていない、ただし、夜にメールやメッセが飛んだりするのが日常というのが、良く聞く話です。参考までに言うと、コンプライアンスや社員のウェルビーイングを気にかける大企業だと、夜間や土日といった時間外にメールを送信すると人事に呼び出されるということも最近はあります。
しかし、プロダクトが顧客・市場に受け入れられる確信が得られる、いわゆるPMF(Product Market Fit)より前の段階の初期メンバーは違うかもしれません。
共同創業メンバーに関しては、役員なら労基法の保護対象となりません。初期メンバーであれば、ブラックもホワイトも関係なく、大事なのは結果が出るかどうか、自分たちの情熱や仮説を証明できるかどうかのみ、という前のめりな働き方をすることもあるでしょう。報酬の仕組みも一般的な会社員と違っていて、生株やストックオプションによるキャピタルゲインを目指して駆け抜けるというところがあります。20代ばかりの創業チームで週7日仕事をしていて「残業代はキャピタルゲイン」と豪語する創業チームの言葉を聞いたこともあります。若いメンバーで構成されるスタートアップの場合、良くも悪くも公私混同といった文化であることが多いように見えます。「ワーク・ライフ・ブレンド」という言葉も耳にします。
ちなみに、所得が上がることが分かっている場合にハードワークになりがちということは米国の統計データで示されています。私はこれをベストセラーとなった『LIFE SHIFT〜100年時代の人生戦略』(リンダ・グラットン著)で知ったのですが、米国では近年、高所得層ほどハードワークをする傾向が強まっているそうです。1979年に低所得層の22%が時間外で50時間超働いていたのに対して2006年には13%まで下落。逆に、高所得層で週50時間以上働く人の割合は15%から27%に上昇したそうです。高所得者は時間単価が高いため、休むのことのコスト(機会損失)が高くなっていることが背景にあるのだそうです。米国ではヨーロッパと違って所得税が引き下げられたため、頑張れば所得が増えるというインセンティブが、より強い。それで、(意識的、無意識に関わらず)休まない選択をする高所得者が多いということです。この傾向と同様に、エクイティーと情熱を持って走るスタートアップの創業メンバーがハードワークをするのは自然なことだと思います。キャピタルゲイン課税は20%強に過ぎませんから、収入のアップサイドが大きいのです。また、短期間で成果を上げて実績や役職、収入、達成感を手にしたいと頑張る人がスタートアップ(だけではないですが)にいるというのも自然なことだと思います。
ただ、こうしたスタートアップでありがちな落とし穴は、そういう創業メンバーに社員1号が加わったときです。前向きに仕事をするとはいっても、それなりのエクイティーを持つ創業メンバーと同じくらいハードワークしろというのは筋が通らないと思います。実際、ここのバランスを取りそこねて、離職した初期の社員に、後に訴えられるケースも耳にします。
スタートアップ初期には勤怠管理がスプレッドシートや自己申告だったりして、社内の仕組み自体がカオスのこともあるでしょう。ただ、シリーズAあたりになってくると制度やシステムが整ってくるのが普通で、まして上場を視野に入れている場合には、一般的な上場企業と同じコンプライアンスに近づきます。未払いの残業代は債務ですから、上場前に一気に残業代を支払うスタートアップの話というのも、ときどき耳にします。ひどいケースだと残業代債務の精算ができずに上場延期という話も聞こえてくるので、やはりスタートアップはグレーゾーンを走りがちという実態があるのかもしれません(この記事では、それを推奨したり、許容すべきという議論はしていません。念のため)。
個人のライフステージによっても仕事の仕方は違うようです。
家庭がある30代や40代がメンバーに多いと、それに合わせてホワイトな働き方になりやすいようです。B向けの大人の起業では、9時5時という話を聞くことも珍しくありません。むしろ、スタートアップのほうが日々の働き方は柔軟なケースがある、というのが多くのスタートアップを見てきた私の観察です。例えば出社時間は午前7時〜11時と幅があったり、週に1、2度の在宅リモートを許容しているところは珍しくないと思います。スタートアップには長年続いた慣行や社内制度がないので、クラウドツールの発達した今の時代に合った制度や働き方を取り入れやすい、ということはあるかと思います。
一般論でいえば、いまの日本のスタートアップは全体としては文化的なホワイト化が進行しているようで、それには以下のような理由がありそうです。
スタートアップの戦いが非労働集約、マラソン型へと移行
かつて「ベンチャー企業」がブラックなハードワークというイメージが拭えなかったのに対して、最近の「スタートアップ企業」がホワイト化している、ということの背景として、Coral Capital出資先のSmartHR創業者で代表取締役CEOの宮田昇始さんが興味深い2つの視点を共有してくれました。
1つは、スタートアップの戦いが6〜10年というマラソン型の長期戦になっていること。このため、例えば週に100時間以上働くといった無茶なやり方では完走できなくなっています。ひと昔前に流行した、1、2年という短期で急成長させて売却を目指す、小規模メディアの立ち上げなどは短期決戦なので長時間労働との相性が良い一方、最近のSaaS企業はIPOを遅らせてでも成長を選ぶケースが増えて長期戦となってきています。
また、PMF前であれば「キャッシュが尽きるまでにいかに手数を増やせるか?」が重要なので、長時間労働との相性が良いですが、最近では大型資金調達が増えて、レイターのスタートアップが増えてきています。こうした職場には子持ちの30代、40代の採用も増えるので長時間労働との相性が悪くなっていく、というのが宮田さんの見立てです。
資金調達環境が良くなり、十分な給料が出せるようになると、採用マーケットの条件・相場もそれに引きづられるので、全体としてスタートアップがホワイト化しているのかもしれない、と宮田さんは言います。
もう1点、こちらのほうがより本質的で重要な指摘だと思うのですが、ひと昔前のベンチャーの場合、広告代理事業や不動産、制作会社など、労働集約型の「長時間労働をしたほうが成果が出る」ビジネスモデルが多く、長時間労働する社員が称賛されるカルチャーが醸成されがちだったことも宮田さんは指摘しています。その結果、「ベンチャー=労働時間が長い」というイメージがついているのではないか、といいます。その一方で、昨今のスタートアップはテクノロジーの力でスケールする、労働集約型ではないビジネスモデルが増えています。長時間労働を強いるよりも、働きやすい環境にして採用にプラスにしたほうが得なので、労働時間が(相対的に)短いカルチャーが自然と醸成されているのか、ということです。
以上、定性的かつ伝聞の多い一般論ですが、スタートアップで働くことに関心を持っている方に、少しでも参考になれば幸いです。最近のスタートアップでは、インターンやパートタイムでの参加も増えているので、まずは少しやってみるという方法もありかもしれません。
Partner @ Coral Capital