誕生からもうすぐ30年、いまだに一部のWindowsユーザーから根強い支持を集めるテキストエディタ「秀丸」をご存じでしょうか。2021年11月には11年ぶりの“メジャーアップデート”が報じられ、話題になりました。
秀丸は多くのプログラマーやライターたちが愛用した、大ヒットソフトウェアです。大手のSIerでも、統合開発環境が一般化する2010年頃までは標準開発ツールとして使われていたことがあるほどでした。
開発者の斉藤秀夫さんは秀丸があまりに売れたため、当時勤めていた富士通を退職して独立。個人開発のプロダクトでありながらも、ピーク時は1年間のライセンス販売代金が1億5,000万円を超えたとも言われ、元祖ソフトウェアスタートアップともいうべき存在です。
誕生からアップデートを続け、長年愛され続けるプロダクトの魅力に迫りました。
インタビュー後編:「もしマイクロソフトから買収提案があったら?」 人気テキストエディア「秀丸」開発者に聞く“スタートアップ観”
ホームページのデザインもずっと同じ
ーー斉藤さんの近況についてお聞きしたいんですけれども、ここ10年ほどの活動としては、どんなことをされているのでしょうか。
斉藤さん:ずっと同じです。特に代わり映えもなく、秀丸の会社をやっています。僕個人はここ10年くらいはテキストエディタの開発から離れて、主に「秀丸メール」というメールクライアントの開発をしています。秀丸を担当する社員は別に1人いて、2人で細々とやっている感じです。
ーーずっと変わることなく、サイトー企画という会社で「秀丸」と「秀丸メール」というソフトウェアをつくっているわけですね。会社のホームページの見た目もずっと同じに見えます。
斉藤さん:実は1回だけ、ホームページのデザインを変えようと思ったことはあるんですけれども、やっぱり僕らはそういうことがあまり得意じゃないので、結局そのままです。
スマホ向けに直したほうがいいという話もあがったんですけど、直すのは大変だな、と。あとは外国からアクセスした場合は英語で出るように、みたいなことも少しやってみましたが、途中で挫折したままですね。
秀丸の値段、なんと最初の発売時から変わっていない
ーーこのサイトからは“商売っ気のなさ”みたいなものを感じるんですけれども。
斉藤さん:そうですね。あまり考えたくもないんです。一応、何年か前にMicrosoft Storeでもソフトウェアを販売しよう、という動きがあって、その対応はしました。あとは支払い関係で、PayPal対応をしたりとか。そういった細かいところをやったくらいですね。
ーー秀丸のお値段というのは、いまも変わらずですか?
斉藤さん:価格は発表当初から4,000円で変わっていません。消費税分は上がっていますけれど、税抜き価格は同じです。
11年ぶりメジャーバージョンアップの意外な裏側
ーー昨年、秀丸が11年ぶりのメジャーバージョンアップと報じられました。ver9.00となったわけですが、その背景について教えてもらってもいいでしょうか?
斉藤さん:これまで小さなアップデートをしたときはバージョン番号を0.01ずつ上げて、大きな機能を追加したときは0.1ずつ上げていたんです。
ただ、そうしていたら、ついにver8.99までいってしまいました。
話がそれてしまうんですけれども、秀丸エディタには公式マニュアルというものがあって、表紙に「ver8対応」と大きく書いてあるんです。社内にその在庫がたくさんあるので、正直、ver9.00にはしたくなかったんです。
ここ数年は秀丸エディタの担当に、「そういう事情があるからなるべく9には上げないでくれ」とお願いしていたんですけど、バグが出てしまったりして、細かい修正をどんどんしていたら、8.99まできてしまった。
「もうマニュアルも全部廃棄かな」と思ったんですけれど、やっぱり捨ててしまうのももったいないので、マニュアルの購入ページに「ver8対応とありますが、ソフトの内容はそんなに変わっていませんから大丈夫ですよ」みたいなことを書いて継続販売をしています。
ーー100回くらいバグを潰したりアップデートをしていたら、0.01ずつ上がっていって仕方なくメジャーアップデートすることになってしまった、と。
斉藤さん:自然とそうなってしまいましたね。実は秀丸メールもそうなんです。バージョン6から7に上がったときに、窓の杜さん(※1)とかが「メジャーバージョンアップが出たぞ」という記事を出してくれたんですけれど、実はそんなに大きなことではなくて…。
ーー1の位が上がると、僕らは「メジャーアップデートだ!」と騒いでしまいますけど、ただの改修の連続ということなんですね。
斉藤さん:そうなんです。いまは9まできましたが、10になってしまうと2桁になるので、あまりよくないのかなぁと思っていて。だから、秀丸エディタの担当には「あまりバグを出さないでくれ」「バージョンを上げないでくれ」と常に言ってあるんです。
とはいえ、バグ修正だけでなくて機能追加もいろいろとやってきました。カラー絵文字に対応したり検索機能を追加したりと、それなりに機能強化してはいます。
※1:窓の杜は1990年代半ばにスタートした、Windowsのオンラインソフトを紹介するネットメディア。株式会社インプレスが運営している。
秀丸はもうすぐ30年、有数の老舗ソフトウェアに
ーー最新版はver9.00を超えたわけですが、秀丸を最初に出されてから、今年で何年になるんでしょうか。
斉藤さん:会社をつくったのは1993年頃だったと思いますが、実際はもう少し前から開発はしていました。もうすぐ30年くらいたちますね。
ーー30年も個人でアップデートをされていて今も使われているソフトウェアってそんなにないのでは、と思います。
斉藤さん:あまりないかもしれませんね。昔はNIFTY-Serve(※2)でいわゆる“シェアウェア(※3)”として販売していたんですけれども、その頃から売っていて今も残っているもの、当時の作者がちゃんとサポートをしているものは、たしかになさそうですものね。
秀丸はとりあえず売れる以上はちゃんとアップデートしないといけない、というところがあって続けています。あとはいろいろなユーザーさんから要望とかもいまだに来るんです。
そういうものに一つひとつ対応しているだけ、というのかな。一応、仕事的にやらないといけないからやっている、という感じです。
※2:ニフティが1987年から2006年まで運営していたパソコン通信サービス。ニフティは斉藤さんが在籍していた富士通と日商岩井(現・双日)の出資で1986年に設立された。
※3:シェアウェアとはソフトウェアの配布・利用許諾方式の一つ。無料で試用できるが、一定期間以上利用する場合はライセンスを購入する必要がある。
「ずっと惰性でやっているというか…」
ーーでもソフトを開発して、30年間使い続けてもらうには、斉藤さんや会社自身もどんどん成長していかなければいけない。どうやってご自身をアップデートしていくんでしょうか。
斉藤さん:会社はもう全然進化していなくて、ずっと惰性でやっているというか。とりあえず要望や問い合わせに毎日答えているだけで、なにか明確なビジョンがあって会社を運営している、というほどではないんです。
ーーちなみにコロナ禍で変わったことは、何かあるんでしょうか。
斉藤さん:会社のほうはもともとコロナ禍になる2、3年前から社員はどこで仕事をしてもいいよ、というルールにしていました。一応、事務所はあって、僕と奥さんはそこで仕事をしていたんですが、社員はどちらでもいい。
けれどもコロナ禍になったので、なおさら会社には来なくていいよ、という話になりましたし、うちの奥さんも「自宅で仕事をする」と言い出して、事務所も必要なくなったので、いまはほぼ自宅兼事務所になっています。
出張などもないですし、人と会うことがまずないので、仕事自体は変わっていないです。
何時から何時まで仕事をしようが自由だし、何をやっているかの報告も誰もしません。ただ、サポートの問い合わせにどう答えているのかは、僕も全部わかるようにしてあります。単にメールをCCで僕宛にも送っている、だけですけれど、それくらいです。
特別に急いで連絡をしなければいけないこともないので、普段の連絡はメールです。
もしも、いま起業するなら?
ーーテキストエディタで起業したわけですが、もしも斉藤さんがいま何か始めようとするとしたら、「こういう分野をやってみたい」みたいなことはありますか。
斉藤さん:別に、ないです。特に良いアイデアも思い浮かばないですから。例えばスマホにもあまり興味がないんです。「スマホでこういうことをしたい」というニーズがあれば、「そういうものをつくりたいな」と思うところもあるとは思います。でも僕自身が使いこなせていないですし。
いま使っているのはシャープのAQUOSで、ごく普通のやつ。単純に携帯電話からスマホに乗り換えるときに、「安い機種なら何でもいい」という感じで選びました。特別なこだわりもないんです。
最近はようやくLINEとかを使うようになりましたけど、もともと電話もそんなにしなかったですし、仕事上でやり取りをする必要もほとんどなく、プライベートでも頻繁に話す相手もいないので、持っているだけみたいな感じでした。
ーー斉藤さんが最近注目しているソフトウェアとか、最近注目しているIT企業はあったりしますか。
斉藤さん:全然知らないので、ないですね。
ーー先程、LINEとおっしゃっていましたけれど、よく使われるアプリはありますか。
斉藤さん:ゴルフが趣味なんですが、毎月1回、会合があるんです。僕が入った当時はそのやり取りを、いまだにFAXでやっていたんです。「それはさすがに時代遅れだろう…」というふうに言って、LINEグループをつくったんです。
ただ、平均年齢が高いのか、まだ半分くらいしか入ってくれません。僕がいまいるところはそういうレベルなので、そもそも全然世間に追い付いていないんです。僕自身もそうですし、僕の周りなんかはもっと追いついていません。だからたぶん興味もないんでしょうね。
最近の関心事は、サウナと水風呂の交互浴
ーーでは、斉藤さんの目標というか、今後目指しているものは何かあるんでしょうか。
斉藤さん:別にないんですけど、強いて言うならばやっぱり、年とともにだんだん腰が痛くなってき、ぎっくり腰になったり、あと首も痛い。悩みといえば、そのあたりが悩みです。いまはもう治ったんですけれど、この前までぎっくり腰ですごく苦労していました。
ずっと座りっぱなしだと腰が痛くなるので、あまり長いこと座らないようにはしています。散歩に行ったりとかもしますし、最近はよくサウナにも行きます。いろいろとやってはいるんですけれど、腰が良くなるものはないかと思って、いろいろ模索していますね。
ーーサウナって良いですよね。
斉藤さん:サウナはいま流行っているみたいで、人がすごくいっぱいいるんです。昼間に行ってもいっぱいだし、夜に行ってもいっぱいだし、若い人も多いです。
僕がいつも行くサウナの施設は市の公共の設備なんですけど、安いから若い人もお年寄りでにぎわっていますね。
サウナのあとに水風呂に入ると、すごく調子が良いんです。サウナに入って、水風呂に入って、と繰り返すと、腰が痛いのがとりあえず治るんです。
ーーいわゆる“整った”感じになるわけですね。
斉藤さん:そうかもしれません。なんだか年寄りの話になってしまいますけど…。
※もしも当時、マイクロソフトから買収提案があったら……? 斉藤さんの“スタートアップ観”を伺う後編に続きます。
Contributing Writer @ Coral Capital