強度のストレス状態(と、まれにやってくるユーフォリア状態)におかれることから、起業は万人に勧められないという言葉を良く聞きます。実際、想定外のトラブルが次々と起こってメンタルが沈んでいったり、発汗や手の震えがとまらずに病院に行くほど身体に不調をきたす起業家も見てきました。規模の大小に関わらず、会社というのは売上が立って利益が出ていないと組織は殺伐とするものですが、立ち上げ期のスタートアップではなおさらです。事業に進捗がなく、未来への見通しが悪くなると資金調達が難しくなります。何がなんでも売上を立てて生き残るという営業力のあるチームや受託可能なエンジニアなら延命もできますが、そうでなければキャッシュが尽き、社員への給料の遅配が起こり、それによって社内のモラルも人間関係も崩壊します。
こうしたとき、何よりも怖いのは自分で自分を責めすぎることによって数年にわたって回復しないほどの精神的ダメージを起業家が受けてしまうことではないか、と個人的には思っています。そこまでひどくなくても、歩みが止まってしまうことはあるかと思います。
意外に思われるかもしれませんが、精神的に追い詰められるのは、なにも事業が立ち上がらない駆け出しの起業家に限りません。傍目には大きな成功していて大金を手にしているような「連続起業家」が、自分の成功や実績を実際以上に小さいものだと考えて、それを超えていけない自分や現状に苛立ち、自分を責めすぎるあまり不眠に悩まされるというのも、ときどき聞く話です。
やるしかない状態に自分を追い込み、それでより高いところを目指すという自己規律は尊敬すべきもの、と考えられています。しかし、自分を追い込んだ結果、ゴールと現実のギャップに悩んで自分を責めすぎるとなると、話は別です。起業・スタートアップ先進国のアメリカでは、起業家の自殺や薬物乱用による死亡ニュースが流れるたびに、起業と鬱についての記事が出ます。これは普段、表立って語られることが少ないものの、深刻な問題です。米500 Startupsでは出資先の1,800のポートフォリオ企業のうち2人の創業者が自殺したと2017年に明かしています。
データでみると、日本人は自分に厳しすぎるらしい
日本人は実は自分を責めすぎる傾向にある、との研究があると最近知りました。
何気なく近所の本屋で平積みになっている雑誌の表紙をみていたら、ハーバード・ビジネス・レビュー日本語版の表紙に、特集タイトルとして「セルフ・コンパッション」という文字が踊っていました。このとき私はセルフ・コンパッションという言葉を初めて聞いたのですが、その場で直感的に「今の日本に必要なのは、これだ」と思いました。
セルフ・コンパッションは、心理学やビジネスの世界で注目されつつある概念で、失敗や欠点などを含めて、あるがままの自分を受け入れ、自分を否定しないやさしい態度のことです。私たちは傷ついている他者を思いやるやさしさを持っています。それと同じように、自分に対して理解を示し、無条件で暖かく自己受容すること。それがセルフ・コンパッションです。
雑誌は開かず、私はその場でスマホでググりました。その結果トップに出てきた駒澤大学の有光興記氏の論文に衝撃を受けました。日本人は自己に対して、いつくしみの目を向けるセルフ・コンパッションの度合い(SCS、Self Compassion Scaleと呼ぶ指標があるそうです)が、他国民に比べて圧倒的に低いというのです。儒教の影響が色濃い国は、自己批判の精神が強く、日本や台湾はSCSが低い。自己批判をして自己改善を図るのが良いという文化圏です。一方、タイではSCSが高く、それは慈悲の心を教える仏教国だからではないかと、有光氏は考察しています(日本には葬式仏教は存在するものの、仏教徒と呼べるほどの現代日本人は少ない)。実は500 Startupsが実施したテストでも東南アジアの創業者たちは、困難な状況や失敗のときに自分を責めすぎる傾向があると判明した、といいます。
面白いのはアメリカです。アメリカは日本や台湾よりもSCSが高いものの仏教国タイほどではないそうです。「アメリカは、苦しいときに唇をかみしめて感情を表に出さずに頑張る(stiff upper lip)というアングロサクソンの伝統を持ち、否定的感情が高まる一方で、自己高揚によって高められた自尊心も持つために、否定的な感情が減じられ、タイと台湾の中間に位置づけられたと考えられる」(有光氏)というのです。米国のスタートアップ関係者が妙にテンションが高いのも、うなずける気がします。
何かで失敗する、現実や他者から拒絶される、といった否定される体験は、何も特定個人だけに起こるものではありません。人類の歴史を通してみれば、無数の人々が体験したつらい経験のはずです。自分だけが特殊でもないし、自分だけを責めてもしかたがない。そうした客観的な思考ができなくなり「自分がダメなのだ」と孤立感を覚え、自己批判をしてしまう悪循環に陥るのは危険だと思います。
スタートアップの初期は実験フェーズで、どのプロダクト、あるいは機能や施策が上手くいくか分かりません。だからトップの手数が多いほど成功率が高い、と言われています。私が見てきた多くの成功している起業家たちも、常に元気に動き回って何かをやっているタイプの起業家が多いように思います。現実に何度も拒絶され、否定され、打ちのめされつつも前進するためには、メンタルが健全であることが大切なのではないでしょうか。高いセルフ・コンパッションは、コンピテンスや学習への内発的動機づけを高めることが分かっているそうです。
「いや、自分に甘いのなんてダメだ。そんなやつはダメ、一流にはなれないよ。結果責任は引き受ける。ぜんぶ自分。自責じゃないと起業家は成功しない」。起業家の方なら、そう言うかもしれません。自責=他責というスペクトラムで言ったとき、他責傾向が強い人が起業やチーム戦に向かないのは、そうかもしれません。ただ、自責は必要なのでしょうか?
自己愛、自己満足、自己憐憫といった概念と、セルフ・コンパッションは別のものだ、ということを、この研究分野の草分けであるクリスティーン・ネフ博士が2003年に指摘しているそうです。過度の自責をせず、あるがままの自分を受け入れる、というのは自己愛とも自己満足とも違うというのです。自分を憐れむこととも違います。つまり欠点も失敗も含めて、あるがままの自分を受け入れるといっても、そこで満足して停滞するということにはならないのです。
自分は素晴らしいと自惚れるのも、逆に自分はダメだと過度に苦悩するのも、どちらも自己や事業の成長を阻む要因になり得そうです。事業が傾くとき、最大の敵は競合ではなく慢心だというのは多くの経営者が指摘するところです。スタートアップが倒れるのはキャッシュが尽きたときではなく、起業家の心が折れたとき、というのも良く言われることです。つまり、自己満足に陥ってもダメだし、かといって自分を責めすぎても良くない。どちらも待っているのは停滞だからです。
「起業に踏み出した」というその1点だけでも十分に胸を張って良いのですし、私は素晴らしいことだと思います。厳しい現実に打ちのめされても、ときどきは自分にやさしい目を向ける。結局はそのほうが成功に近づくのかもしれません。社会や周囲も、誰も起業家であるあなたのことを否定も批判もしませんし、その権利もありません。周囲も、本人自身も、苦境にいる起業家を厳しく責めることがないほうが良いのではないかと思います。
Partner @ Coral Capital