ピボットで1年後売上は約50倍の伸び、イタリアの116社の実験で判明

ピボットするスタートアップの1年後の売上が約50倍になったという実験があります。もう少し具体的に言うと、イタリアのスタートアップ116社を対象に4人の研究者たちが行なったランダム化対照実験の結果です。コントロール群と介入群の2グループに分けて、異なる起業家トレーニングを施したところ、一方のグループ(介入群)のピボット率は約2.3倍となったほか、驚くべきことにトレーニング後の1年間の売上の平均は約47倍もの差にもなった、という実証研究があるのです。

以下のグラフの左側が、2つのグループの1年間の平均売上の比較です。グレーの背の低い棒グラフが示すコントロール群では約2万4,600円(225.4ドル)であるのに対して、黒の背の高いグラフの介入群では約132万円(1万2070ドル)となっています。介入群の企業では売上が立つようになるまでの期間も約半分と短かった、と言います。

Source: Think Again – The Power of Knowing What You Don’t Know (Adam Grant, 2021)

この実験結果は2019年に論文、「A Scientific Approach to Entrepreneurial Decision Making: Evidence from a Randomized Control Trial」(Arnaldo Camuffo、Alessandro Cordova、Alfonso Gambardella、Chiara Spina)としてまとめられているほか、心理学者でベストセラー作家のアダム・グラント氏の2月に出た新著『Think Again: The Power of Knowing What You Don’t Know』でも紹介されています。なお、上記の売上の「平均」は算術平均なので外れ値に引きずられやすい傾向があります。飛び抜けてうまく行った会社があると数字が大きくなります。実際、売上の中央値の比較では2群の差は47倍ではなく、2.6倍の差となっています。私は「中央値で2.6倍」も等しく説得力が高いと思いますが、アダム・グラント氏は心理学者ですから、著書ではよりインパクトの大きな数字を使ったのかもしれません。

やはりスタートアップにとってピボットは重要

116社は、リーンスタートアップの方法論を教える2つのスタートアッププログラムで実験参加を呼びかけたシード前後のスタートアップで、ランダムに2グループに分けられました。

両グループとも4か月の起業家プログラムに参加し、一般的な10セッションのトレーニングを受けました。ビジネスモデルキャンバスを書き、ユーザーヒアリングや行動観察などについて学び、MVPを作ってユーザーの反応やフィードバックを分析する、といった一般的なスタートアップ向けプログラムです。違ったのは介入群のほうには、これらに加えて「科学的思考法」について具体的にやり方を教えたことです。

いつもCoral Insightsを読んでくださっている方であれば、過去にメジャーなピッチ大会で勝った日本のスタートアップ約400社その後について10年分を調べたレポートを読んでいただけたかもしれません。そこで得られた定性的な洞察として「対外的に明確にサービスの終了を宣言しているスタートアップ企業の成功率が高いように見える」ということがありました。これはピボットによる成功を思わせると書きました。このイタリアの実験は、そのことを裏付ける検証データに思えますので、以下でご紹介します。

科学者のように実験方法を考え、仮説棄却の客観的基準を持つ

リーンスタートアップの一般的方法論に加えて、介入群に対して追加で促したのは科学者のように考える、ということだったそうです。仮説やアイデアの有効性を徹底して検証するためのフレームワークを自分たちで準備するよう教えたそうです。ちょうど理論上の仮説を実験で証明する科学者と同じだ、というのです。

アダム・グラント氏は著書『Think Again』の中で「第一原理」という概念の重要さを指摘しています。

数学は、証明不要な普遍的真理として据える複数の公理から出発し、そこから演繹的に定理を導き出して体系を積み上げていきます。このときの公理は最も基本的なもので、経験とか、その後の定理や推論、実験から得られたデータによって覆らないものです。数学の公理に相当する「証明不要なもの」と、そうでない「推論や検証が必要なもの」を峻別することは、ビジネスモデルキャンバスに含まれるビジネス要素が、そのいずれであるかを意識するときに極めて重要だというのです。第一原理は証明が不要である一方、それ以外のものは実験やデータによって厳密に検証されなければいけません。

有名なAmazon創業者ジェフ・ベゾス氏の例でいえば、「ユーザーは少しでも速く商品が届いてほしいと思っている。ああ、もっと時間がかかって待つ楽しみがあればいいのにと言い出すことはない。それは10年後も20年後も変わらない」というところから出発しています。そのバリュープロポジションは普遍的原理ですが、コスト構造などは検証が必要なものです。

意思決定のルールを言語化し、検証の前に基準を決める

先のイタリアの実験で介入群のスタートアップ起業家は、慎重かつ厳密に設計された検証プロセスによって証拠を集めて、徹底してデータ分析をすることを促されたと言います。検証開始前に意思決定のルールも言語化。何が仮説で、それが正しいと言えるためには、どういうデータが必要か。どういう結果になったら仮説を棄却し、どういう結果であれば仮説を正しいものとして先へ進むのか。そうした基準を「事前に」決めていたというのです。これは科学者が実験によって理論や仮説を検証するプロセスに似ている、ということから論文著者らは「科学的思考法」と呼んでいます。

これは当たり前のように思えて、そうでもないのではないでしょうか?

仮説検証はスタートアップでは当たり前の発想となっているかと思います。データも取るかもしれません。ただ、その取り方に関する妥当性や、検証方法がMECEであるかの議論なども行われているでしょうか。イエス・ノーの意思決定は客観的でしょうか。むしろデータがそろってからイエス(あるいはノー)である理由や蓋然性を後付で考えるようなこともあるのではないでしょうか。

イタリアの実験では介入群は早期にピボットする率が高かった一方で、ドロップアウト率も高かったと言います。アダム・グラント氏は、科学的思考法が、事業計画や仮説に関する「偽陽性のリターン」があるプロジェクトを推し進める確率を下げるからだと指摘しています。いずれにしてもピボットするか、ドロップアウト(事業を諦める)かの意思決定が速かったということです。

展示会に出展したら名刺が1,000枚集まったとか、営業リードがたくさん取れて大手企業との商談も数件決まった、というようなシグナルは偽陽性(本当は成功のシグナルでないのに、そう思えること)である可能性があるわけですが、小さな勝利を喜ぶべきスタートアップで、これを棄却するのは難しいことだと思います。しかし、科学的発想からすれば、実験やデータで証明されていないものは真とも偽とも言えません。集まった名刺の数が半年後の売上と相関していると検証済みでない限り、いつでも棄却され得る仮説という前提で実験を繰り返せ、というのがイタリアでの実験の教訓なのかもしれません。

偽陽性のシグナルから特定のプロジェクトや仮説に拘泥してしまうことは、経路依存性のことを考えると、そのネガティブインパクトは大きなものなりそうです。つまり最初に間違った方向に歩み始めているのに、それを修正しないと、正しい方向にある大きなリターンへの経路を発見することはないということです。それが数字で現れたのが約50倍という平均売上の差という実験結果ではないでしょうか。

科学的の反対はヒューリスティクス

科学的思考法について特に何も言われなかったコントロール群は、リーンスタートアップの方法論に従っていたはずです。これはこれで現在知られているスタートアップ立ち上げのベストプラクティス集のはずです。何が違ったのでしょうか?

論文著者らによれば、起業や事業プランに関する意思決定で情報を集めたり吟味するときに、科学的検証方法を使わない場合には、探索ヒューリスティックを使うのだと言います。検証や意思決定の方法論が科学的ではなく、「過去の経験から、これでうまく行くと思われる」という思考になっているということです。著者らが挙げているのは確認的探索や、エフェクチュエーションと呼ばれる、今ある手段から新しい可能性を創造していくアプローチといったものです。

論文著者らはハーバード・ビジネス・レビューに寄せた2020年11月の紹介エッセイの中で、ミラノで電動スクーターを提供するスタートアップが、科学的思考によってニーズのない「通学用」という隘路へ迷い込むことが避けられて、最終的にM&Aによるイグジットに繋がった事例を紹介しています。ご興味のある方は目を通してみてはいかがでしょうか。

このイタリアの実験によって何か劇的に効果のある「これ」という方法論が見つかったわけではありません。多かれ少なかれ、現代のビジネスパーソンはみな科学的に思考しているはずです。論文の結びにおいても著者たちは、科学者のような厳密な検証プロセスを使うことを促したことで事業立ち上げのパフォーマンスが大きく変わることを示せただけで、具体的に何が有効であったかの分析は今後の研究を待つことになると結んでいます。

これをやればうまくいくとか、方法論の議論で事業が立ち上がるほど簡単な話ではない、という意見も多いでしょうし、それはその通りだと思います。ビジネスは科学のように割り切れない多数のパラメーターがありますし、課題領域はすべて個別性があります。しかし、さまざまな事業検証や意思決定の方法論の根本にある態度の違いが事業立ち上げの成功率に大きく影響しているとする、その統計的検証結果に意味がないと反論するのだとしたら、それもまた科学的態度から遠いのかもしれません。

Ken Nishimura

Partner, Chief Editor @ Coral Capital

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