本記事は豊田菜保子さんによる寄稿です。豊田さんは、楽天をはじめ、国内外の企業で人材育成やダイバーシティ推進を専門としてきました。現在は、スタートアップや起業家人材の支援プログラムを主に自治体と協力して企画・運営する傍ら、スタートアップやテック企業向けに「人」「チーム」「コミュニケーション」に注目した研修やアドバイザリーを提供しています。
豊田菜保子さんによる他の記事の一覧は、こちら。
あなたは、なぜキレてしまうのか?
「怒りたくないのに、つい怒らずにはいられない」
「自分がキレるせいで、社内の雰囲気や人間関係が悪くなっている」
「いつかパワハラで訴えられるのでは、と不安」
そんな悩みを抱える経営者は、多いのではないでしょうか?この記事を読めば、あなたの怒りの原因を理解して、気持ちを鎮めるための対策が取れるようになります。
今回は、「怒り」の3つのメカニズムを取りあげて、それぞれのケースに「今すぐ」効く対処法と、根本原因にアプローチする中長期的な対策をご紹介します。
あなたが取り組んでいるスタートアップが大成功するにしろ、そうでないにしろ、人生の後半で、起業家として奮闘していた自分を振り返るときがやってきます。当時の人との関わり方や、それが原因で失った仲間のことを想って後悔しないために、ぜひ実践してみてください。
(1) 本能としての「怒り」と対策
プロダクト・マーケット・フィットを目指すスタートアップのCEOが、開発中のプロダクトに関する意見を求めて、専門家を訪ねたとします。褒められているうちは「もっと修正すべき点も知りたいのにな……」ともどかしく感じていたのに、いざ建設的な批判が飛び出すと、ノドのあたりに込み上げてくる怒りを感じます。一体、何が起きているのでしょうか?
「怒り」は、私たちの脳に標準装備されている感情です。人間の生物学的な本能は、「生きるか、死ぬか」の状況で、いかに生き残るかという点に対して最適化されています。命の脅威に直面すると、「戦うか、逃げるか、固まるか(Fight, Flight or Freeze)」を反射的に判断し、「戦う」を選択したときに「怒り」の反応が表出します。
例えば、道を歩いていて自転車とぶつかりそうになったら、「危ないだろ!」と思わず怒りの感情があふれ出します。また、誰かがあなたの共同創業者を侮辱したら、社会的動物としてグループを守る本能が作動して、言い返したくなるでしょう。本能としての「怒り」は、必ずしも悪いものではなく、今必要な行動を起こす勇気を与えてくれるメカニズムでもあります。
問題は、「生きるか、死ぬか」の緊張感に常に支配されて、怒りに火がつきやすい状態になっているケースです。現代社会で生きる私たちの日常には、実際に生死に関わる脅威はほとんどありません。しかし、スタートアップを経営していると、体感的には毎日そうした感覚に陥っていることがあります。
さらに、冒頭のCEOの例では、プロダクトと自分が切り離せていないために、プロダクトについての批判を、自分やチームに対する攻撃のように感じて、怒りの感情が出てきています。頭では批判的な意見を求めていても、本能レベルで防衛反応が働いてしまうのです。
本能的な怒りが原因で「キレやすい」ということは、経営者にとって重要な「理性」や「論理的思考能力」が下がっているサインでもあります。通常、脳の奥のほうにある「大脳辺縁系」から表出した本能的な感情は、外側にある大脳の「前頭前野」で自動的に制御されていますが、この前頭前野は理性や論理的思考を司る場所でもあるのです。ストレスや睡眠不足などで萎縮して機能が低下すると、感情を抑えることができなくなってしまいます。
本能的な怒りを「今すぐ」鎮める方法としては、「6秒ルール」と「息を吐くこと」が効果的です。怒りがこみ上げてくるのを感じたら、とにかく6秒間(人によって30秒間)は集中して、波が去っていくのを待ちます。次に、息を吐く長さを意識して、副交感神経を刺激し、身体をリラックスさせます。4秒間息を吸ったら、8秒間以上かけて深く吐きましょう。
中長期的には、前頭前野の機能向上が必要です。基本は、ストレスを減らす努力と、適切な睡眠・運動・食事を心がけることです。6秒ルールの実行が難しい人は、「マインドフルネス」や「瞑想」をトレーニングとして取り入れるのがお勧めです。
ストレスの大部分が人間関係に起因する場合は、臨床心理士など専門家の助けを借りて、「人との関わり方」を見直してみましょう。ストレスを減らす糸口が見つかるはずです。
(2) 二次感情としての「怒り」
B向けのSaaS製品を開発し、最初の有料顧客をゲットしたとしましょう。喜びも束の間、バグの報告や、機能追加のリクエストが山のように届きます。実は、自社の価値観や開発方針に合っていない要望も多いのですが、言い返したいのをぐっと我慢して、顧客のニーズに応えつづけます。この頃から、社内のメンバーに腹が立ったり、プライベートで恋人と喧嘩したりすることが増えていきました。顧客との状況と、何か関係があるのでしょうか?
「アンガーマネジメント」という言葉を、聞いたことがあるでしょうか?これは、1970年代に米国で体系化された怒りの感情とうまく付き合うためのスキルのことです。日本でも、パワハラ防止策の一環として、研修を実施する企業が増えています。
アンガーマネジメントでは、「怒り」のメカニズムを、燃料に着火して炎を出すライターに例えます。日常で溜まった「マイナスな感情」が燃料となり、自分の価値観や理想への「裏切り」が着火スイッチの役割を果たして、「怒り」という感情が生まれます。
先ほどのSaaS企業の例では、顧客との関係でマイナスな感情を我慢して、燃料がどんどん溜まっていく構図になっています。そこで、たまたまメンバーが作った資料の内容が想定と違っていたり、恋人の態度がそっけなかったりすると、どうでしょうか?燃料が溜まっていなければ、それぞれ「すり合わせが足りなかった」「疲れてるのかな」と冷静に対応できる状況でしょう。しかし、マイナスな感情が蓄積されていると、価値観や理想とのズレがスイッチになり、怒りに火をつけてしまいます。
二次感情としての「怒り」を鎮めるためには、短期的には、先述の「6秒ルール」「息を吐く」といったテクニックや、「マインドフルネス」「瞑想」などのトレーニングが役立ちます。しかし、中長期的に見ると、本能的な怒りとは少し違った対策が必要です。
1つ目のアプローチは、一次感情が溜まらないようにすることです。「寂しい」と感じたら、触れ合う。「疲れた」なら、休む。「悲しい」なら、誰かの肩で泣く。そうするうちに、さまざまな感情はそのまま消化されて、怒りに変換するための「燃料」がなくなります。燃料が少なければ、着火スイッチが入っても、炎の勢いは弱く、持続時間は短くなっていきます。
2つ目は、価値観や理想に基づいた「〜べき」という思い込みを、できるだけなくすことです。プレゼン資料は、こうあるべき。始業時間の、X分前には出社すべき。とにかく仕事を優先すべき。そんな「〜べき」が減れば、着火スイッチがONになる頻度を下げることができます。
上記2つのアプローチは、どちらも「言うは易く行うは難し」です。プロによる心理カウンセリングを活用したり、あなたの周りで感情の処理が得意そうな人や、「〜べき」という思い込みが少なそうな人がいれば、その秘訣を聞いてみたり、できることから始めましょう。
(3) 他者を動かす道具としての「怒り」
スタートアップを起業して、初めて部下を持つ立場になった人がいるとします。顧客や投資家との矢面に立っている自分はプレッシャーを感じていますが、社員と友だち感覚で接しているせいか、社内にダラダラした空気が流れはじめていました。ある日、「いい加減にしろ!明日までに仕上げてこい!」と怒鳴ったら、翌日に完成品が上がってきました。それ以来、どんどん怒鳴る頻度が上がっていきます。これは、効果的なリーダーシップなのでしょうか?
生まれたばかりの赤ちゃんは、「泣く」というコミュニケーションだけで、他者(親)を動かして望みを叶えます。しかし、次第に「泣く」だけでは親が要望を聞いてくれないことが増えると、試行錯誤が始まります。相手に笑いかけたり、ダダをこねたり、黙ったり、論理的に説明したり、どのコミュニケーションが効果的か学んでいくのです。
成長するにつれて、動かしたい相手との関係性も、友だち、先生、先輩、後輩など、多様になっていきます。さまざまな相手とのコミュニケーションを経験するなかで、失敗体験や成功体験が積み重なると、その人なりの経験則が生まれてきます。そうして、要望の難易度や、相手との関係性を考慮して、「最適」と思うコミュニケーションを選ぶようになっていきます。
ただし、これはあくまで「経験則」であるため、生きてきた環境が違えば、「最適」と考えるコミュニケーション方法も異なります。例えば、親が怒鳴って子どもに言うことを聞かせる家庭で育った人や、学生時代に部活で先輩が声を荒げるのを「指導」と捉えてきた人などは、他者を動かすコミュニケーションとして、「怒り」を違和感なく選択できてしまいます。
注意すべきは、コミュニケーション手段としての「怒り」が、今の社会で急速に居場所を失っていることです。年功序列・終身雇用の時代には、上司が部下に「怒る」ことは、語弊を恐れずに言えば、非常にコストパフォーマンスが良かったのです。相手はすぐ自分の思い通りに動いてくれますし、会社を辞めたり、パワハラで訴えたりする心配もなかったからです。
ところが今は、離職や訴訟の可能性などコストが高い割に、怒鳴ったからといって相手が言うことを聞くわけではありません。冷静な話し合いができる上司や、「納得」や「共創」に根ざしたリーダーシップが評価される時代です。他者を動かす道具として「怒り」を使ってきた人は、コスパの悪化に早く気づいて、コミュニケーション戦略を変更しましょう。
このタイプの「怒り」には、自分のコミュニケーションのパターンに気づくために、「6秒ルール」や「息を吐く」ことを活用しましょう。中長期的には、新しいリーダーシップやコミュニケーション方法を学んで、実践してみましょう。最初は不安でも、きっとすぐに「怒り」がいかに不毛なツールだったか実感するでしょう。
また、あなたが「怒り」を使ったリーダーシップやコミュニケーションを取っているということは、過去に同じような戦略を取られていた可能性があります。そうした経験のトラウマを抱えている場合は、心理カウンセラーなど専門家に相談して、少しずつ心の傷を癒しましょう。
大切な存在を失うまえに、「怒り」と向き合おう
あなたの怒りの原因と対策が、少し見えてきたでしょうか? 今回は、「怒り」の3つのメカニズムを取りあげ、それぞれのケースに「今すぐ」効く対処法と、根本原因にアプローチする中長期的な対策をご紹介しました。
怒りの頻度や強度を下げていくには、「あなた」がどのメカニズムに当てはまるかというよりは、「今日のあの怒り」はどのタイプかと考える方が、生産的な振り返りができます。
「怒り」で大切な仲間や居場所を失う前に、その原因と向き合って、ぜひ対策を取ってみてください。
Contributing Writer @ Coral Capital