本記事は豊田菜保子さんによる寄稿です。豊田さんは、楽天をはじめ、国内外の企業で人材育成やダイバーシティ推進を専門としてきました。現在は、スタートアップや起業家人材の支援プログラムを主に自治体と協力して企画・運営する傍ら、スタートアップやテック企業向けに「人」「チーム」「コミュニケーション」に注目した研修やアドバイザリーを提供しています。
「CHRO(Chief Human Resource Officer:人事最高責任者)を探しているが見つからない」というスタートアップは少なくありません。そうしたスタートアップの経営メンバーに、求めている人材像を尋ねてみると、組織づくりを含め幅広く人事実務を経験した「若手のオールラウンダー」という答えが返ってきます。しかし、残念ながら日本の人事に若手のオールラウンダーはほとんど存在しません。
簡単に背景を説明するため、下記リストに人事の専門性を領域ごとに大枠で分類しました。
- 採用:欲しい人材を引きつけ、獲得するプロセスを作って回す
- 労務:国や会社が決めた組織運営のルールに従って手続きをする
- 給与支払:正しい額の給与を、決められた日時に、確実に支払う
- 報酬・福利厚生:待遇面が正当かつ競争力があることを確認・説明する
- HRIS (Human Resources Information System):従業員データを管理・活用する
- 人材育成/組織開発:個人やチームの能力や成果を高める機会を提供する
- ER(Employee Relations):従業員のエンゲージメントを向上する
こうしてみると、必要とされるスキルや知識の多様さがお分かりいただけると思います。また欧米と違って大学で「人事」を専攻した人もいませんし、心理学や人間科学を学んだ人が優先的に配属されるわけでもありません。新卒またはキャリアの途中で人事に配属され、背景知識がゼロの状態から業務を通じて専門性を身につけます。採用1つとっても、新卒・中途・エグゼクティブ・エンジニアと対象ごとにノウハウは違いますし、社内異動を重ねて人事の全てを経験するまでには長い年月がかかってしまうのです。
若手のオールラウンダーを探していると、母数が圧倒的に少ないためになかなか候補者が見つかりません。見つかったとしても、他社との獲得競争、自社への興味の度合い、組織文化との適合性などでスクリーニングすると、CHROを採用できる可能性はかなり小さくなってしまいます。
こうした事情を考慮して、スタートアップのCHRO採用に際しては、すでに組織が相当大きくなっている場合を除いて、過去の経験の量や幅よりも適性やポテンシャルを重視するべきです。以下では、実際に候補者を面接するにあたって、採用の判断基準となるポイントを見ていきましょう。
妥協すると後悔する3つの前提条件
基本的なことですが、事業やミッションへの強い共感は絶対条件です。難易度が高いCXO採用だからこそ、こうした基本的な部分が曖昧にならないよう注意しましょう。「成長著しいスタートアップで働きたい」という理由だけで入社した人材は、勢いが少しでも頭打ちになると他の成長企業に目移りしてしまいがちです。Airbnbの創業者は「余命1年でも我が社で働くか」と初期の採用面接で聞いていたそうです。これは極端な例だとしても、苦しい局面でCHROが抜けて組織の求心力を失うような事態にならないよう、自社のやっていることに思い入れを持てる候補者を選びましょう。
リスクや不確実性に対する寛容さも重要です。何が起こるか分からないことに対してストレスや恐怖を感じるのではなく、可能性を感じてワクワクする感性を持っているか。これは本人の気質もありますし、家族の価値観や経済状況、社会人として勤めてきた企業の環境や組織文化も影響します。コンサル出身の候補者の場合は、この点で未知数な部分があります。十分な量の情報を分析・検討してなるべくリスクや不確実性を排除した提案をまとめるスキルは高い反面、時には情報が不十分な状況でも判断して実行しなければいけない事業会社で本人がどう感じるかは、実際にやってみるまで分からないからです。
前提条件の3つ目は、”Resourcefulness(機知)” です。分からないことは調べて学ぶ。ないものは見つけて持ってくる。予算がないならお金がかからない方法を探して実行する。こうした姿勢を持った人材でないと、スタートアップの経営チームでの成功は難しいでしょう。
面接では何を見る?
「経験より適性で判断」とはいっても、適性の判断はSPIのようなテストや架空のシチュエーションに関する話ではなく、これまでの経験をベースに行います。候補者の話を聞いた後で、事実確認のためにリファレンスチェック(前職の上司や同僚へのヒアリング)ができれば理想です。面接では、5つのポイントに注目して話を聞いてみましょう。
(1)全社または部内横断プロジェクトの経験
例えば、人材育成チームで全社の管理職向け研修の企画を任されたり、ERチームの従業員体験向上タスクフォースでリーダーとして他の人事領域の担当者と連携したり、といった経験です。こうした役割を任せられたということは、優秀かつ組織を巻き込む力があると認められた証拠です。さらに、結果としてビジネスの現場感が養われたり、自分の専門領域以外を含めた人事の全体感がつかめたり、CHROに求められるスキル獲得にもつながっているはずです。
(2)課題を自発的に発見して解決策を実行した経験
これは「誰にも頼まれずに自分で仕事を創ったことがあるか」と言い換えることもできます。日本のほとんどの企業では、言われたことをこなしていれば個人の日々は忙しく過ぎていき、組織はある程度の質で回るように業務が設計されています。何かがうまくいっていないと感じ取ったり、もっと効率的にできるのではと考えられるようなアンテナの鋭さを維持できる人材は貴重です。さらに代替案を提案して実行できるエネルギーがある候補者であれば、ポテンシャルは高いと言えるでしょう。
(3)言語化、ナレッジ化、仕組み化の経験
言語化とは、曖昧な概念を分析・整理して、第三者でも理解しやすいメッセージに落とし込む能力。ナレッジ化は、1人ができることを他の人たちが再現できるように共有可能な情報パッケージにすること。仕組み化は、単発でできることの持続性と質を担保するプロセスを設計して実現することです。
例えば、営業責任者から「従来の『御用聞き』営業から『提案型』営業に転換したい」という希望があったときに、『御用聞き』や『提案型』という概念が具体的にはどのような行動様式を意味するのか定義するのが言語化です。実際に提案型営業で成功している社員を見つけて仕事のやり方を分析し、研修やマニュアルにまとめればナレッジ化できます。これを仕組み化するには、提案営業型の行動を人事考課の評価項目に含めたり、営業部員の求人広告や採用基準に明記するなどが考えられます。
(4)人事コストを投資とリターンで考えた経験
近年の潮流である戦略人事的な考え方では、人や組織にかかるコストは全てビジネス投資でありリターンとのバランスで判断や優先順位が決まります。人事を含め管理部門がコストセンターと呼ばれていた時代の名残で、「いただいた予算の中で節約するのが正義」という考えが根強い企業で働く人事パーソンはこの観点が欠落しがちです。
例えば、開発スピードが目標に達していないとして、追加エンジニアを雇うのと、既存のエンジニアの生産性を向上するのと、どちらが少ない投資で大きなリターンを得られるか数字で考えられるでしょうか。研修の企画であれば、講師費用だけでなく参加者の時間的費用も金額に変換して、求める成果に見合っているか検討した経験があるか確認しましょう。
(5)リーダーシップ&フォロワーシップの経験
自分が中心となって集団をまとめるリーダーシップと、リーダーを盛り立てて支えるフォロワーシップ。CHROにとっては、どちらも重要な経験でありスキルです。例えば、リーダーとしては世界の潮流やニーズの変化を敏感に察知して、社内に新しい風を取り入れるのが得意な人がいるとします。同じ人がフォロワーになった場合、社内の事情に詳しく仲間内の信頼が厚いリーダーの下で、自社内にはないユニークな視点を提供する役割であれば自然体で価値を提供しやすいでしょう。
大事なのは両方の役割で成功体験があり、自分がリーダーやフォロワーとして最も価値を提供しやすいパターン(=スタイル)を知っていることです。先に挙げたような自分の得意なパターンに関する自己認識を共有してもらうと、自社の既存の経営メンバーとの相互補完性やシナジーを予想しやすくなります。
採用の判断については企業ごとに様々な要素があると思いますが、上記5つのポイントは少なくとも把握しておきましょう。
自分に問いかけるべき3つの質問
最後に、CHROを採用する経営者側が自分に問いかけるべき質問を3つ挙げておきます。
1つ目は、その候補者と長い時間一緒に過ごしたいかどうかです。これは直感的なもので、自分に嘘をつかないことが大切です。元々友人として何時間もお酒やコーヒーを飲みながら話をしたり、自社の人や組織に関する相談に乗ってもらう関係だったりした場合は心配ありません。そうでない場合には、実際に短期のプロジェクトなど一緒に仕事をしてみるのが最も確実ですが、集中して議論する時間を持ったり、StripeがSunday Testと呼ぶような「日曜日に仕事をするとして、この人が出勤すると知っていたらオフィスに行きたくなるか」といった想像をしてみるのも有効です。
スタートアップのCEOとCHROの会話は、数字に基づいたロジカルな部分もありますが、より概念的で漠然としていて、感覚的でエモーショナルな内容が多くなります。15〜30分でサクッと話す会議だけでなく、じっくり時間をかけて議論を重ねることが増えるのです。今面接で向き合っている候補者とそれができるかは、職務経歴書を見ても判断できません。話している間に感じる化学反応のサインは無視しないほうが賢明です。
2つ目は、目の前にいる候補者の意見に影響を受けた結果、自分がこれまでの考え方を変える場面が想像できるかどうかです。世の中には色々なタイプの「優秀さ」が存在して、どんなコミュニケーションに説得力を感じるかも人それぞれ違います。学歴に優秀さを見出す人もいれば、現場経験こそが優秀さの証と考える人もいます。理詰めのデータ分析に心動かされる人もいれば、数字では表現できない本質的な指摘に腹落ちする人もいます。重要なのは、候補者を優秀で信頼できると感じ、意見が対立したときには状況によって相手の意見を自分の意見より優先できるかどうかです。
最後に自分に問いかけるべき質問は、組織課題をCHROに丸投げしようとしていないかという点です。どんなに会社が大きくなって役割が細分化しても、組織の課題はCEOマターです。いくら優秀なCHROを採用して権限を与えても、CEOが組織と向き合わなければ社員は敏感に察知して空中分解してしまいます。CHROをCFO同様に経営のパートナーとして位置付け、採用した人物が自社で成功するためにどんな支援も厭わない準備があるか、採用前に今一度問いかけてみましょう。この答えがYESであれば、CHRO採用の成功率は大きく向上するでしょう。
Contributing Writer @ Coral Capital