iPhone 12の目玉機能といえば「5G」を思い浮かべる人が多いと思います。ただ、端末販売台数や売上への貢献という意味では、まだ目玉機能と言うほどではありません。iPhone 12発表以降、Appleの株価は振いませんし、現iPhoneユーザーからも「買い換える理由ある? あったら教えて」という声が聞こえてきます。
一方で、テック系の起業家が気にしておくべき新機能は、5Gの他にも、いくつかあると思います。今後数年で広がって行くだろうなと個人的に思うのは、「LiDAR」(Light Detection And Ranging:ライダー)と「App Clips」(ミニアプリ)の2つです。App ClipsについてはiOS14の新機能であって新端末の話ではありませんが、ほぼ同時期にリリースされているので、ここでは一緒に扱います。App Clipsは、以下の画面のように下からニュッと出てくる「インストール不要」の新しいタイプのアプリです。
iPhone搭載の意味は大きい
LiDARは、すでに一部Android端末や上位機種のiPadには搭載されていましたが、iPhoneに搭載されたことは大きな意味を持ちそうです。なぜなら、特定の端末やOSバージョンで何か新機能が搭載されたとき、市場の対応サービス登場という点で普及が速いのはiPhoneだと思うからです。
日本やアメリカの市場では相変わらずiPhoneのシェアが高く、例えばウェブレッジのレポートによれば日本の2020年9月時点のiPhoneのシェアは57.22%もあります。残りは当然ほぼAndroidですが、端末で言えばシェア1〜5位は全て1%前後。極めて断片化された市場であることが分かります。
AndroidはOSバージョンやメーカー、機種などがバラけていて、それによる仕様の違いがあります。だから、新技術を利用したサービスが立ち上がりやすいのはiPhoneの方ではないかと思います。
AndroidのOSは3世代より前のバージョンの利用シェアが4割近くもあります。しかし、iOSは現行バージョン(レポート時点の9月におけるiOS13)だけで92.3%、1世代前(同iOS12)まで入れると98%となっていて、OSバージョンも最新のものに置き換わるペースが速いことが以下のグラフから見て取れます。
つまり、LiDARもApp Clipsも、端末側の準備が整うのが速いので、これらを利用したサービスの実装が進む可能性が高いということです。
iPhone 12を起点として「LiDAR搭載スマホ」の応用が立ち上がる可能性が出てきていると思います。これまでにもAndroidにはLiDAR搭載端末はあったという指摘もあるかと思いますが、ビジネス利用という点では特定Android端末での搭載と、iPhoneへの搭載では意味が違います。まだiPhoneでも上位機種のProシリーズのみの搭載ですが、10年前に800万円近くしたLiDARが劇的にコストを下げ、いよいよ自動運転車だけでなくスマホにもやって来るということです。
LiDARはレーザー光を飛ばして、反射して戻ってくる光から照射した物体までの距離を測り、周囲の3Dマップを作る技術です。すでにiPhoneはTrueDepthと呼ぶ機能で、Face ID認証のときに赤外光を飛ばして顔の凸凹を3万箇所で認識する3Dカメラ機能を備えていますが、あくまでも近い距離。今回iPhoneに搭載されるLiDARは5メートル程度の範囲で適用できるといい、このCNETの記事にあるように3次元のオブジェクトのコピペができたりします(下のツイートはCNET記者によるものです)。大げさに言えば、コンシューマーの手に広く行き渡る人類初の3Dカメラになるのではないでしょうか。一番の応用はARだと目されていて、前方の物体が後ろの物体を隠すような見え方、いわゆるオクルージョンも高速に自然にできるようになります。
Just experimenting w iPhone 12 Pro and 3D copies pic.twitter.com/0LiwaomYhb
— Scott Stein (@jetscott) October 22, 2020
iOS14にApp Clipsが搭載、日本のミニアプリ普及の一角を担うか
LiDARの話は別の機会に書くこととして、ここでは「App Clips」の可能性について触れたいと思います。というのも、iOS14にアップデート済みのiPhoneであれば利用可能で、実際に東京・麻布にあるカフェ「TAILORED CAFE」で先日、体験してみることができたからです。TAILORED CAFEを運営するカンカクが、10月22日にApp Clips対応を発表していて、これは恐らく国内一番乗りかではないかというようなタイミングです。
App Clipsは「ミニアプリ」の1種です。実体としては通常のiOSアプリのような小さいネイティブアプリですが、インストールが不要というのが最大のポイントです。
TAILORED CAFEはキャッシュレスのカフェで、もともと注文はアプリ「COFFEE App」を使ったモバイルオーダーが大半です。ただ、ユーザーから見た飲食店など店舗アプリの難点は利用開始までのステップが多く、手間がかかること。一般的には以下のような流れになるでしょう。
アプリ検索(またはQRコードスキャン)
↓
インストール
↓
アプリの説明画面
↓
ユーザー仮登録
↓
SMSやメールによる認証
↓
クレジットカード登録
↓
注文
↓
支払い確認
これに対してApp Clipsは手軽です。QRコードや店頭に置かれたNFCタグをスキャンすることで、スマホ画面の下からニュッと画面の下の領域に出てきて、すぐに使えるミニアプリです。上記のステップが以下のように大幅に減ります。
NFCタグをタッチ(またはQRコードをスキャン)
↓
(2、3秒ほど待つ)
↓
注文
↓
支払い確認
実際に使ってみたところ、以下のような流れで注文が完了しました。
右下の画面に表示されている注文番号をカウンターで見せれば、後は受け取るだけです。
ユーザーから見たApp Clipsの良いところは以下の通りです。
- アプリ全体ではなく、一部を切り出した10MB以下のミニサイズで起動が速い
- Apple Payを使った決済が可能
- 使い終わったらアプリは消える
ネイティブであるため動作がスムーズということもありますが、より重要なのはユーザー登録や決済登録の手間がゼロになることです。店頭でタッチして画面にニュッと出てきたメニューから商品をクリックして、そこで決済すればオーダーと支払いが完了します。これなら、たとえ1度しか利用しない旅行先の店舗や、ちょっと使ってみたくなったレンタル・サイクルの支払いなどであっても気軽に利用できそうです。
AppleのApp Clipsの設計ガイドラインによれば、通常のアプリが複数機能を内包しているのに対して、App Clipsでは、その場に適した単機能のミニアプリ作成が推奨されています。ですから、起動してもアプリのトップ画面が出てくるというものではありません。また、頻繁に同一のApp Clipsを利用していると、そのことをiOSが検知してバイナリ(ミニアプリ本体)は端末上にキャッシュされるようになります。頻繁に使うのであれば、App Clipsの起動はさらに速くなるということです。
開発者や提供者側から見たApp Clipsの良いところは以下です。
- App Clipsからフルアプリのダウンロードへと誘導できる(上の画面遷移で(1)の画面下に誘導が表示されている。同様に(4)の注文後の画面下にも)
- 利用8時間以内はプッシュ通知可能
- iOS上の「最近追加した項目」にアイコンは残る
- ワンタイムのユーザーの位置確認APIで、どの店舗からの利用かを確認できる
※詳しくはAppleのApp Clipsの情報ページをご覧ください。
※追記:App ClipsはフルアプリもApp Storeで配信していることが前提となります。App Clipsのみを提供することはできません。
例えば私はコロナ前には、毎日のようにスターバックスに行っていたので専用アプリを入れていますが、月に1度行くかどうかでモバイルオーダーの必要性がないくらい注文してから食事が出てくるのが速い「すき家」のアプリは入れる気になりません。でも、もし座席に座ったところにApp Clipsの案内(NFCタグ)があれば使うだろうな、と思います。すき家にはメニューのタブレットがありますが、決済まで一気に終わるなら、自分のスマホのほうがラクでしょう。
カフェの店頭で実際に使ってみてApp Clipsの便利さは分かりました。その一方で、「あれ?」と思ったこともありました。目の前のカウンターに置いてある紙のメニューを見てオーダーして、いつも通りスマホやApple Watchで決済するのと、App Clipsで、そんなにUXが違うかな、ということです。
むしろメニューとオーダーのDXになるのかもしれない
App Clipsの利用シーンは店頭のカウンターからの利用だけに限りません。座席に座ってからのオーダーも可能ですし、もし販売カウンターに行列があれば、並んでる最中にメニューを見て決済まで済ませることもできそうです。App Clipsが普及していけば、店舗側ではレジ対応や紙のメニューの更新といった業務が削減されることになりそうです。
さらに、ショッピングモールに良くある飲食店のフロア案内のボードにNFCタグを埋め込んでおくこともできそうです。そうすれば各店舗で1枚か2枚の写真を掲載して顧客に想像してもらうだけでなく、実際のメニューをその場でスマホで確認してもらえるようになるでしょう。来店客も、もしメニューが気に入れば店に向かう途中でオーダーも可能になるかもしれません。少し世の中がDXした未来に思いを馳せるなら、テーブル予約管理システムと連携して空席を確認して席を確保することも、フロア案内ボードの前だけでできる日が来るのではないかと思います。
App ClipsはNFCタグやQRコードのほかにも、
- ウェブサイトにバナーを埋め込んでSafariから起動
- iMessageで誰かにApp Clipsのリンクを送る
- iPhoneのマップ上に登録しておく
という起動の導線があります。つまり、今後App Clipsが普及するなら、グルメサイトや地図上で飲食店を探すときにApp Clipsで食事メニューを確認することも可能になります。実際、AppleがApp Clipsを発表したときには、日本でいうRettyに相当するYelp!を使ったデモが披露されました。App Clipsには単一のApp Clipsアプリでサードパーティーの多店舗を扱う仕組みもあります。独自アプリを開発する余力や専門知識がないスモールビジネスでも、大手が提供するアプリに相乗りすることができます。
中国で大躍進したフリクションを減らすミニアプリ群
App Clipsはいきなり出てきたiOSの新機能というよりも、2016年に中国のテンセントが発表してモバイル・ソーシャルのあり方を一変させたWeChatの「ミニプログラム」(中国語では「小程序」)、あるいはGoogleが2016年に発表して2017年にローンチ済みの「Instant App」(Google Play Instant)と同列のものと言えそうです。
国内ではLineミニアプリ、PayPayのミニアプリAPIも目指している方向は同じで、新規アプリのダウンロードやユーザー登録、決済といった、いわゆる「フリクションポイント」(摩擦の多いところ)をなくすことで各種サービスの利用を促進するのが狙いです。
WeChatのミニプログラムは今も伸びが著しく、Quest Mobileのレポートによれば、500万MAU超の「大型」のミニアプリの数は、2019年12月の196個から、3か月後の2020年3月には317個と、1四半期だけで61.7%増となる勢いを保っているようです。
WeChatは決済機能を備えていて、いわゆるECだけでなく、電気・ガス・水道といった公共料金の支払いにも使われるほど中国でインフラ化していると言います。
ミニアプリの成功で象徴的なのはトランスコスモスチャイナの洪国軒氏が「WeChat「ミニプログラム」の機能・使い方とは? 中国ECを攻略するために知っておくべきこと」という記事で指摘している共同購入プラットフォーム「ピンドゥオドゥオ(拼多多)」の爆発的成長でしょう。
2015年に創業したピンドゥオドゥオは上海発のユニコーン企業で、2019年にアメリカのNASDAQ市場に上場。現在、時価総額は約11兆円となっています。そのピンドゥオドゥオが躍進した背後にミニアプリがあったと洪氏は指摘しています。WeChatはSNSとして友人同士が繋がっているソーシャルグラフを持ったサービスなので、「簡単利用」「すぐに開始」「すぐに終了」というだけでなく「友達と共有」という特徴もあるといいます。2017年にミニアプリをローンチしたピンドゥオドゥオは1年でユーザー数が1億人も増加。2018年時点で3億ユーザーになっていたそうです(ちなみに、2020年第2四半期のMAUは5億8,900万)。
インストール、ユーザー登録、決済登録が不要なミニアプリがソーシャルと結びついたときの威力が分かる事例と言えそうです。
OSネイティブか独自アプリか、ウェブ標準か
中国におけるスーパーアプリの成功を見た東南アジア版Uberでデカコーンの「Gojek」は2018年からスーパーアプリ化しています。中国や東南アジアで普及するミニアプリと、それをホストするスーパーアプリの台頭は時代の必然のように思えますが、日本やアメリカは遅れを取っています。
日本でスーパーアプリが台頭していない理由は、2つほど考えられそうです。1つは、iOSでは別会社が作ったアプリを拡張機能的に呼び出す仕組みがないこと。もう1つは、中国でスマホとともにモバイル決済が急速に普及したのに比べると、日本市場にはすでにSuicaやnanacoを始めとするICカード型プリペイドカードが普及していたことです。スマホ(ネット)の世界と電子決済の世界は、今もかなりの部分で分かれたままです。アジアのミニアプリが証明したのは、「現実世界、アプリ、決済(アカウント情報)」の3つが、これまでは思うほどスムーズに連携していなかったという事実ではないでしょうか。
それがApp ClipsによってiOSの世界でもミニアプリ的なものが実現できる可能性が出てきた、という風に思えます。また、大規模な先行投資によって小売決済で一定シェアを抑えたうえで、API連携によるミニアプリに対応したPayPayも中国のエコシステムのようなものを実現できる地点に近づいているようにも見えます(2020年6月時点でPayPayは3,000万ユーザー)。決済を抑えていることこそが自分たちのモート(Moat:参入障壁)とであるということを、2019年時点でGojekは明確に述べています。
実店舗でApp Clipsを使ったり、PayPayからUber Eatsを使ってみたりして、いよいよ日本でもミニアプリの波が来るかもしれないということを感じていますが、皆さんはどう思われますか?
そうそう、もう1つ大事な論点があります。特定私企業のプラットフォームが強くなりすぎる結果、その企業の思惑で競争が歪められることになれば、何年後かに標準化(例えばWeb Payment Request API)の揺り戻しが来るだろうなとも思います。現在のApple対Epic Gamesの対立も、そうした構図の象徴です。「誰の許可を得ることもなく、同じ言葉(HTTP)を話す限り自由に表現活動やビジネスができる」というのがインターネットが成功した原理の1つです。この原理は短期的に崩れることはあっても、やがて標準化によって是正されるのが、これまでの歴史ですし、また未来であってほしいと思います。
Partner @ Coral Capital