Coral Insightsでは先日、投資先の1社である保険スタートアップ、justInCaseが、どうやってリモートワークを取り入れて日々の業務を回しているかというインタビュー記事を動画とともに掲載しました。これからチームや組織を作ろうというときに参考になる話だと思います。
1人の起業家のパッションから始まり、徐々に周囲を巻き込む形でスタートすることが少なくないスタートアップの初期は、特に時間や場所を共有せずにリモートで仕事をするスタイルが自然で、そのままリモートを続けることも多いかと思います。
でも、本当にリモートワークは良いものでしょうか? マイナス面はないのでしょうか? 先回りして書きますが、こうした問いには「イエス」も「ノー」もありません。答えはどこか真ん中にあるもので、全てはケース・バイ・ケースでバランスです。例えば、日本社会全体で考えたときは、もっとリモートワークを取り入れて柔軟な働き方を許容するべきでしょう。業務の標準化が進んでいる大企業ほど、そうであるように思います。その経済効果に関するデータもあり、例えばスタンフォード大学のニコラス・ブルーム教授らが中国系の大手ネット旅行サービス「Ctrip」と共同で行った2年間に渡るリモートワークの生産性調査(調査時のCtripの社員数は1万6,000人)でも、リモートワークで13%ほど生産性が上がったという研究もあったりします。しかも、この調査では離職率は50%も減ったといいます。
リモートワークを弱めた話
ここでは逆のケース、リモートワークがうまく行かなくて、リモート成分を弱めたという話をいくつか紹介したいと思います。スタートアップの良さは、これまでの慣習や社内規定がない状態でスタートして、ゼロベースで時代に合った働き方を実現できる点にもあります。ただ、以下のTwitter上のやり取りは傾聴に値すると思います。
まず、以下は私のツイートです:
ソフトウェア開発で分散して進む巨大OSSの事例は多くあるものの、特定のソフトウェアはチームが毎日同じ場所に物理的に集まってやった方が圧倒的に良くて、それをデータで示して現場を説得し、結果エンジニアもハッピーになったと、Google関連本に書いてあった。リモートワークは用量用法を探らないと
— Ken Nishimura / 西村賢 (@knsmr) June 21, 2019
これに対して、AIを使ったニュースクリッピングサービスを企業向けに提供しているスタートアップのStockmarkのCTO、有馬幸介氏が、こうツイートしました。
大企業の時みたいにオフラインで集まって開発するのはダサいし非効率だよねという反骨思考で創業当初はオンライン開発推奨してましたが、結局オフラインで膝突き合わせて開発した方が随分良いモノできるしそっちの方が実は皆楽しく開発できるということに気づかされました https://t.co/Fj6vy7nMR5
— 有馬幸介/Stockmark (@kosukearima) June 21, 2019
私がツイートで書いているのは『僕がグーグルで成長できた理由』(上坂徹著、2014年)を読んだときの話です。書籍のなかで初期Googleに日本人として現地法人に入社し、製品開発本部長を務めていた徳生健太郎氏は、こう証言しています。
「(オープンソースでない)自社プロダクトについては、やりたい人がやりたいところでやりたいことをすればいい、という開発手法よりも、少数の場所にまとまった人数を集約して開発したほうが、やっぱり勢いが出るわけです」(p.234)
それまでのGoogleの方針は「誰もがどこでも好きな場所で好きなプロジェクトに参画していい」というもので、それをやめたというのです。今もGoogleの開発はグローバルに分散していますが、各オフィスで開発するプロダクトというのは、それぞれ決まっています。一定程度、リモートワークから揺り戻しがあったのです。
ちなみに、Googleは会議の約半分が、異なる2拠点以上を含むビデオ会議で、グローバルに分散した仕事環境となっています。ビデオ経由の参加スタイルも、さまざま。地下鉄の駅のベンチからとか、犬の散歩中の朝のビーチとか、自宅で赤ちゃんを膝であやしながらなど、かなりのリモートワークスタイルです。ただ、そんなGoogleでも、少なくとも私が観測できた範囲では、クリエイティブな仕事は物理的に話ができる距離でチームが顔を合わせることが重要だという理由から、リモートワーク率はさほど高くはありませんでした。週に1度とか2度はあっても、ぜんぜんオフィスに来ないという人の話は聞いたことがありません。コーディングや資料作りなど1人で作業に集中できる場所はどこの都市のオフィスにも、そこらじゅうに用意されていますが、チームが顔を合わせることのメリットはきわめて大きいということだと思います。もしフルリモートで成果が出るのであれば、テック企業がサンフランシスコやニューヨーク、ロンドン、六本木など賃料の高い場所にオフィスを構えるわけがありません。
2010年代にリモートワークの見直し、揺り戻しの動き
日本に比べると地理的に分散しやすいアメリカでは、早い時期からリモートワークが取り入れられていたようです。例えば2015年のギャラップ調査によれば、リモートワークの経験がありますかとの問いにイエスと答える人の割合は、1995年から20年間で9%から37%へと大幅に増えています。一方、日本では2017年の閣議決定でリモートワークを8年間で3倍にするという目標を打ち出しましたが、その目標値は全労働者の10%です。そのリモートワークが普及した米国では、2013年頃から揺り戻しが起こりました。米IBMやYahooなどが、それまで可能だったリモートワークを一斉に禁止し始めたのです。特に米YahooのCEOに就任したMarissa Mayer(マリッサ・マイヤー)が鶴の一声で、リモートワークを全面禁止にしたときには、ずいぶん議論を巻き起こしました。
個別の判断の背景はわかりませんが、良く言われているのは、リモートワークに適した職種や個人の適性がある一方、それが向かないケースもあるということです。冒頭に引用したCtripの研究例はコールセンターのスタッフでしたから、もともと業務の独立性が高い職種だったのだと思います。個々のタスクやワークフロー、業務の標準化ができていてデジタルな成果物があるものはリモートに向きやすい一方、何かの初期立ち上げでその場で密に話したり、ブレストしたりしながら数人で進めるような仕事は、分散しているよりも物理的に集まったのほうが良いように思えます。
ビデオ会議や同期性の高いメッセンジャー、クラウドベースのコラボレーションツールの発達などによってネット時代のリモートワークが始まって10〜20年ほどでしょうか。そろそろリモートワークの限界や落とし穴が分かってきているというのが現実なのではないでしょうか。
自宅やカフェで仕事をしたことのある人ならある程度同意していただけると思いますが、自宅では気が散りやすくて生産性が落ちることがあります。また、ちょっとした立ち話から生まれる新しいアイデアが減って全体としてクリエイティブさが失われるということもあると思います。昔なら喫煙所、今ならコーヒー飲み場での雑談など非公式のチャンネルで流通する情報も、実はきわめて重要な役割を果たしていたと気づいた、ということもあるかもしれません。
ともあれ、非公式のコミュニケーションや身体感覚による帰属意識の醸成、視線の交流や微妙な表情によるノンバーバルコミュニケーションは、失ってみてやっと分かってきたという面もあるのだと思います。その結果でてきたのがSlackやRemottyのように、オンラインでも常に場を共有しているかのような感覚を与えてくれるツールではないでしょうか。先日、Y Combinatorの2019年夏バッチの卒業生でシードラウンドで約8億円を調達したTandemのようなツールが注目を集めるように、オンライン上で、従来の意味のリモートワークで失われたものを補完するツールはまだまだ出てくるのだろうと思います。
リモートワークはうまく取り入れれば移動の時間やエネルギーが削減できて、どう考えてもメリットしかありません。しかし、リモートワークを長くやってきた米国やテック企業で一定の揺り戻しが起こっていることは示唆的で、特にシード期のスタートアップのチームは気に留めておいたほうがいいのではないかと思います。
Partner @ Coral Capital