2020年第1四半期の米ヘルスケアスタートアップへの投資総額が約31億ドルと過去最大だった一方で、新型コロナウイルス感染症(以下、COVID-19)で他の多くの領域と同様に、次の四半期は激減することが予想されています。実際にRock Healthが行った投資家への意識調査によると、調査した12人の投資家のうち8人は、デジタルヘルスのスタートアップは2020年には2019年よりも「はるかに困難な」資金調達状況になると予想しています。一方で、すでに調達されたVC資金は投資資金として使われるため、今後より慎重に選別した企業への投資実行、および既存投資先への支援強化が予想されます。
このスタートアップの資金面における危機的状況の一方で、需要が急速に拡大する医療システムの支援ニーズは高まっており、動きの早いデジタルヘルスケアスタートアップは、COVID-19に関わる問題を解決するビジネスへの参入を加速しています。これらの米国をはじめとする世界のスタートアップについて、3回にわたってご紹介します。
予防
各国政府はスマートフォンを活用したCOVID-19感染者の追跡ソリューションの導入を発表しています。その多くがGPSではなくBluetoothを活用することで、指定された距離内で一定時間以上接触したアカウント同士を記録し、後から感染が判明した場合に接触履歴があるアカウントに対して通知がいくという仕組みです。民間企業の取り組みとしては4月10日、AppleとGoogleがBluetoothを使った追跡アプリ実装のフレームワークを開発することを発表しました。5月中旬のリリースを目指して開発が進められており、公衆衛生機関が開発しているアプリと接続可能なAPIを公開する予定です。
各国政府の取り組み
- シンガポール政府は2020年3月20日、国内向けにTraceTogetherの提供を開始。4月10日までの1か月で110万ダウンロードで、570万人の人口比で19%の普及率。Bluetoothを使い、2台の端末が2メートル以内に接近して30分以上経過した場合にIDが交換され、そのデータをスマホの端末内に3週間保存。ユーザーの感染が判明した場合、2週間前までさかのぼって接触があったユーザーに通知される仕組み。
- オーストラリア政府は4月26日にCOVID-19の追跡アプリ「COVIDSafe」を公開。公開から数時間で、100万ダウンロード。Bluetoothを使い、ユーザー同士が1.5メートル以内に接近すると「デジタル握手」を暗号化して記録。COVID-19の検査で陽性だったユーザーと15分以上、濃厚接触していた場合に通知が送られる仕組み。
- ドイツ政府は4月26日にGoogleとAppleが共同開発する、追跡データの管理を分散型アプローチで行うことを発表。それまで保健当局が開発していた、中央集権的な追跡データの管理を放棄することを明らかにした。
- イギリス政府はBluetoothを使った追跡アプリを開発中だが、感染情報に関しては匿名化した上で、NHS(英国民保健サービス)がアクセスできるようにする方針。4月27日にGoogleとAppleが開発するアプローチを導入しないことを発表。
- 日本においては4月21日、竹本直一科学技術相が、追跡アプリを5月上旬に公開予定であること、また同アプリは一般社団法人「コード・フォー・ジャパン」が開発していることを明らかにした。
これらの感染者とその追跡を行うソリューションの課題はプライバシーとセキュリティの問題です。上記の国々は全て国民自体に選択権があり、自らの意思でアプリをダウンロードし情報提供に同意するプロセスがあります。ユーザーから信頼が得られず、人口に対して一定の数の人々が利用しなければ効果は期待できないことから、各国政府は慎重な運用が望まれています。一方で中国においては、政府当局が強い管理を行うアプリによって感染者や感染リスクの高い国民の行動を追跡しています。中国当局が提供するHealth CodeはWeChatやAlipay上で機能し、ユーザーに対してリスク度合いを示すカラーコードを付与し、それによって移動の制限を行う政府による強い管理が実施されています。国ごとに違う政治体制やカルチャーにより、最適なソリューションが異なることが反映されているのではないでしょうか。
このほかにも、商業施設など人が集まる場所の管理者向けのソリューションも成長しています。中国のスタートアップRokidはサーモグラフィグラスを提供。赤外線センサーにより、3メートル周囲の最大200人の体温を2分ほどで検出できるのが特徴です。同社は米国においてB2Bで民間企業や医療機関、公的機関へ販売を計画しています。すでにRokidのソリューションを活用している生鮮食品ECのWeee!は、同社の倉庫内で作業しているスタッフをモニタリングするために利用しているとのことです。Rokid同様にサーモグラフィーソリューションを提供している中国ハイテク企業として、MegviiとSenseTimeがあります。SenseTimeはソフトバンクのビジョン・ファンドから資金調達をしており、ソフトバンク子会社の日本コンピュータビジョンを介して、日本の農林水産省にも導入されています。
より多くの人の動きを把握する公衆衛生的なアプローチとして、スマート体温計のKinsaやヘルスケア領域の研究支援プラットフォームを展開するEvidationが全米の状況を可視化することに取り組んでいます。Kinsaは過去数年間にわたり、米国内の発熱症状をマップ上に示すことで、インフルエンザ様疾患の流行を可視化してきました。このマップにより、今年の発熱状況が例年と異なることが早期に示され、COVID-19の感染拡大状況を把握するために活用されています。消費者によるスマート温度計の需要も急増しており、同社は現在1日あたり10,000台を販売していてデータ量が増えているとのことです。また、100を超える感染症を追跡するカナダのAIスタートアップのBlueDotは、早い時点でCOVID-19の感染拡大に対する予測を発表しており、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)やWHOが警告を出した1月9日以前の12月末時点で武漢への警告を発令していました。
消費者一人ひとりを見てみると、感染拡大を防ぐために日々の生活行動を大きく変化させています。インターネットの普及により家にいながら仕事や買い物をし、友人と交流できるようになり、なるべく普段の生活と平静さを崩さずにいられるようになっているのではないでしょうか。そういった意味では、ECやゲーム、リモートワークを支援するSaaSなどあらゆるソリューションが予防に貢献していると言えるかもしれません。
消費者向けのセルフアセスメント
消費者が自らの健康リスクを推定し、適切な行動を促すオンラインソリューションが急速に求められています。特に医師や医療従事者のリソースが逼迫している現在、医療従事者とのコミュニケーションの前に、消費者が適切な判断や対応ができるよう事前のセルフアセスメントを支援するオンラインサービスの活躍に期待が寄せられます。
この領域においてはテックジャイアント企業のソリューションがすでに広く導入されています。マイクロソフトのHealthcare Botサービスを活用し、疾病予防管理センターやWalgreens(米国最大規模の薬局チェーン)、Providence(米国内7州に展開する最大規模の医療機関)といった組織が、早期に住民向けにセルフアセスメントを支援するオンラインソリューションを構築し、提供しています。これにより体調不良者がそれぞれの状況に応じてどのような行動を取るべきか導いています。また、Appleは疾病予防管理センターと共同で、セルフアセスメントサイトを公開しました。消費者が自分や家族の症状を適切に評価し、それぞれのリスクに応じて次にどのような行動を取るべきか情報を提供しています。Amazonはアメリカ疾病予防管理センターのガイダンスに基づいたCOVID-19アセスメントツールや情報提供を、Alexaの音声コンテンツとしてアメリカ国内で提供しています。
テックジャイアントの他に、この領域は特にデジタルヘルスの新興企業の技術力が反映され、すでに複数の新興企業がソリューションを公開しています。ヘルスケアAIスタートアップのBuoy Healthは民間健康保険のCigmaと提携し、COVID-19感染のリスクを評価するオンラインのインタラクティブなトリアージツールを無料で提供を開始しています。セルフアセスメントから、オンライン上での診療まで繋がるサービスとしては、
オンライン診療プラットフォームのDoctor on Demandが、消費者がセルフで実施できるCOVID-19感染リスクのオンライン評価サービスの提供を開始しました。 また、2015年に創業し、ゴールドマン・サックスなどから総額1億2,930万ドル調達したオンライン診療プラットフォームの98point6も、無料でCOVID-19のアセスメントツールを公開しています。
多くの業者がチャットボットでのアセスメントを提供していますが、Statの記者はそれぞれによって推奨する答えが異なることを指摘しています。いずれもCDCのガイドラインベースで展開されていますが、最新の情報を反映しているかどうかが違いを生んでおり、サービス提供者は日々変化する最新情報を更新し続ける必要があるとしています。
在宅検査キット
米国では、自宅から自分で検体を採取し、郵送でラボに送付し、結果をオンラインから確認できる在宅でのCOVID-19検査キットの参入も加速しています。もともとピルのサブスクリプションサービスやHPVスクリーニング検査キットを提供しているNurxや、食品アレルギーや生殖能力や甲状腺疾患などの様々な在宅検査キットを提供するEveryWellら複数のスタートアップが、COVID-19の在宅検査キット事業への参入を発表しています。発表時これらの企業は、FDA(アメリカ食品医薬品局)の緊急時のガイドラインの範囲内で業務を行っていると考えていました。しかしFDAは3月下旬にこれらの直接消費者に在宅検査キットを提供するD2C企業に関しては、不正である可能性を表明し利用しないよう消費者に警告を出しています。このFDAの対応に対し、Nurxは販売を停止、EveryWellは医療機関向けのB2B2Cモデルへの移行を明らかにしています。
在宅検査キットの課題は複数あげられていますが、消費者が自分で正しく検体を採取できていない可能性と、郵送による輸送プロセスで検体が損傷し、検査結果に影響を及ぼす可能性が指摘されています。前者に対しては各社、オンラインによる医療従事者のガイドを併せて提供しているというのが説明でしたが、依然として懸念が残っています。
4月30日現在、米国内で唯一認められているCOVID-19の在宅検査キットはLabCorp社のものです。FDAは4月21日、LabCorp社の在宅検査キットを緊急承認し、この在宅検査キットに関しては「患者の自己採取によるデータが、医療機関で採取した場合と同じくらい安全かつ正確であることを確認」していることを明らかにしました。今回のような緊急事態時であっても在宅検査キットを展開する上では、自己採取と医療従事者による採取の結果に差がないことを証明する必要があります。
また、採取が難しい鼻腔からではなく、より簡便な唾液検査によることでこの懸念を解消する取り組みもあります。男性向けヘルスケア商品を提供するスタートアップVault HealthはRUCDR Infinite Biologicsと提携し、すでに医療機関向けとして承認されたこの検査技術を用いた自宅向け唾液検査キットを販売することを4月14日に明らかにしています。こちらは医者からの注文で提供されるB2B2Cモデルを採用していますが、発表当時はまだFDAの承認は下りておらず、4月30日現在においてもまだ購入はできません。
また後者の輸送中の検体損傷の影響の懸念に関しては、Amazonは3月23日に、ゲイツ・ファンデーションが支援する研究チームSCAN(The Greater Seattle Coronavirus Assessment Network)と提携し、シアトルの自社従業員限定で在宅検査キットの配達と集荷サービスを提供すると発表しました。この際の検査キットと採取したサンプルの運搬はは医療資材運搬のための訓練を受けたAmazon Careチームによるもので、通常郵便で懸念されるリスクを解消していると説明しています。また4月9日には、外出制限でニーズが高まり危険に晒されている自社スタッフのための検査設備を自社で建設する計画も発表しています。
また、COVID-19に対する抗体の有無を検査する抗体検査についても、在宅で自己検査を行うキットの開発が進んでいます。抗体検査については、PCR検査と比べて安価で迅速に結果を把握できること、経済活動再開のための目安になること、感染症の実際の致死率や重症化率を把握できることが期待されています。しかし、抗体があること=免疫があることと考えて良いのか、免疫があると言える場合にその持続期間はどのくらいか、などわかっていないことも多いのが現状です。
この抗体検査を在宅で行う検査キットについては尿路感染症の検査を提供するScanwellは現在、血液中の抗体検査によりCOVID-19検査を行う検査キットの薬事承認を申請中です。この技術は中国企業のINNOVITAが開発し、すでに中国では政府当局に承認されています。Scanwellは同社より米国内における独占販売ライセンスを購入しています。FDAの認可が下りれば、ScanWellは70ドル程度でこの検査キットを発売予定とのことです。このScanwellが提供予定の検査サービスもINNOVITAと同様に自宅から医療従事者が遠隔で指導し、数時間以内に検査結果をアプリ上で提供するというものです。スタートアップのLemonaidと提携し、マッチングされる医療従事者はLemonaidに所属する医療従事者です。
医療機関向け検査技術の開発
また早期に検査体制を構築し、57万1,000件を超える検査を実施(2020年4月21日の時点)していることが評価されている韓国政府ですが、民間のバイオテック企業との連携を強化していたことが知られています。韓国国内で初のCOVID-19感染者が診断される以前から、ソウルのバイオテック企業SeegeneはCOVID-19の検査キットの開発に着手し、AIを使用して開発期間を大幅に短縮したことを明らかにしています。研究開始から3週間後にはKCDC(韓国疾病管理予防センター)に申請書類を提出。KCDCは通常1年半かかる承認プロセスを大幅に短縮し、1週間後には承認しました。現在では韓国国内だけではなく検査キットが不足している一部の国への輸出も行っているとのことです。韓国ではこのほかにも、2000年創業の遺伝子検出キットメーカーのKogene Biotechが開発した6時間で結果がわかるリアルタイムPCR法を用いた迅速診断キットがあるほか、バイオスタートアップのAhramとDoknip Biopharmの2社が提携し、わずか30分でCOVID-19を特定できるバッテリー駆動のポータブル検査機器を開発、現在承認プロセスを経ています。
画像診断を活用した診断支援
Sequoia Capitalが出資した中国のAIスタートアップのinfervisionは、肺のCT画像からCOVID-19感染の可能性が高い場合にアラートを出すことで、医師が診断するのを支援する技術を開発しています。同社は流行拡大以前より、中国各地の病院に肺疾患の画像診断支援ツールを提供していましたが、1月ごろから肺スキャン読み取りソフトウェアの顧客の利用方法が突如として変化したことを察知し、アウトブレイクの初期段階からCOVID-19を検知するシステムの開発に取り組み始めていたとのことです。また、大手生命保険会社Ping An Insuranceの子会社であるPing An Smart Cityのヘルスケアチームも2月28日にCOVID-19診断のための画像診断支援システムを発表し、1,500以上の医療機関が導入し、すでに5,000人以上の患者にこのシステムを使用していることを明らかにしました。
このほかにも中国では下記のような複数の機関で研究が進められています。
- Alibaba:先端技術研究を支援するDAMO Academyチームが、20秒以内にCT画像を分析するAIを開発。
- Deepwise Technology:2017年創業の中国のAIスタートアップで、クラウドベースの画像診断支援ソリューションのDr. Wise Cloudを提供しており、同サービス上で肺のCT画像の肺炎診断支援ソリューションを2020年1月から2月にかけて中国国内の病院に設置していたことを発表。
- Iflytek:中国科学院とAIベースのCOVID-19診断プラットフォームを共同開発。
中国以外でも同様にCT画像やX線画像の解析による、COVID-19のスクリーニングに取り組む企業が出てきています。
インドのスタートアップでSequoia Capitalらも出資するQure.aiは、もともとAIを活用したX線画像とCT画像を分析して、肺炎や結核、肺気腫などの呼吸器疾患の診断を支援するサービスを提供していましたが、3月末よりCOVID-19の診療支援ソリューション(胸部X線画像からリスク判定を行ったり、すでに診断された患者の胸進行度を判定する)も提供を開始し、4月上旬時点で週に5,000もの画像を分析しているとのことです。
今回は予防から早期発見までを、さまざまな技術で支援するテクノロジー企業をご紹介しました。多くの医療関連企業や巨大資本がこの問題に取り組んでいますが、世界を見るとスタートアップ企業のソリューションの活躍も期待されていることがわかります。次回は、診断された患者の診療を支援する活動についてご紹介したいと思います。
※免責:本記事は消費者のみなさまに対し、新型コロナウイルス感染症の予防や治療に関する行動を促すものではありません。疾病予防に関しては、公的機関による情報を参照してください。
Senior Associate @ Coral Capital