本記事はTemma Abe氏による寄稿です。Abe氏は東京大学経済学部を卒業後に新卒で三菱商事に入社。2016年からのアクセンチュア勤務を経て、2019年からは米国西海岸に在住し、UC BerkeleyのMBAプログラムを経て、シリコンバレーで勤務しています。現地テック業界で流行のニュースレターやポッドキャストを数多く購読しており、そこから得られる情報やインサイトを日本語で発信する活動をされています。
2023年が始まってまもない中で、既にSalesforce、Microsoft、Amazon、Googleなどの巨大テック企業において1万人規模のレイオフが発表され、大きな話題になっています。新年になったタイミングで立て続けに発表されているのは、おそらく対象となる従業員の生活への影響も考えて、11月末のThanksgivingから12月末のChristmasにかけてアメリカ人が家族で過ごすホリデーシーズンを避けたからだろうと推測されます。
まず最初に、2022年から始まったレイオフの推移を知るには以下のグラフが分かりやすいです。11月にはビッグネームによる大規模なレイオフがありましたが、それ以前にも(グラフのAll other companiesに該当する中小企業・スタートアップも含めて)数多くの企業が人員削減を実施しているのが分かります。
(Visual Capitalist: Tracking Tech Layoffs)
また、スタートアップから大企業まで各社のレイオフに関する情報をまとめているLayoffs.fyiという秀逸なサイトがあります。細かく企業別の数値等を見てみたい方はフォローされることをお勧めします。公開に同意している企業や従業員については、個人名まで掲載されています。もちろん、再就職の手助けになるかもしれないという善意から来るものです。
(Layoffs.fyi:2023年1月21日時点の時系列でのレイオフ一覧)
上記のように、米国テクノロジー業界で大規模なレイオフが起こっているのは周知の事実ですが、この記事を書こうと思った背景は、一般的な報道の中ではあまり取り上げられていない一面・ニュアンスがあると感じたからです。
例えば私が見かけた言説として、「テクノロジー業界から不況が始まっている」「巨大テック企業も大量解雇しなければならないほど業績不振になっている」「テクノロジー業界はもはや魅力的な職場ではなくなった」「すぐに解雇できるのがアメリカの強みだ」「十分過ぎる退職パッケージがあるから余裕をもって転職活動をすることができる」などがありますが、これらは当たっている部分もあれば、必ずしもそうではない部分もある、といったニュアンスの話をしたいと思います。
目次
- (実は)テクノロジー業界がアメリカの雇用に占める割合は極めて小さい
- (さらに)テクノロジー業界の雇用・再就職状況も実はそれほど悪くはない
- (とはいえ)アメリカにおける失業は人生を左右するインパクトをもたらし得る
- (なので)レイオフ以外にも様々なコスト削減策は実施されている
- (それでも)業界全体の雇用調整が発生するのは時間の問題だった
1:(実は)テクノロジー業界がアメリカの雇用に占める割合は極めて小さい
ネームバリューのある企業によるレイオフはニュース価値が高く、それが立て続けに見出しに登場すると、米国経済は大変なことになっているのではないか、という印象を持ってしまうかもしれません。しかし、統計データは違う現実を示しています。
- テクノロジー業界は米国全体の2%、約500万人しか雇用していない(Axios Markets)
- 2022年11月までに約187,000人がレイオフされたが、米国全体の0.1%程度(CNBC)
- 2022年12月の米国全体の失業率は3.5%と、半世紀ぶりの低水準だった(Axios)
- 2022年12月の失業申請は数カ月ぶりの低水準だった(Axios Macro)
- 2022年12月には米国全体で大企業は151,000人の雇用を削減したが、中堅・中小企業の雇用は非常に堅調で、全体では235,000人の雇用増となった(ADP)
つまり、現時点ではレイオフはテクノロジー業界の限られた世界で起こっているものであり、米国全体の労働市場は依然として、インフレ対策に苦心する中央銀行を悩ませるほどに強いということです。
Scott GallowayはこれをPatagonia Vest Recession(パタゴニアのベストを着ている人達にとっての不況)と表現しています。米国在住経験のある方はピンと来るかもしれませんが、テック企業・投資銀行・VC・MBAなどのセグメントの人達が、企業ロゴの入ったパタゴニア製品をこぞって着ていることを皮肉ったものです。
2:(さらに)テクノロジー業界の雇用・再就職状況も実はそれほど悪くはない
さらに、テクノロジー業界の統計も、実はそれほど悪くない実態を示唆しています。2023年1月初めに公開されたCompTIAのレポートによれば、
- テクノロジー業界の雇用人数は(レイオフが行われている中でも)25カ月連続で純増している
- テクノロジー業界の失業率はほぼ横ばいで、経済全体のそれよりも低い
- テクノロジー職種の求人件数は減少傾向にあるが、それでも2022年12月で246,000件もあった
(CompTIA:Tech Jobs Report)
また、レイオフされた労働者も割とすぐに、場合によってはより良い条件の仕事が見つかっていることを示唆するデータもあります。
- レイオフされた労働者の失業期間の中央値は8.4週間であり、コロナ禍前の9.7週間よりも短くなっている(Axios Macro)
- レイオフされた労働者の37%は1カ月で新たな仕事が見つかっている(ZipRecruiter)
- レイオフされた労働者の72%は3カ月以内に仕事を見つけており、そのうち半数以上が前職よりも良い報酬を獲得した(Business Insider)
(Business Insider: The hidden upside of tech layoffs)
ただし、冒頭で述べた通り、2023年に入ってから巨大テック企業による1万人規模のレイオフが相次いでおり、このトレンドが今後も継続すれば労働市場は供給過多となり、就職活動は厳しくなる可能性が高いことが予想されます。
3:(とはいえ)アメリカでの失業は人生を左右するインパクトをもたらし得る
上記ではマクロ的な観点でテクノロジー業界のレイオフを眺めてきましたが、当然ながら影響を受ける個人にとってレイオフは厳しく辛い経験になり得ます。そして特にアメリカにおける失業がもたらし得る特殊なリスクが存在します。
まず他国ではあまり見られない特殊な制度として、アメリカでは雇われる企業を通じて健康保険に加入することが一般的である、ということです。アメリカの求人募集には福利厚生として「手厚い健康保険」を謳う企業が多く、実際に企業によって保険の種類・自己負担比率・保険料・扶養家族の取り扱いなどで差があります。
失業中であっても公的保険によるカバーがゼロになる訳ではないのですが、かなり限定的になります。そうすると、もし仮に高額の医療費がかかる病気になってしまった場合には、治療をあきらめるか、多額の自己負担を強いられるリスクが発生します。そもそもアメリカの医療費は(日本人の感覚からすると)異常に高く、アメリカにおける破産の最大の原因は医療費であるとも言われています(下記グラフ参照)。例えば私個人的な体験談を紹介すると、子供が額をテーブルにぶつけて切ってしまい病院に連れて行った時には、(緊急性が低いとして3~4時間待たされてから数十分で終わる治療をようやくしてもらったのですが)確か治療費総額は約60~70万円で自己負担額が2~3万円だったと記憶しています。健康保険でのカバーがないと一瞬で大変な出費が発生し得ますし、そもそも特定の保険に加入していないと病院で治療を受け付けてくれないことがあります。
当然、企業側もそれを分かっているので、レイオフ後も数カ月~半年くらいは健康保険を維持する退職パッケージを提供してくれる所が多いのも事実です。ただ、ケースバイケースですし、再就職するまでに期限が切れてしまうリスクを意識しなければなりません。
(Business Insider/Andy Kiersz, data from American Journal of Public Health)
次に、アメリカ、特にテクノロジー業界では多数の外国人が労働ビザで就労しています。ビザで働く外国人にとってのレイオフのインパクトは、アメリカ人とは比べ物になりません。一般的なH1-Bビザの場合は、60日以内に次の雇用を見つけられなければビザの期限が切れてしまい、国外退去しなければなりません。また、L-1ビザ(駐在員ビザ)の場合は原則として雇用が切れた時点ですぐに国外退去となります。
なので、前述したマクロデータからは「3カ月頑張ればおそらく次の仕事は見つかる」という希望を持てるかもしれませんが、ビザ労働者にはそのような余裕はなく、レイオフのショックの心の整理をする暇もない中で、すぐに大きなプレッシャーを感じながら転職活動を始めなければなりません。LinkedInのタイムラインでは、厳しい状況にあるビザ労働者による職探しのポストと、彼や彼女らの就職活動をサポートするポストが昨年から数多く見られるようになりました。
さらに、レイオフされなかったビザ労働者にとってもアメリカにおける就労環境が厳しくなったことを示す一件がありました。The Informationによると、
Googleは、米国で働くビザを保有する従業員が永住権を取得するための最初のステップである、永住権労働証明書の申請プロセスを一時停止することにした。同社は労働者に対し、ここ数カ月で解雇されたテクノロジー業界のアメリカ人労働者の数を考えると、外国人労働者のグリーンカード取得を支援することは困難であると伝えたと、ある関係者は述べている。
補足すると、一般的にビザ労働者は、F-1(OPT)・H-1Bビザなどで米国企業に就職し、そこで数年間働く中で永住権(グリーンカード)をスポンサーしてもらい、取得後はビザの制限を気にせずに就労ができるようになる、というルートを辿ります。過去10〜15年くらいはエンジニアを大量に採用するテクノロジー企業が最大のビザスポンサーであり、基本的に各社ともにグリーンカードのスポンサーもしていました。
その代表的な企業であるGoogleが上記の方針変更をしたことは、今後業界全体に波及効果が出るかもしれません。このトレンドはインドなどの優秀なエンジニア層をアメリカが獲得しにくくなるという点で人材の流出・流入の減少に繋がる可能性があります。
(Visual Capitalist: The Data Behind America’s H-1B Visa Program)
4:(なので)レイオフ以外にも様々なコスト削減策は実施されている
アメリカでは比較的レイオフを行いやすいとはいえ、上記で説明した通り、従業員の生活へのインパクトやレピュテーションリスクも踏まえると、そんなに簡単にレイオフの意思決定をしている訳ではありません。
例えば、昨今のレイオフとは文脈が少し異なりますが、コロナ危機が直撃して会社の存続が危ぶまれたAirbnbは以下の施策を実行しました。
- マーケティングコストを約1,000億円削減
- 事業領域の選択と集中を明確化
- 上記にあわせて、社員の25%にあたる1,900人をレイオフ
- 経営陣の給料を大幅にカット
- Silver Lake(ファンド)から大型の借入
(私が以前にAirbnbについて書いたCoral Insightsへの寄稿記事から抜粋)
Airbnb以外でも、昨年から始まった株式市場・資金調達環境・経済環境の変化の中で、各社はレイオフ以外にもさまざまなコスト削減に取り組んでいます。
- 広告費削減:GoogleやMetaの売上の成長鈍化などからも分かる通り、広告費用は不況時に調整しやすい代表的なコストです。Y Combinatorが昨年スタートアップに向けて発信した冬の時代をサバイブする方法の一つとして挙げられていました。
- 出張・会合の制限:最近になってレイオフを発表したGoogleやMicrosoftは、それ以前から出張やチームの会合を禁止・削減するポリシーを導入していました。
- 調達コスト最適化:最近寄稿記事の中で紹介したSaaS Management Platformの流行や、最近はクラウドコストを最適化する活動としてFinOpsという言葉を良く聞くようになりました。各社Cloud・SaaS・Outsourcing・Consultingなどあらゆる領域でベンダーを精査をしています。
- 経営陣の給与カット:Airbnbの事例もありますし、直近では数少ないレイオフ未実施のテック企業であるAppleのTim Cook CEOによる報酬の40%カットが話題になりました。米国巨大企業の経営陣の報酬は圧倒的に高く、CEO一人分の削減だけで従業員数百人分に相当するケースもあります。
- 採用凍結・内定取り消し:これはレイオフに近い施策ではありますが、いったん雇った従業員を解雇する場合に比べてコストや訴訟リスクが低いので、優先される施策になります。とはいえ、仮想通貨市場の暴落の影響を受けたCoinbaseが他社に先駆けて大規模な内定取り消しを発表した際には、LinkedInなどで批判が殺到するといったケースもありました(2022年6月時点ではまだレイオフのニュースが少なかったことも大きく、現在ではあまり騒がれないかもしれませんが)。
5:(それでも)業界全体の雇用調整が発生するのは時間の問題だった
上記の通り、レイオフ以外のコスト削減策もあらゆる領域で行われているはずですが、それでもテクノロジー業界で雇用調整が起こるのは、振り返ってみれば時間の問題だったとも言えます。巨大テック企業が1万人規模のレイオフをしているとは言え、以下のチャートから分かる通り、Meta、 Microsoft、Alphabetのいずれもコロナ前よりも従業員数は依然として多く、5年前と比べて1.5~2倍くらいの水準になっています。一方でAppleは他のテック企業と比べて急速な人員増加を行っておらず、それが現時点ではレイオフをしていない大きな理由なのではないかと言われています。(参照)
(Chatr: Newsletter on 2023/1/23)
以下では有識者達が、テック企業による近年の急速な人員増加と、その対策としてのレイオフについてどのように捉えているのか紹介していきます。
ノースカロライナ大学テクノロジー政策センターのMatt Peraultは、過去数年間にテクノロジー企業による人員増加がもたらした効果について懐疑的であると、Axiosに対して述べています。
- 例えば、Metaは2018年末から2021年末にかけて従業員規模が倍増しているが、人件費増加に見合ったペースで、企業の影響力やイノベーションを高められたかは、私にはわからない。
- 私は、企業の生産性に悪影響を及ぼすことなく、ある程度の人員削減を実施することができると想像しています。
また、カリフォルニア大学バークレー校の経営大学院教授であるSaikat Chaudhuriは、今は各社にとってレイオフを実施する絶好のタイミングとなった、と語ります。
- 技術職の求人情報は2022年3月にピークを迎え、それ以降減少しています。トレンドが反転するポイントにぶつかったのです。今か、1年後か、2年後か、いずれは起こることでした。そして、経済全体や世界政治で起こっていることと重なり、パーフェクト・ストーム(完璧な嵐)につながっているのです。
- この状況は、雇用主にとっても大きな言い訳になる。彼らは言う。「不況がやってくる。不況が来るから、人を辞めさせなければならない」。最初のドミノが倒れれば、他のドミノが続くのはたやすいことだ。
Axiosは、株価が低迷するテクノロジー企業のCEOにとって、レイオフは株主に対してアクションを取っていることを示す手段になりやすい、と言います。
- 2022年のナスダックは、33%の下落という創業以来4番目に悪いパフォーマンスとなった。
- テクノロジー企業のCEOが自分たちの高給な仕事にしがみつくためには、そのダウントレンドを反転させるために、何かをしているところを見せる必要がある。
- レイオフは、落ち着かない投資家をなだめるための常套手段である。
- 経営陣はマーケットの空気を読んでおり、Wall Streetが人員削減を望んでいることを理解している。
最後に、Alphabet/Googleに対して数カ月前から人員削減の要求をしているアクティビスト投資家TCI Fund Managementが、先日実施された12,000人のレイオフ直後にCEO宛てに出した公開レターはかなり刺激的です。Alphabetの経営陣が今後どのような判断をするのか注目です。
- ファーストステップとしてのレイオフは評価するが、2022年に採用した人数分の削減にも満たないレベルなので、追加で数倍の規模の削減が必要である。
- 中央値30万ドルという従業員の報酬も高すぎるから、株式報酬などは削減するべきだ。
終わりに
この記事では世間を賑わせている米国テック業界におけるレイオフについて、複数の観点から見てきました。報道で騒がれている程には悪くない、といったポジティブな見方も可能ではありますが、総じて徐々に暗い雰囲気が強まってきていることは間違いありません。
そんな中で「テクノロジー業界の悲観論者」「レイオフご意見番」といった不名誉な称号を手にしてしまった前述のlayoffs.fyiの運営者は、テクノロジー業界の明るい一面を取り上げるcomprehensive.ioという別のデータベースを構築しました。これは、ニューヨーク州やカリフォルニア州が制定した法律に基づき、企業は公開求人の報酬レンジを開示しなければならなくなったことを受けて、関連するウェブ上の情報をデータベースに集約するというアイディアです。
少しこのデータを眺めると、まだまだ米国テクノロジー業界には、他国や他の業界に比べて魅力的な報酬の機会がありそうな気がします。2~3,000万円のレンジの報酬は一般的であり、ケースによっては1億円を超える報酬も見られます。今後のレイオフの進行や経済の進展に伴い、報酬の水準にも変化が出てくるのかという点にも注目です。
(comprehensive.ioの2023年1月22日時点のトップページ)
Contributing Writer @ Coral Capital