「Facebookは着飾らせてパーティーに連れて行ってくれるけど、自分よりかわいく見えるのは許さない姉のような存在です」――元インスタグラム幹部
上記は、先週金曜日(2021年7月9日)に出たばかりの新刊翻訳書『インスタグラム:野望の果ての真実』(サラ・フライヤー著、井口耕二訳、ニューズピックス)に出くる引用の1つです。インスタグラム(妹)の成長や人気を脅威に感じた親会社のFacebook(姉)が、いかにインスタグラムの成長を快く思っていなかったかを表現した言葉です。
ザッカーバーグを含む膨大な関係者取材から構成した読み物
本書はインスタグラムという大成功したスタートアップの共同創業者らが、Facebookによる買収によって、どういう運命をたどったかを詳らかにした本です。ブルームバーグで長年記者をしている著者が、Facebookとインスタグラムの現社員や元社員、現幹部や元幹部、ライバル会社の関係者など何百人もの人々を取材して構成した、興味深いインサイドストーリーとなっています。可能な限り的確な記述をする。そうした著者の目的に賛同してザッカーバーグも含めてFacebook側の人物たちも、最終的にどう書かれるか分からないながらも取材に協力したそうです。少し驚きですが、本書が立体的な話になっているのは、その成り立ちによっていると言えそうです。
Facebook傘下で窒息しそうだったインスタグラム創業者たち
インスタグラムといえば「インスタ映え」が2017年に流行語になるなど、日本でもすっかり定着したSNSですが、スタートアップ界隈の人々にとっては2011年にFacebookが10億ドル(約1,100億円)で買収した大成功したスタートアップとして知らない人はいないでしょう。2010年10月のプロダクトローンチから、わずか18か月。当時のインスタグラムの社員数は、たった13人でした。その数年前にGoogleがYouTubeを買収したときの8億ドルと同様に、振り返って考えると高い買い物ではありませんが、当時は業界が騒然として、特にメインストリーム系のメディアは売上もないのに高すぎると書き立てたものです。
そのインスタグラムはFacebook傘下で独立を保ったまま、親会社とは別のユーザー層に刺さるアプリとして、ともに成長を続けているかのように見えました。インスタグラム共同創業者でCEOだったケビン・シストロムは買収後のロックアップ期間である2年を大幅に超えて6年間、Facebook傘下で新機軸を打ち出してインスタグラムを大きく成長させました。2010年頃にロケーション系SNSとしてはるか先を歩んでいたFoursquare創業者のデニス・クローリーとの会話の中で、いずれインスタグラムがTwitterより大きくなるとシストロムが言ったら、「それはない」と即座に否定されたそうですが、2021年4月時点でインスタグラムのMAUは約13億ユーザー。Twitterの約4億ユーザーを大幅に上回っています(ちなみにFacebookは約30億ユーザー)。つぶやくのは大変だけれども、写真投稿は手軽だからと言ったシストロムが正しかったのでしょう。ちなみに国内のSNSユーザー数でいえば、すでにインスタグラムは3300万と、Facebookの2600万すら抜いています。
では、そのインスタグラムはFacebook傘下で、その潜在成長力をフルに開花させたのでしょうか。あるいは加速できたのでしょうか? 本書を読む限り、答えはノーに思えてきます。
インスタ創業ストーリーと、買収後の確執を描ききった好著
本書の読みどころは、大きく3つあると思います。
1つ目はインスタ映えを生んだシストロムが起業家になるまでに、たどった道のりが分かること。シストロムはザッカーバーグのような根っからの起業家ではありません。Twitterでインターンをしてジャック・ドーシーと仲良くなったり、Facebook上場前のザッカーバーグから誘われて断ったりする中でも、「大学院へ進学する」くらいの感じでGoogleへの入社を決めたと言います。スタンフォードで天才たちに囲まれて、唯一取ったコンピューターサイエンスの授業の成績は「B」。自分はテック系起業家とは違うと感じていたそう。
そんな彼がフィレンツェ留学で、もともと持っていた写真への愛や理解をいかに深めて、それがいかにインスタというプロダクトに結実したのかということが、本書を読むと良く分かります。やがて接点のなかったVCと交流したり、多くの著名な起業家たちが迷いながら経営をする姿を間近に見て、徐々に自分もそうした起業家になれるかもしないと考えるようになったことなど、大成功した起業家のたどった道のりがよく分かります。
読みどころの2つ目は、プロダクトのビジョンがいかに大切かということが分かる各種の意思決定の背景が知れるところです。これは「インスタ映え」がレストランの外観やメニュー構成、商業施設の内外装までも変えてしまったことや、インフルエンサー経済圏を生み出したことなどを考えると、興味深いポイントだと思います。世界を変えるプロダクトが、いかに一貫したビジョンに貫かれているかが垣間見えます。
例えば写真を学びにフィレンツェ留学したとき、シストロムは良いカメラとレンズを持っていったそうですが、すぐに先生におもちゃのようなカメラを与えられて、良い写真を撮るのに必要なのは良い機材ではないのだと教え込まれたといいます。登場当時は斬新だったインスタの正方形型の写真や、トイカメラ風のフィルターなどは、シストロムの美的センスとこだわりから生まれたものだったのは明らかです。
インスタが登場したころのSNSは「リツイート」や「シェア」が発明された頃で、そうした機能があるのが普通でした。今でもそうです。しかし、インスタにはありません。これは「誰かをフォローするのは、その人が見たもの、経験したこと、創り出したものなどを自分も見たいと思うからであって、どこの馬の骨かもわからない人の経験ではない」という理由からだそう。トラフィックが増えそうな施策であっても、世界観を壊す機能は実装しないというこだわりがはっきり見て取れる話だと思います。そもそも「拡散しないからセレブ化する」というのがインスタで、これはFacebookやTwitterとは大きく異なる価値観です。
こうした強いプロダクト愛やビジョンは、3つ目の読みどころである、Facebookという親会社との衝突という形になって現れたように読み取れます。
Facebookとインスタで可処分時間の奪い合い
3つ目の読みどころであり、本書のいちばん大事なテーマだと思われるのは、個性が強い創業者CEOの2人がいて、文化の異なる2つの組織があり、その上で似て非なる世界的プロダクトを親子会社関係でリードするときに起こる衝突についてです。
Facebookによる買収をシストロムが受け入れた理由は4つあったといいます。Facebookの株価がまだ上がること(買収は現金と株式の組み合わせでした)、Facebookが競争相手でなくなること、そのインフラも利用できること、そして何よりFacebook傘下でもインスタグラムは独立性を保てること。インスタを買うためには「独立性」を担保することが重要だとザッカーバーグは理解していたのです。
しかし、「Facebookが競争相手でなくなる」というのは、実際にはちょっと違ったようです。
独立性は一定程度保たれたように見えますが、この記事の冒頭に引用した通り、Facebook側がインスタの成長に脅威に感じて、その成長力をザッカーバーグが意図的に削いだと思われるデータや証言が本書には出てきます。2018年にはストーリーズが成功し、続いてIGTVをローンチして動画機能を拡充する計画だったインスタグラムは深刻な人員不足に陥っていました。しかし、必要な増員は認められなかったのです。
2012年にユーザーが10億人になったときにFacebookの社員数が4,600人であったのに対して、まもなく10億ユーザーに達する見通しだった2018年のインスタグラムの社員数は、わずか800人。このときの人員採用計画は68人のみ。シストロムが数字に基づいて増員を要求したのに対して、ザッカーバーグは68人から93人と増員しただけだった、と言います。当時、VRヘッドセットのオキュラスのチームだけで600人の増員計画であったというのに、です。
買収当初からインスタチームは敵愾心をむき出しにするFacebook社内の開発チームに違和感を覚えていたと言います。何でも計測して最速で改善してエンゲージメントと収益性を上げることに血道を上げるFacebookに対して、インスタは良くも悪くもメディア的な人間による編集やコミュニティー運営を大切にする文化。伸び率でも注目度でもインスタのほうが高かったものの、ユーザー数でも収益性でもFacebookから見れば、まだまだひよっこ。Facebook側メンバーにはインスタ映えの文化を「お高くとまりやがって」と見て、早く大人になれよと思っていた人も少なくなかったようです。
やがてユーザー数でインスタが親会社を追い抜くのが時間の問題であることがハッキリしだした頃には、すでにFacebookとインスタはパイ(ユーザーの可処分時間)の奪いをしていると見られていたようです。インスタはFacebookほどARPUが高くないことから、そのまま放置すればFacebookという会社全体の成長性が鈍る要因になります。そんなことから、アプリ上で双方向にリンクしていたFacebookとインスタですが、2017年にはFacebookからインスタへの導線や支援機能を全て断ち切る指示をザッカーバーグは出していました。
創業者の性格の違いが組織文化に露骨に反映
収益最大化が目的であれば、確かにFacebookからインスタにユーザーが流れるのは経営者としては看過できないと思います。少なくとも短期的にはそうです。
ただ、Facebook(ザッカーバーグ)とインスタ(シストロム)の関係は、まさに人気が出てちやほやされる妹に嫉妬する姉のように見えます。本書が面白いのは、2人の性格の違いを一緒に行ったスキーでのエピソードなどで描いているところです。ただただ誰よりもゲレンデを速く滑り降りるのが好きで、山にいても自分が一番の大将でいたいザッカーバーグに対して、シストロムがいたたまれない気持ちになった話が出てきます。
結局インスタを創業したシストロムは6年間をFacebook傘下で過ごし、少し長めの育児休暇を取ったことを機に2018年9月に退任してインスタを離れます。シストロムが書いた3パラグラフしかない短い退任のメッセージにはザッカーバーグの名前や彼への謝辞はなく、しかもFacebookとインスタが別会社であるかのような表現で書かれています。
クリエイタータイプのシストロムと、勝つことに喜びを見出し、拙速でも前進するハッカータイプのザッカーバーグは袂を分かったわけですが、ここには2つの論点があるように思います。
1つは、ビジョンと信念を持った創業者が牽引するスタートアップ同士の買収において、いわゆるPMI(Post Merger Integration:企業統合後に組織や事業、文化などを統一していくプロセス)が、いかにドロドロとして難しいものであるかを示す事例という点。M&Aが盛んなシリコンバレーの大手は、どこもPMIのノウハウを蓄積していると言われますが、カリスマ創業者がいる場合には、やはり難しいものなのでしょう。
もう1つは、クリエイター対資本主義です。人々に愛されるプロダクトやブランドを作り、それをマネタイズするとき、資本主義的な経済的合理性を徹底してしまうと、創り上げたものが壊れて愛されなくなるか、少なくともクリエイターたちが嫌気がさして辞めてしまうことがあるのではないでしょうか。これを読んでいるあなたがクリエイタータイプであれば思い当たる節があってため息をつくでしょうし、逆に合理主義のビジネスパーソンであれば別の意味で思い当たるでしょう。「ビジネスなんだから、少しは大人になれ」と。
『インスタグラム:野望の果ての真実』は、今をときめく人気アプリの誕生とM&A後の内情に迫ったストーリー、そして人間ドラマとして、この業界に身を置く人であれば読んで損はない1冊だと思います。読み始めてから読み終えるまで1度もSNSを開かずに3時間ぶっ通しで読み続けた本は、私には久しぶりでした。ニューヨーク・タイムズが本書のことを、映画「ソーシャル・ネットワーク」の続編だと評するのも納得です。
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