「ノンデスクワーカー」の巨大DX市場の今後を見る3つの視点

国内では遅れが指摘される企業のデジタル技術の利活用ですが、さすがに表計算やタスク管理ツールを使わないということはないでしょう。しかし、そうした基本的なデジタルツールの利用という面ですら、まだデジタルの恩恵に預かれていない未開拓の巨大市場が存在しています。机に座って仕事をするデスクワーカーではなく、製造、小売、ホテルなどの現場で働く「ノンデスクワーカー」向けのIT市場です。立ち仕事などでPCが利用できず、紙とペンによる非効率なオペレーションが多く残っています。

「デスクレスSaaS」(Deskless SaaS)と呼ばれることもあるノンデスクワーカー向けサービスは、潜在市場としてきわめて巨大です。この市場がどう立ち上がってくるのかを考える軸として、この記事では3つの視点について書いてみたいと思います。

現場をシステムに繋ぐための「ラスト・ワンマイル」

ZoomやGustoなどエンタープライズ市場でのスタートアップ投資で実績のあるEmergence Capital Partnersが2018年にまとめたレポートによれば、世界の労働人口の約80%は、建設、製造、農業、教育、ヘルスケア、小売、ホテル、運輸の8つの産業で働くノンデスクワーカーです。その労働人口は世界27億人にのぼると推計しています。途上国のインドでは、その比率は98%にも及びます。そうした大きな市場であるのに、下図のようにスタートアップ投資全体に占めるノンデスクワーカー向けソリューションは約1%にとどまってます。

世界の労働人口の8割はノンデスクワーカーであるのに、スタートアップ投資は、わずか1%(Source:The Rise Of The Deskless Workforce 2018

先進国の日本では、この比率はもっと低いのですが、それでも労働政策研究・研修機構の「職業別就業者数」に基づく推計によれば就業人口6,500万人の半分弱にあたる3,100万人(47.7%)がノンデスクワーカーです。製造業では、かなり早い段階からERPやSCMなどのエンタープライズ・マネジメント・システムが導入されていますが、肝心の現場からデータを吸い上げる部分や、現場で働く人たちはシステムと直接つながっていないことも多く、「ラスト・ワンマイル」がDXを待っている状態です。

ノンデスクワーカーの中でも特にIT利用が進んでいないとEmergence Capitalが指摘するのが運輸です。例えばノンデスクワーカー向けサービスに取り組む米Parsableの導入事例には、トラックが配送センターを出発するときの車両チェックがあります。過去25年にわたって紙ベースのチェックリストを手に、運転手がトラック車両の周囲をぐるっと回るというプロセスです。これまではオイル切れやタイヤの空気圧不足などの問題で発車できないことがあれば、そこで業務がストップしていたものが、スマホアプリ化されたことで即時対応が可能であるほか、故障の頻度や発生箇所など知見が蓄積してきていると言います。規制の変更に合わせてリアルタイムでチェックリストを更新できるとか、機器のチェック方法をカラフルなアニメーションで示せるなど、業務効率化のメリットは大きいのだと言います。

(1) バーティカルに遅れて立ち上がるホリゾンタル市場

ノンデスクワーカーの現場向けSaaSと言えば、過去数年で産業・業界ごとのスタートアップが多く生まれているのはご存じの通りです。FoodTechトレンドの記事でもご紹介したユニコーン企業の米Toastは、レストラン向けに必要となる業務アプリを全部パッケージしたサービスですし、床屋さん向けSaaSというニッチ市場でありながら昨年末に2.5億ドル(約250億円)のバリュエーションでシリーズCの資金調達をした「Squire」などもあります。

特定業界向けSaaSは数も多く、国内でも建設業界向けの「Photoruction」や施工管理の「ANDPAD」、介護領域では「カイポケ」、ビル管理業務の「管理ロイド」、EC自動出荷システムの「ロジレス」などがあります。飲食店向けでは上場企業の「スマレジ」があります。

上記はすべて業界特化のバーティカル。デスクワーカー向けだと業界に関わらずホリゾンタルに利用されている生産性ツールやチャット、動画会議などが多数存在しますが、ノンデスクワーカー向けで汎用性の高いものは、まだ数は多くありません。

海外のデスクレスSaaSとしてはオーストラリアの汎用検査チェックリストアプリ「iAuditor」や、米国のモバイルタスク管理「GoSpotCheck」などがあります。国内では業務チェックリストをノーコードで提供する「カミナシ」や手順書作成・共有の「TeachmeBiz」があるほか、LINE WORKSが卸売、小売、理美容、物流・運送、建設・不動産、教育、医療・介護など現場の利用シーンを想定するなど、最近はホリゾンタルな現場向けを打ち出しています。

バーティカルなSaaSであってもチャットなどグループウェア的な機能は付随するでしょうし、その業界個別のニーズを満たした使い勝手を提供することでしょう。PCのときと同じようにホリゾンタルな汎用ソリューションで、強いプレイヤーがどの程度出てくるかは未知数ですが、これからの立ち上がりが期待される市場です。

(2) バーティカルSaaS全盛でタブレットが再び注目

「ノンデスク」は字義通り、PCを置いて作業する机がないということですから、スマホやタブレットを活用していくのは規定路線です。中でも「クラウド+タブレット」が再び注目を集めています。通信キャリアが契約数増を狙って拡販する強いインセンティブを持つことから、営業リソースも十分。過去10年ほど、すでに飲食店や小売に専用端末が広がっているのを目にすることが増えていますが、今後は「汎用タブレット+バーティカルSaaS」が大きく市場を伸ばすことになるでしょう。

すでに一部の飲食店では、店員によるタブレットの奪い合いのような状態も発生しています。かつてオフィスにおけるPCが各部署で1台だったのと似た状態です。PCがたどった歴史を考えても、今後現場におけるタブレットの導入台数は、SaaSの種類が増えて利用頻度が高まるにつれて増えていくことが予想されます。

エンタープライズの世界でSaaSが起こしつつあるイノベーションは、単に「PC上のアプリ+オンプレミス」を「ブラウザ+クラウド」に置き換えたというだけではありません。業務アプリであっても、使いやすいUI/UXを提供することが必須になりました。それはSaaSのスイッチングコストが低く、強い淘汰圧にさらされていることや、常時メトリクスを把握することでUI/UX改善が中長期のビジネス収益に大きなインパクトをもたらすと明確に分かってきたからです。

しかし、いま現場にリーチしようとしているデスクレスSaaSは違ったチャレンジに直面しています。

ITリテラシーの差は、デスクワーカーとノンデスクワーカーで以前ほど大きくはないかもしれません。しかし、現場では細かなボタンや文字を把握するのは難しく、これまで以上に使いやすいUIとは、どんなものかという知見の蓄積や、徹底したユーザーテストの実施が必要になってくるでしょう。タブレット操作についても、常に水滴や油が付着する現場で誤操作を防ぐにはどうすればいいのかとか、作業手袋に含まれる金属が理由で静電容量方式のタッチパネルが使えないなど、新しい課題が生まれつつあります。

(3) 次に来るのは声のUIやHMDによるXRの普及

現場では手がふさがっていてデバイスの操作が困難ということも多いでしょう。タブレットの次にやってくる未来は、声による操作や、HMD(ヘッドマウント・ディスプレイ)によるXR(VR/AR/MR)といったインターフェイスの利用です。むしろ、デスクワーカーの世界よりも先にこうした先進的なインターフェイスが採用されることになるのではないでしょうか。

例えば、耳に小型デバイスをぶら下げることでチーム間で音声コミュニケーションを実現するスタートアップのBONXが2月に発表した松屋銀座での音声DXソリューションは、この方向性をハッキリと示す事例ではないかと思います。紳士服の採寸業務で、巻き尺を使って「肩幅 43センチ」などと声に出せば、これがそのまま顧客データベースに格納されるという実装です。

声のUIの利用は、家庭向けスマートスピーカーなどで一部は始まっていますが、キーボードを使える環境にあるデスクワーカーからするとピンと来ないところがあります。だからこそ、ノンデスクワーカー市場を対象としたスタートアップには、まだまだ解くべき課題とチャンスが多くあるのではないでしょうか。


2020年のIVS Launchad SaaSでは「カミナシ」が優勝、TechCrunch Tokyoでは物流のラストワンマイルの効率化を目指す「207」が優勝するなど、ノンデスクワーカーの市場は徐々に注目を集めています。すでに書いたようにプロダクトに求められるUI/UXなどデスクワーカー向けのサービスとは異なるポイントもあり、今後独自の発展が期待される領域でもあります。フィジカルな世界と接点を持つ現場では、ロボットアームやドローン、IoTまで含めた効率化と自動化という広大な未開拓市場が広がっているのではないかと思うのです。

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Partner, Chief Editor @ Coral Capital

Ken Nishimura

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