日本の移民政策について本格的に調べ始めたのは、このテーマが政治的にあまりに炎上しやすくなっていて、表面的な印象を信じるわけにはいかないと感じたからです。
かつて日本で移民といえば、どちらかといえば実務的な政策議論でした。人手不足、ビザ、技能実習、日本語教育、永住権。それが次第に、感情的なものへと変わってきています。
感情的になっているのは、日本人有権者だけではありません。何年もこの国に住み、日本語を話し、政治的な議論のニュアンスまで追える外国人のあいだでも、同じことが起きています。
普段、どのような媒体や記事に触れているかによって、目にする日本の姿はまるで違います。外国人に飲み込まれつつある国か、排外主義へ傾きつつある国か。私には、そのどちらの見立ても、実態を理解するのに有益だとは、あまり思えませんでした。
だからこそ、データに立ち返り、より基本的な問いをいくつか検討することにしました。移民は実際にどれだけ増えたのか。どのような人がどこから来ているのか。日本は本当に開かれた国になったのか。指摘されている懸念のうち、データで裏づけられるものはどれで、誇張されているものはどれなのか。なぜ世論はこれほど急速に変わったのか。そしておそらく最も重要なのは、政策が実際にはどのような方向へ進んでいるのか、ということです。
そして私にとって、これは純粋に学問的な問いとして距離を置いて眺められるテーマではありません。
私は日本で育ち、人生の大半をこの国で過ごしてきた外国人です。日本は私の故郷です。この国で2社を創業し、100社を超える企業に投資してきました。私が立ち上げに関わったり、出資したりした企業は、いま数千人の雇用を生んでいます。
ここには、長く日本で暮らす外国人の多くが感じているであろう、ある種の葛藤があります。
一方で、事実関係を丁寧に追ってみると、最近の反発について以前より理解できるようになった部分があります。外国人人口は実際に急増しています。日本は、共生や取り締まりの体制の一部が追いつかないほどの速さで、受け入れを拡大させてきました。制度の悪用、ルールが守られていない実態、地域社会との摩擦には実際の事例があり、それらを排外主義のひと言で片づけるべきではありません。
とはいえ、議論のトーンが変わってきていることに、居心地の悪さを感じているのも事実です。政治の場で「外国人」が管理すべき問題として語られる場面が増えてくると、この国で社会的基盤と人生を築いてきた私のような人間にとって、それが長期的に何を意味するのかを考えずにはいられなくなります。
調べてわかったのは、実態は世に流布する言説よりもずっと複雑である一方で、思ったほど心配しなくて良いという現実でした。
日本はいま、より多くの移民を受け入れる国になりながら、同時により厳格な移民管理国家にもなりつつあります。
この2つの流れは矛盾していません。そしておそらく、今後10年の日本の移民政策を規定していくことになります。
日本はこの30年、静かに移民政策を緩めてきた
日本は自らを「移民国家」と呼ぶようなことをしません。これはよく知られたことです。
しかし言葉の問題を脇に置いて、政府が実際に何をしてきたかを見れば、この30年の方向性はかなり明確です。日本は段階的に、外国人がこの国で暮らし、働きやすいような取り組みを増やしてきました。
2025年末時点で、日本の在留外国人は412万5000人。過去最多であり、400万人を超えたのはこれが初めてです。出入国在留管理庁の年末統計によれば、1年間で9.5%の増加でした。
比較のために言えば、同庁の過去統計にもとづく2015年の在留外国人は約223万人でした。つまり在留外国人はわずか10年で約85%増え、1990年代半ばからは約3倍になっています。
これは、一度の大胆な移民制度改革によって起きたことではありません。日本は少しずつ扉を開いてきました。
初期の転換点のひとつは1990年前後です。入管法が改正され、日系二世・三世、とりわけブラジルやペルーからの来日がしやすくなりました。
技能実習制度が創設されたのは1993年です。建前上の目的は、国際的な技能移転でした。
しかし時間が経つにつれ、この制度は人手不足の産業の労働力ニーズと深く結びついていきます。出入国在留管理庁自身も現在、既存の制度には掲げられた目的と実際の使われ方のあいだに大きな隔たりが生じたと認めています。
その後、日本はより明確に、専門人材へと門戸を開いていきます。
2012年には高度人材ポイント制が始まり、学歴・職歴・年収の基準を満たす人に在留上の優遇が与えられるようになりました。制度の詳細は出入国在留管理庁が公開しています。
2023年には特別高度人材制度(J-Skip)と未来創造人材制度(J-Find)が導入され、特に高い資格を持つ専門人材や、海外のトップレベルの大学の卒業生に向けた新たな入口が用意されました。たとえばJ-Skipは、一定の経歴要件を満たす高所得の専門人材を優遇する仕組みです。
スタートアップビザも、海外の起業家が日本で事業の準備期間を過ごせる道をつくりました。経済産業省の「外国人起業活動促進事業」、いわゆるスタートアップビザの枠組みでは、要件を満たす創業者は、より長期の在留資格に移行するまでに最大2年間の準備期間を得られます。
しかし、考え方の面で本当の転換が起きたのは2019年、特定技能制度の創設でした。
日本が事実上、初めて公然とこう述べたのです。国内では働き手が足りない産業がある、だからその仕事を担ってもらうために外国人を受け入れる、と。
これは、同じ人たちを「実習生」と呼ぶのとは、まったく違います。
この転換は2027年4月にいっそう明確になります。技能実習制度が、新しい育成就労制度へと置き換わり始めるからです。出入国在留管理庁は新制度について、人材を育成すると同時に、人手不足の産業の労働力を確保するための制度だと明言しています。
言い換えれば日本は、この30年の大半を、「移民」という政治的な言葉を避けながら移民制度をつくることに費やしてきたわけです。
しかし、その使い分けはもう維持しにくくなっています。
規模だけでなく、顔ぶれも大きく変わった
多くの日本人が抱いている「日本にいる外国人」のイメージは、数十年前のまま止まっています。
かつて外国人といえば、日本に深い歴史的ルーツを持つ韓国・朝鮮籍の人々、中国からの移住者、欧米からの駐在員、そして大量に来日した日系ブラジル人・ペルー人が中心でした。
いま増加分の圧倒的多数を占めているのは、アジア、とりわけ東南アジアと南アジアの出身者です。
出入国在留管理庁の2025年の国籍別データによれば、最も規模が大きいのは中国の約93万人。次いでベトナムの68万1000人、韓国の40万7000人と続き、その後にフィリピン、ネパール、インドネシアの大きなコミュニティが並びます。
象徴的なのはベトナムでしょう。15年前には比較的小さかったコミュニティが、いまでは日本で2番目に大きな外国人国籍になっています。ネパールとインドネシアの伸びも際立っています。
労働統計を見ると、この変化はさらにはっきりします。
厚生労働省によれば、2025年10月時点の外国人労働者は257万1000人。これも過去最多で、1年間で11.7%増えました。国籍別ではベトナムが60万5906人で最も多く、次いで中国が43万1949人、フィリピンが26万869人となっています。
とはいえ、この約260万人を「外国人労働者」というひとつの塊として扱っても、実態は見えてきません。
同じ厚労省のデータでは、いま最大の区分は専門的・技術的分野の在留資格で、約86万6000人。次いで、永住者や日本人の配偶者など、就労に比較的制限のない在留資格を持つ人が約64万6000人います。技能実習は約49万9000人。そして留学生などが、本来の在留目的の外で働く許可(資格外活動許可)を得て就労しているケースが約44万9000人です。
ベトナム人の技能実習生、アルバイトをする日本語学校のネパール人留学生、アメリカ人のソフトウェアエンジニア、ブラジル人の永住者、中国人の経営幹部。そのすべてが、日本の「外国人人口」のどこかにカウントされています。
来日の理由も、経済的な状況も、この国に定住する可能性も、まったく異なるにもかかわらずです。
これが問題なのは、政治の議論がこうしたカテゴリーのすべてを、観光客や不法滞在者までひっくるめて、「外国人」というたったひと言に押し込めてしまうからです。
なぜ反発はこれほど強まったのか
受け入れへの反発は、確かに存在します。
同じ回答者を継続的に追跡する東京大学のパネル調査では、外国人のさらなる受け入れに反対する回答者の割合が、2024年の35.6%から2026年には56.3%へ上昇しました。2026年8月に公表されたこの結果は、増加が性別や世代を問わず見られ、とりわけ若い層で顕著だったことを示しています。
早稲田大学が実施した別の調査では、2025年時点で回答者の73%が、外国人の増加によって治安や社会秩序が悪化することを懸念していました。政治や社会の情報収集にSNSを頻繁に使う層では84%、ほとんど使わない層では67%という差もありました。ただしこれは相関であって、SNSが変化を引き起こしたことの証明ではありません。
政治の側も、これに呼応しています。
参政党の2026年の政策カタログは、外国人の受け入れ数の上限設定、永住許可や家族の呼び寄せ要件の厳格化、日本語要件の強化、低技能分野の受け入れ制限を掲げています。さらに、市区町村単位での外国人比率の目標値まで提案しました。
日本維新の会も、現行の政策で明示的な量的管理へ踏み込んでいます。打ち出しているのは、外国人比率の上限設定の検討、量的管理の対象となる在留区分の拡大、そして永住や家族帯同への日本語要件の追加です。
自民党は、法の執行や社会保険への適正な加入、不法滞在や土地所有への対応、日本語学習、そして同党のいう「秩序ある共生」に、これまで以上に重点を置くようになりました。その方向性は、2026年の外国人政策に関する提言にまとめられています。
ただ、この反発をナショナリズムだけの問題として見ると、実際に起きていることの多くを見落とします。
少なくとも5つの力が、絡み合って反発を押し上げています。
第一は、増える速さそのものです。
外国人人口が年に9%も10%も増えれば、それは誰の目にもはっきり見えてきます。数十年かけて年1〜2%ずつ増えていくのとは、質的に違う現象です。
第二は、目に触れる機会の多さです。
外国人労働者は、日本のごく普通の日常のなかでますます存在感を増しています。コンビニ、飲食店、ホテル、工場、建設現場、宅配・配送の現場、そして介護施設。
第三は、観光の爆発的な伸びです。これが決まって移民の話と混同されます。
この要因は、多くの人が思っているよりずっと大きいと私は見ています。過去15年で、訪日外国人は861万人から4268万人へと、実に5倍にも増えているのです。
京都の混雑、観光客のマナー違反、民泊をめぐるトラブル、オーバーツーリズムへの住民の不満。どれも実在する問題です。しかしこれらを引き起こしているのは、観光のために一時的に滞在している外国人であり、その多くは地域の文化や規範を知りません。
にもかかわらず、そうした振る舞いはSNSで増幅されます。そして、何の落ち度もない在住外国人までが「外国人問題」の一部として括られる、誇張された物語ができあがっていきます。
しかし、京都で道をふさぐ観光客、地方で技能職に就くインドネシア人、東京に暮らすアメリカ人エンジニア。この3つは、まったく別の政策課題です。
ところが世の議論は、この3つをひとまとめにしてしまいがちです。
第四は、共生の仕組みづくりの遅れです。日本は受け入れを拡大する速さに、外国人を社会に受け入れ、統合していくための一貫した全国的な制度づくりが、まったく追いつきませんでした。
日本語教育、住宅、外国人の子どもの就学、社会保険への加入、労働者保護、地域との共生。これらは長らく、省庁と自治体のあいだで分散したままでした。
それが変わり始めています。内閣官房には「外国人との秩序ある共生社会推進室」が置かれました。2026年には、今後の外国人受け入れの基本的な枠組みと、日本語や生活習慣の学習プログラムの全国展開について、政府の正式な作業部会も立ち上がっています。
そして最後に、政治的なプロパガンダがあります。
外国人への不安が票になると政治家が気づいた瞬間、動機の構造が変わります。外国人が起こした事件、保険料の未納、地域でのトラブル。そうした個別のエピソードのひとつひとつが、政治的に使える材料になります。
背景にある問題が架空だという意味ではありません。ただ、それが増幅されるということです。
データに裏づけられた批判は、どれか
調べていくなかで、自分の先入観が調べる過程そのものをゆがめないよう最も慎重になったのが、この部分でした。
単なるレトリックだろうと思っていた懸念のなかには、実際に事実の裏づけを持つものがあります。逆に、母数や過去との比較に目を向けると、そうした主張の多くはすぐに成り立たなくなります。
犯罪の話は、少し時間をかける価値があります。移民をめぐるほぼすべての統計に共通する落とし穴が、そこに表れているからです。
外国人がかかわる犯罪は、近年増えています。それを否定するつもりはありません。
ただ、歴史的な文脈を踏まえると、解釈は大きく変わります。法務省の長期的な犯罪統計を見ると、外国人がかかわる刑事事件は、2000年代半ばのほうが現在よりはっきり多かったのです。
これは、移民が犯罪にまったく影響しないことの証明ではありません。しかし、「過去最多の移民が過去最多の外国人犯罪を生んでいる」という単純な物語が誤りであることは、はっきり示しています。
結論は、もっと限定的で現実的なものです。外国人がかかわる特定の類型の犯罪は増えており、そこには重点的な取り締まりが必要です。しかし日本がいま、歴史上前例のない外国人犯罪の波に見舞われているわけではありません。
社会保険についても、同じくらい慎重に見る必要があります。
徴収面に実際の問題があるのは事実です。政府は新しい外国人政策の枠組みの一環として、社会保険の制度側と入管当局のあいだの情報連携を強化しています。
これ自体は妥当な政策対応です。しかしネット上では、この話がしばしば「外国人が負担もせずに日本の医療や福祉を大量に食いつぶしている」という、はるかに大きな主張へと姿を変えていきます。
拡散されている主張のなかには、明確に事実と異なるものもあります。
2025年7月、福岡資麿厚生労働大臣は、外国人が国民健康保険料を毎年4000億円滞納しているという主張を公の場で否定しました。同省自身の数字によれば、日本人と外国人を合わせた制度全体の未納額でさえ、2022年度で約1457億円です。
同省はまた、中国人の生活保護受給者が5年で倍増したという主張も否定しています。数字を見ると、中国籍の人が世帯主である世帯の人数は2023年度で9471人。5年前は9059人でした。
生活保護をめぐるこの問題では、外国人受け入れに批判的な側にも、それを擁護する側にも、誤った認識があると思います。
在住外国人にまつわる懸念のすべてに「それは排外主義だ」と返すのは、建設的ではありません。かといって、外国人にまつわる個別のエピソードをひとつ取り上げ、そこから国家的な危機を導き出すのも同じく建設的ではありません。
政府は、この反発を確かに受け止めている
2025年以降に変わったのは、日本が「もう外国人はいらない」と決めたことではありません。経済の重要な部分では、むしろ逆のことが起きています。
変わったのは、誰を、どんな条件で受け入れ、来日後にどう振る舞ってもらうのか。その管理を強めたいという政府の姿勢です。
2026年1月、政府は「外国人の受入れ・秩序ある共生のための総合的対応策」と題する包括的なパッケージを決定しました。関連する政策プロセスや資料は、内閣官房を通じて公開されています。
政策の軸足も移りつつあります。税や社会保険をきちんと納めてもらうこと。不法滞在を減らすこと。在留資格の審査を厳正に運用すること。永住や定住のあり方を見直し、国と自治体の連携を深めること。労働力を呼び込むことから、そちらへと重心が動いています。
政府はさらに、もっと根本的な作業にも着手しました。
2026年8月、今後の外国人受け入れの基本的な枠組みそのものを検討する作業部会を立ち上げたのです。あわせて、日本語と生活習慣の学習プログラムを全国展開するための作業部会も始動しました。いずれも内閣官房の外国人政策のプロセスに位置づけられています。
これは、個別のビザ制度改革のどれよりも大きな意味を持つ可能性があります。
日本の従来の仕組みは、基本的にボトムアップでした。人手不足が生じる。新しい在留区分がつくられるか、既存のものが拡張される。企業がそれを使う。
移民政策はいま、より定量的に管理され、より中央集権的になり、法令や制度の遵守をこれまで以上に求める方向へと変わりつつあります。
右へ動く政治。ただし一枚岩ではない
各党の立場を調べていて最も重要だと感じたのは、日本の政治的な論争がもはや「移民を受け入れるか、受け入れないか」ではなくなってきていることです。
どれだけ受け入れるのか、どんな人を受け入れるのか、どこまで永続的な滞在を認めるのか、そしてそこにどんな義務を伴わせるのか。議論はそちらへ移りつつあります。
全国的に影響力を持つ政党のなかで、最も明確に受け入れ抑制の立場をとっているのは参政党です。2026年の政策では、受け入れ数の上限設定、日本語要件と定住要件の厳格化、低技能分野の受け入れ制限、そして地域ごとの外国人比率の明示的な目標値を掲げています。
日本維新の会も、量的な制限へはっきりと方向を定めました。現行の政策で提案しているのは、外国人比率の上限設定の検討と、量的管理の対象区分の拡大です。その一方で、イノベーションに寄与する高度人材・技術人材の積極的な誘致は支持しています。
自民党は、外国人の受け入れを一律に抑制すべきだとまでは考えていません。2つの考えを組み合わせる方向に進んでいます。日本には外国人労働者と在住外国人が必要だ。しかし受け入れ、共生、法の執行は、もっと慎重に設計されなければならない。
2026年の提言が強調するのは、在留管理の厳格化、不法滞在への対応強化、日本語教育、社会保険の適正な履行、そして今後の受け入れ規模をめぐる国民的議論です。
公明党は、多文化共生と権利保護をより重視しつつ、不法滞在、社会保険の未納、入管制度の悪用に対する厳格な対応も支持しています。
立憲民主党は、この論争のなかでかなり共生寄りに位置しています。提案しているのは、多文化共生社会基本法の制定、それを所管する「多文化共生庁」の設置、外国人労働者の権利保護の強化、そして在住外国人の社会統合に関する、これまでよりはるかに明確な国の枠組みです。
国民民主党は、より中道に近い位置にいます。必要な分野での外国人労働者の受け入れには賛成しつつ、新しい育成就労制度が恒常的に安い労働力を輸入する仕組みになってはならない、というのがその主張です。日本語教育や、外国人の家族・子どもへの支援も重視しています。
これらの立場のあいだには、大きな違いがあります。しかし、日本経済に対して重い責任を負う政党のなかで、外国人労働をまるごとなくせると主張している党はほとんどありません。
人口動態を考えれば、受け入れ制限には限界がある
日本は移民のルールを厳しくすることはできます。しかし、自国の人口動態による労働力不足の問題を消し去ることは簡単にはできません。
介護、建設、宿泊・飲食、農業、製造、運輸。どの分野も構造的な人手不足に直面しています。
厚生労働省によれば、すでに250万人を超える外国人労働者が日本経済のなかに組み込まれています。
その人たちがいなくなったところで、かつての経済的な均衡が戻ってくるわけではありません。働き手のいない仕事が残るだけです。つまり、最もありそうな帰結は、受け入れの逆戻りではありません。管理された拡大です。
日本は、企業と経済が必要とするところでは、これからも外国人の受け入れを増やしていくでしょう。同時に、法令の遵守、共生、定住については厳しくなっていくでしょう。
具体的に、私はこう見ています。受け入れ数の計画がより明示的になる。日本語要件がさらに広く使われる。在留審査が納税や社会保険の記録と強く結びつく。不法残留の取り締まりが厳しくなる。そして永住許可の前の審査も厳しくなる。
その一方で、高度人材は引き続き優遇されるでしょう。
高度専門職の制度はすでに、学歴・職歴・年収の基準を満たす人に在留上の優遇を与えています。J-Skipは、特に高度な専門性と高い年収を備えた人材に対し、さらに手厚い優遇措置を設けています。
日本は、AI研究者やエンジニア、グローバルな経営人材を減らしたいわけではありません。ただ、もっと相手を選びたいだけなのです。
スタートアップにとって、痛手になりうる領域がひとつある
スタートアップの観点から見ると、現在の政策には驚くほどちぐはぐさがあります。
一部の高度人材については比較的受け入れやすくしている一方で、一部の外国人起業家にとっては会社を立ち上げることが格段に難しくなっているのです。
最もわかりやすい例が、在留資格「経営・管理」です。2025年10月16日から、要件が劇的に厳しくなりました。
出入国在留管理庁の改正基準では、新規の申請者に原則として3000万円以上の資本金、または同等の事業資産が求められます。加えて、要件を満たす常勤職員を1人以上置くこと、そして申請者本人か常勤職員のいずれかが一定水準以上の日本語能力を持つことも条件になりました。職歴や学歴の要件も厳しくなっています。
政策当局が何を解決しようとしているのかは理解できます。日本では、実際に事業を行うことよりも在留資格の取得を目的に、実体の乏しい会社が設立されるケースがありました。要件を引き上げれば、そうした利用は難しくなります。
実際、この改正が驚くほど効果的だったことを示す指標があります。
ジャパンタイムズが報じた出入国在留管理庁のデータによれば、新要件の施行前、「経営・管理」の申請は月平均およそ1700件ありました。改正後、月に約70件にまで落ち込みました。
約96%の減少です。
政府はこの急減を肯定的に受け止めています。この在留資格が主に在留の手段として使われる状況を減らすことが、改正のねらいのひとつだったからです。
ただ、問うべきなのは、この結果が成功と呼べるかどうかです。96%の減少は、本当に日本にとって望ましい結果なのでしょうか。
それは、現時点ではまだわかりません。
消えた申請のうち一定の割合が、実体の乏しい事業や、名目上の会社を通じて在留資格を得ようとする試みだったことは、ほぼ間違いありません。それを止められたのは、プラスです。
しかし同じ要件によって、初期資本を3000万円用意できない、あるいは創業直後の段階で常勤職員を雇う必要がない、正当な創業者も同時にふるい落とされてしまいます。
2人で始めるAIスタートアップなら、物的な資本はほとんど要らないかもしれません。優秀な創業者は、プロダクトマーケットフィットに到達するまであえて採用を控えることもあります。その会社が、やがて数百人分の高給の雇用を生むかもしれません。
一方で、資本は要るが成長性の乏しい事業のほうが、この審査はむしろ通りやすかったりします。
つまりこの規制は、起業家としての潜在力ではなく、資本を用意できるかどうかを部分的に選別基準にしてしまっているのです。
データが教えてくれるのは、日本が「経営・管理」の申請を減らすことに極めて長けているということです。
新しいルールによって思いとどまった申請者が、最終的に日本にとってコストだったのか、それともプラスだったのか。そこまではデータは何も教えてくれません。
この区別が重要なのは、起業がもたらす成果の分布が極端に偏っているからです。新しく生まれる会社の大半は、小さいままか、失敗します。ごく一握りだけが巨大な価値を生み、大量の雇用と税収、そして技術的な波及効果をもたらします。べき乗則(Power Law)の世界です。
※べき乗則(Power Law)とは、ごく少数の極端な事例が、全体の結果のほとんどを決めてしまう分布のことです。人の身長のように平均のまわりに集まる分布と違い、平均値を見ても実態はつかめません。ベンチャー投資が典型で、投資先の大半は失敗するか小さくとどまり、ごく一部の成功がファンド全体のリターンを生みます。
だからこそ、従来型のコンプライアンス指標では大成功に見えながら、同時に無視できない経済的な機会損失を生む政策となることもありえます。
そしてその機会損失は、測ることがほとんど不可能です。
ビザが下りなくなった疑わしい事業の数なら、それは統計に現れます。しかし、創業者が日本ではなく、シンガポールやアメリカ、あるいは別のどこかを選んだために、この国で生まれることのなかった会社の数は、数えようがありません。
従来の500万円という基準が必ずしも正しかった、という意味ではありません。
「申請が96%減った」という事実が示すのは、この政策が極めて制限的だということだけです。それ自体は、政策が成功していることの証拠ではありません。
日本のスタートアップビザは、要件を満たす外国人創業者に最大2年の準備期間を認めることで、ある程度の緩和を用意しています。しかし日本にとどまって会社を経営したい創業者の多くは、いずれ「経営・管理」の要件に突き当たります。
日本が本気で海外の起業家を引きつけたいのであれば、この政策はいずれ調整が必要になると私は見ています。
実のところ、移民政策は産業政策の手段のひとつです。
各国が競っているのは、もはや単なる労働力ではありません。研究者、エンジニア、創業者、投資家、そして生産性の高い働き手という、特定の種類の人材です。
日本は、もっと慎重に制度を設計しなければ、本来呼び込みたいはずの人材まで遠ざけかねません。
日本はどこへ向かうのか
私は、今後10年も日本で暮らす外国人の数は大幅に増え続けると見ています。ただし、その増加を受け入れるための政治的な条件は変わっていくでしょう。
日本ではおそらく、外国人労働者が構造的に必要だと口に出すことに、以前より抵抗がなくなるでしょう。一方で、運用の緩さには厳しい姿勢を取っていくようになるはずです。
おおよそ1990年から2018年までは、「移民」と呼ばない入口(サイドドア)を通じた、静かな自由化の時代でした。
2019年から始まったのは、明示的な労働移民の登場です。
そして2025年ごろから始まった時代は、第三の局面、すなわち「管理された移民」の色を濃くしています。
外国人労働者は、さらに増える。
一部の在留区分では、要件が厳しくなる。
受け入れ数の計画が前に出てくる。
法の執行が強まる。
共生のための要件が増える。
日本語を学ぶ圧力が強まる。
在留資格が、納税や社会保険の履行と強く結びつく。
永住の審査が厳しくなる。
そしておそらく、日本が積極的に迎えたい外国人と、社会的・行政的なコストが大きいと見なす外国人との線引きが、より明確になる。
この路線のほうが、いずれの極論よりも政治的にはるかに持続可能です。
日本が、大規模な移民を人口戦略として公然と用いるカナダやオーストラリアのような国になることは、まずないでしょう。
しかし同時に、在住外国人が日本社会の周縁にとどまるモデルへ引き返すことも、同じくらいありそうにありません。その地点は、とうに通り過ぎています。
本当の選択肢は、移民の是非ではない
歴史とデータをひと通り追った結果、私は移民をめぐる最近の懸念のいくつかに、調べ始めた頃より共感するようになりました。
日本は、自国の法を執行すべきです。
この国に住む人は、税金と社会保険料を払うべきです。企業は外国人労働者を搾取すべきではありません。ビザの制度は悪用されるべきではありません。人口構成が異例の速さで変わっている地域には、支援が必要です。重大な犯罪は、加害者の国籍にかかわらず捜査され、起訴されるべきです。
これらのどれひとつとして、反移民の主張だとは私には思えません。
しかし、その逆もまた同じです。
日本は、正当な懸念が、ただ外国人だというだけで数百万人をひとくくりに疑う空気へと変わってしまわないよう、注意すべきです。ネット上で広がるセンセーショナルな主張の多くは、証拠に裏づけられていません。観光客と移民は、同じものとして扱うべきではありません。
より根本的な話として、日本は在住外国人をますます必要としているのです。
コンビニ店員、エンジニア、介護職員、工場の技術者、研究者、そして起業家。こうした人たちは、日本経済のインフラの一部になりつつあります。
もはや、問うべきなのは、日本が移民のいる国になるかどうかではありません。すでにそうなっています。本当の問いは、その移行をうまく管理できるかどうかです。
私のような人間にとって、これは知的な問いであると同時に、きわめて個人的な問いでもあります。
日本は私の故郷です。この国の安全さ、社会的まとまり、そして驚くほどよく機能する日常を守りたいという気持ちは、私にもよくわかります。実際、それこそが、私のような人間がこの国で人生を築こうと決めた理由の多くと重なっています。
同時に願うのは、こういうことです。日本がその性質を保ちながら、何十年もこの国に貢献してきた人たちを、いつまでも「条件付きの存在」「疑わしい存在」の位置に置き続けない社会であってほしい、ということです。
この2つの目標は、本来ぶつかり合うものではありません。
うまくいく移民政策なら、2つのことを同時に主張できるはずです。
日本は、この国に貢献し、その社会の一員になりたいと願う人を歓迎する。
そして日本は、その人たちが日本の法と制度、そして地域社会を尊重することを期待する。
日本に移民が必要であることを否定するのでもなく、移民が現実の課題を生むことを否定するのでもない。この2つを同時に言えることこそ、次の30年に向けたはるかに強固な土台になると私は思います。
日本の選択は、移民か、移民なしかではありません。移民管理をうまくやれるか、管理に失敗するかです。そのかじ取りをうまくやれれば、日本はもっと豊かな国になるはずです。
