本記事はSymmetry Dimensions創業者でCEOの沼倉正吾氏による寄稿です。沼倉氏はxRに特化したR&D開発を大手企業と手掛け、デジタルツイン活用の最前線では都市開発・防災領域での事例に取り組んでいます。前編・後編の2本の記事に分けて各国の官民の取り組みや、現在のコンセプトに連なるデジタルツイン誕生の歴史、現在花開いているユースケースをご紹介いただきます。
都市空間を3Dモデルとして用意することで、都市のインフラ設計や建設、防災などのデータに基づく分析やシミュレーションに活用する。そんな市場が立ち上がりつつあります。ちょうど2次元の地図が整備されたことで、インフラ整備のみならず、商圏分析や人流・混雑状況把握など商業利用も進んだように、幅広い応用が期待されています。
そうした都市空間の3D化において官の役割は大きなものになりそうです。以下に日本を含め、これまでの取り組みをいくつかご紹介します。
2021年3月26日、日本の国土交通省から「Project PLATEAU(プロジェクト プラトー)」が公開されました。
これは日本全国の3D都市モデルを国が主導して作成し、二次利用・商用利用可能なオープンデータという形式で公開・配布したものです。公開直後からゲームやアートクリエーター界隈で話題となり、PLATEAUを使ったさまざまな映像作品、VR/ARのアプリケーションがSNSにアップされました。また、「Perfume」のデジタル映像演出を手掛けるライゾマティクスがプロモーションを担当したPVやオフィシャルサイトは、従来の国土交通省のお堅いイメージを塗り替えるクールな表現で、国土交通省が描く新デジタルツイン構想Project PLATEAUとは何なのかについて、さまざまなメディアで取り上げられています。
続く2021年7月29日には、東京都から「デジタルツイン実現プロジェクト」のWebサイトが公開され、Project PLATEAUを活用して、東京都の持つさまざまなオープンデータを接続・可視化した東京都デジタルツイン3Dビューア(β版)にアクセスが可能になりました。この東京都デジタルツイン上には、リアルタイムの交通情報や河川のWebカメラ、人流データなど、さまざまなデータを重ね合わせることが可能になっており、現在や過去の東京がどのような状態かを見ることができます。こちらも「仮想空間にもう1つの東京?」「都市のデジタルツインの社会実装に向けた検討会」などの見出しで、多くのメディアで報道されています。
海外では、東京都23区とほぼ同じ面積を持つ都市国家シンガポールが、世界に先駆けて2014年に「バーチャル・シンガポール」という都市のデジタルツイン化プロジェクトを開始しました。都市全土の3DCADデータを作成し、都市計画の立案やインフラ整備計画、ビルの屋上に設置する太陽光発電パネルの出力シミュレーションや設置個所の検討などに取り組んでいるものです。
これら2010年代中頃から急速に登場してきた「デジタルツイン」とは一体なんなのでしょうか?
デジタルツインの歴史
デジタルツインは、2002年にミシガン大学のマイケル・グリィーブス(Michael Grieves)教授が提唱した概念です。製品や設備など、現実世界の「モノ」「コト」の情報をデジタルの世界にコピーして、不具合や故障などを仮想空間上で忠実にシミュレーションしよう、という考えです。これにより製品の開発を効率的に行ったり、出荷後の製品のデータからユーザーがどのような使い方をしているのかなどをフィードバックして次期モデルの改良を行おうというものです。
デジタルツインの歴史を遡ると、米国国家航空宇宙局(NASA)にたどり着きます。NASAでは1960年代の宇宙開発初期から、物理的に離れている場所にあるシステムの運用・保守・修復の問題を解決するために「ペアリング・テクノロジー(Pairing Technology)」と呼ばれる技術を利用していました。これは、地上側と宇宙側でそれぞれまったく同一の宇宙船内の部品や構造を用意しておくことで、より簡単にスピーディに遠くはなれた宇宙で起きた問題への対処を行うことを可能にするものです。
ぺアリング技術を有名にした逸話として、アポロ13号で起こった酸素タンクの爆発事故があります。1970年4月に行われたアメリカ合衆国のアポロ計画3度目の有人月飛行ミッションの最中、アポロ宇宙船の電線のショートが原因で酸素タンクに引火して爆発を引き起こしました。この爆発の影響で飛行士たちが船内で放出する二酸化炭素を除去するフィルターが働かなくなってしまい、二酸化炭素濃度の上昇による深刻な状況に見舞われました。
アポロ13号からの報告を受け、地上のNASA技術者たちはアポロ13号船内にある機材設備とまったく同じものを用意し、どう組み合わせたら二酸化炭素を除去するフィルターが作れるかを検討しました。なぜ、このようなことをするのでしょうか?それは頭の中だけで考えるよりも、実際のモノを目の前にしながら考えた方がより良いアイデアや解決策が生まれやすく、それに要するスピードも速いからです。現在でもNASAはこのペアリング技術を活用しており、PC上のデジタルデータを使ったデジタルツインも積極的に利用されています。
この時の爆発事故はトム・ハンクス主演の映画『アポロ13』(1995年)の中でも描かれていたのでご覧になった方も多いと思います。また、マット・デイモン主演の映画『オデッセイ』(2015年)の中でも、地球のNASAの技術者たちが火星にいる主人公に対して、まったく同じ機械やローバーを準備して、改造の仕方を検討・指示する場面があるので興味のある方はご覧になってみてください。この映画はエンジニア賛歌の決定版です。
都市のデジタルツイン
このデジタルツインを都市などの広い空間で利活用する動きが加速しています。背景には、ドローンやスキャナ、IoTセンサーの低価格化で現実世界のデジタルデータ化が容易になってきたこと。2018年から登場した第五世代移動通信規格(5G)により、巨大なデータの送受信が可能になり、都市の中の様々なデータを高速にアップロードすることが可能になってきたこと。そしてコンピュータの処理能力が向上してきたこと、などが挙げられます。これらテクノロジーの進化により都市のデジタルツインの実現性が見えてきたのはつい最近のことです。そして日本では、冒頭に紹介した国土交通省の3D都市モデル Project PLATEAU により都市のデジタルツイン構築の流れが急加速し始めました。2025年までの世界のデジタルツイン市場規模は48兆円、隣接するスマートシティ、BIツール、GISなどを合わせると141.2兆円であり、日本国内のTAMは9.6兆円となります。
―――おいおい、ちょっと待ってくれよ。「スマートシティ」や「Society 5.0」「スーパーシティ構想」「Cyber Physical System(CPS)」「デジタル田園都市構想」などなど……、似たようなワードがたくさんあるけどこれらは何なの?という疑問を持つ方もいると思います。大雑把に言ってしまえば、現実の世界のデータを集め、それをもとに都市を最適化し生活の質(QOL)を向上させるという意味でこれらは全て同じものです。「デジタルツイン」や「CPS」はデジタルコピーを作る技術を指す言葉であり、「スマートシティ」や「Society5.0」「スーパーシティ構想」「デジタル田園都市構想」は、デジタルツインを活用して目指す都市の姿やビジョンだと理解しておけば問題ありません。
都市デジタルツインの活用方法
都市のデジタルツインはどのような活用が期待されているのでしょう?
現実世界の都市には、建物・施設、電気・ガス・水道・通信などのエネルギーインフラ、電車・バス・クルマなどの交通インフラ、気象、生活・移動する人々など、たくさんの「ヒト」「モノ」「コト」に溢れています。これら膨大な静的・動的事象をデジタルデータとして取得し、現実の世界とほぼ同じ双子のデジタルデータ=デジタルツインを構築します。このデジタルツイン上にある都市の様々なデータを組み合わせることで、従来では難しかった都市空間の中での精度の高いシミュレーションが可能になります。また、災害が発生した際にはリアルタイムの現地情報を基に、その先に起きるであろう未来の事象を予測し、避難経路の誘導や救助活動を行ったりするなど、従来は出来事が起こった後に対処をする「事後の対応」から、未来を予測し危険を回避したり最適化を行う「事前の対応」が可能になると考えられています。
またこれらの公共的なオープンデータだけではなく、民間の企業が持つ様々なデータをここに接続していくことで、都市のデータ・エコシステムを作り、まったく新しいアプリや新規市場の創出、従来は行政側が提供していたサービスを民間主導で開発してしまうという「市民起点のサービス構築」などにも期待が持たれています。Symmetry Dimensionsでは、これを「データの民主化」による新たな市場と考えています。
デジタルツインは、このデータの民主化やCPU処理速度の向上、現実世界の情報を収集するIoTセンサー・デバイスの普及により利用方法も進化していきます。「アーカイブ(過去にどうなっていたのか)」「リアルタイム(今どうなっているのか)」「プレディクション(この先どうなるのか)」という形で進んでいくと予想しています。
次回は、デジタルツインがどのように活用されているのか、国内外の自治体やスタートアップの事例をご紹介します。また最近なにかと話題のメタバースがデジタルツインとどのように繋がっていくのかもお話しします。
Editorial Team / 編集部