40代以降の読者にとって、Windowsでテキストエディタといえば、ほとんどの人が同じものを思い浮かべるのではないでしょうか。それはもちろん「秀丸」です。元祖ソフトウェアスタートアップとも言える、開発者の斉藤秀夫さんにいろいろ聞いてみました。
発売当時から値段も変えず、30年近くアップデートしつづける“プロダクト愛”を伺った前編の続きです。
富士通の社員時代、OS/2向けの個人開発からはじまった
ーー30年前に秀丸をつくったときのお話をお聞きしたいんですけど、どんな経緯で秀丸エディタをお考えになったんでしょうか。
斉藤さん:本当の初期の話をすると、僕が富士通に就職した当時、MicrosoftのOSがWindows2.0とかの時代だったんです。そしてライバルのIBMが「Windowsよりももっと本格的なOSをつくろう」ということで、「OS/2」という製品をつくっていました。
富士通はそのOS/2のグループに乗っかって、OS/2向けにいろいろなアプリを追加しよう、という方向性を打ち出していた時期でした。それからワープロソフトの「OASYS」というものがあったんですが、僕が就職した頃の富士通にはそれをOS/2に移植したりする部隊もあったんです。
僕もそのあたりの部署に配属されました。会社的には「OS/2を使え」という風潮になっていたんですけれど、そのときはまだテキストエディタがなかったので、「OS/2を使え」と言われてもそもそも仕事上のソフトウェア開発がOS/2上でできない状態でした。それで僕が勝手にテキストエディタをつくって社内で配ったり、1993年に出たWindows 3.1に移植したりしていました。
そんなことをしていたら、Windows 95が発売されました。よくみたら、テキストエディタがなかったので、ちょうどいいタイミングだなと思って、OS/2上でつくっていた秀丸エディタをWindows 95用に移植して、それを勝手に当時のNIFTY-Serve(※1)で売ってみた、という感じなんです。
※1:ニフティが1987年から2006年まで運営していたパソコン通信サービス。ニフティは斉藤さんが在籍していた富士通と日商岩井(現・双日)の出資で1986年に設立された。
当時は23歳、想像もしなかった秀丸の未来
ーーいまでいうと、個人でスマホアプリをつくってストアで配布なり販売する、みたいなイメージなんでしょうか。
斉藤さん:そうです。当時は社内でそうやって勝手に配っていたんですが、パソコン通信が流行り出した時期だったので、NIFTY-Serveを使ってちょうどそういうことがやりやすかったんです。
ーーそのときの斉藤さんは、おいくつくらいだったんでしょうか?
斉藤さん:僕は福井高専を卒業して20歳で就職しているので、22〜23歳くらいかな。それくらいから、そんなことをやっていました。
ーーまさか、そのときにつくったソフトを30年後もアップデートをして、それで会社をやっているなんて、想像しないですよね。
斉藤さん:本当にそうですね。実はいまの社員も富士通で働いていた元同僚なんです。
僕が富士通を辞めてから、なぜか「僕のところに弟子入りしたい」みたいに言われて、そのままついてきた人が1人います。いまも残っている人なんですけれども。
ーー相当長い付き合いですよね。
斉藤さん:そうですね。ですから僕らはテレワークのほうがいいんです。仕事部屋にずっといるよりも、いないほうが気楽です。
副業文化もない時代、会社にいづらくなり独立
ーー30年もいると、そうですよね。秀丸はWindows 95に対応して、本格的に広まったと思うんですけれども、そのタイミングで会社を退職して独立したんですか。
斉藤さん:だいたいそのくらいのタイミングで、シェアウェアというかたちで商売を始めました。税金関係の申告とか、いろいろとあるじゃないですか。それをやっていたら、知り合いから「会社をつくったほうがいいんじゃないか?」とすすめられて会社にしました。
ーー会社をつくるとなると、いろいろなところから出資を受けて、より大規模に開発を進めようとか、より多くのソフトをつくろうとかは考えなかったんですか。
斉藤さん:まったく考えなかったです。そんな先々のことまで考える以前に、単純に富士通で働いていながらサイドビジネスみたいなことをしているのが気まずくて、辞めざるを得なくなった、というところもありました。
秀丸の開発と販売は周りにいる人はみんな知っていましたけど、会社の上層部はまったく知らなかったと思います。だから自分的には、「ちょっとまずいんじゃないかなぁ」とは思っていて…。
ーー当時は副業みたいな文化もないですし、エンジニアが個人でソフトウェアを売ったり配ったりするという文化自体、なかった感じですよね。
斉藤さん:そうですね。たまたまNIFTY-Serveがシェアウェア送金代行システムというものをつくってくれたから、そこに乗っかっただけなんです。そういったものがなかったら、たぶん難しかったと思います。
「秀丸を買収したい」と言われたらどうしてた?
ーー秀丸はずっと人気のソフトウェアなので、ずっと続けていると、たとえば、周りの方から「出資したい」とか、「買収したい」という声もあるんじゃないでしょうか。
斉藤さん:いえ、なかったですね。
ーーMicrosoftから「買収したい」という声もなかったですか?
斉藤さん:全然ないです。ただ、もし「買ってあげる」という話がきたら、売っていたかもしれないですね。社員を含めて、会社を丸ごと買収するというパターンも多いですものね。ただ、うちはそこまでの話はなかったです。
ーーいまでこそ大企業から起業するのも珍しいことではないですが、当時、富士通にいて独立することに対しての不安感はなかったのでしょうか?
斉藤さん:全然ないです。僕は本当に平社員で、別に有名な人でもなかったので何も考えませんでした。それに僕は会社を辞める前から、けっこう会社をサボっていたんです。
会社がフレックスタイム制だったので「1日8時間相当は働かなければいけない」のが基本ルールで、コアタイムがあって「10時から3時までは絶対にいなければいけないけれど、他は自由」という決まりでした。
それで本当に毎日10時に出社して3時に帰っていたら労働時間が足りなくなって、なおさら会社に居づらくなったところがあるんです。
ーーわりと不良社員だったんですね。
斉藤さん:そうですね。秀丸の開発以外にも、自動車学校に行ったりとかもしていました。夕方は混雑して予約が取れないけれど、昼間だと取りやすいんです。それで「自動車学校に行かなきゃ」とか思ったりとかしていると、時間が全然足りないわけです。
「赤のフェラーリに乗っている」という噂
ーー社会人になると自動車学校ってなかなか行けないですよね。そういえば以前、秀丸が売れすぎてフェラーリに乗っているという噂が立ったそうですが。
斉藤さん:それは僕が赤い車に乗っていただけなんですよ。赤い車に乗っていたら、いつの間にか話が盛られて、「赤のフェラーリに乗っている」ということになってしまったらしくて。
だから、若い頃はよく車に乗っていましたけど、結婚してからは全然興味がなくなってしまって、一応、いまの僕の車は中古の軽自動車で、スズキのLapinです。
僕自身もあまり知らないんですけれど、僕のWikipediaがあるんですよね。それを見てみたら、なんだか、すごくお金持ちだと思われるみたいです。でもそんなにお金を使わないので、生活的には普通の庶民の暮らし、普通に生きているだけです。
同僚に「秀丸がいいんじゃない?」と言われて命名
ーーところで秀丸というソフトウェアは、開発当時からずっと同じ名前なんですか。
斉藤さん:僕が斉藤秀夫なので「秀」とつけたんですが、本当に初期の頃は「秀エディタ」とか、適当に呼んでいたんじゃないかと思います。
ただ、それだと何だかしっくりこないというところがあって。そうしたら会社の同僚から「秀丸がいいんじゃない?」と言われて、その名前にしました。わりと初期の頃ですね。
ーー「それでいいんじゃないか」みたいな命名が、30年間ちゃんと使われ続けているんですね。ロゴマークのアイコンも当時のままですか。
斉藤さん:基本は変わっていないですが、解像度を上げたりとかはしています。これもたしか、もともとパソコン通信をやっている友人にアイコンデザインが好きな人がいて、その人が送ってくれたんだと思います。
秀丸のサブスク化は「ユーザーさんに恨まれそう…」
ーー秀丸は買い切りのソフトですよね。にも関わらず、それこそ30年前に買った人に対してもアップデートし続けるわけですよね。
斉藤さん:そこまで考えていなかったんです。まあ売れたらいいや、というくらい。だって、そうでしょう。普通のアプリでも何でもそうですが、ものを売って、それ以上何か追加でいただくものではないですから。
サブスクリプションですか? もしかしたらニーズはあるかもしれませんが、それは難しいです。いままでずっと固定の金額で売っていたのに、ある日突然それをなしにして、「毎年いくら払わなきゃ使えませんよ」というふうにするのは、ユーザーさんに恨まれそうじゃないですか。
いまでもけっこうクレームは多いんです。ユーザーさんとやり取りをしていても、「パスワードがわからなくなったんだけど、また払わなければいけないのか?」とか、いろいろな人がいるから対応も大変です。
それなのに、そういったややこしいことを僕が言い出すと、いままでのユーザーさんが何十万人もいる中で、ある日突然それをやったら、たぶんクレームが一気にきてパンクすると思います。それが恐ろしくてちょっとできないかな、というところがあります。
たまに問い合わせをしてきたユーザーさんに「こうすればいいですよ」という返事をすると、「それじゃあ、また買います」みたいなことを言って、すでにライセンスを持っているのに、善意でもう1回ライセンスを買い直してくれるというか、追加でもう1回払ってくれる、という方もいるんです。
月に4回ゴルフにいけたら十分
ーー寄付みたいな感じですね。
斉藤さん:そうですね。僕はそんなに会社を大きくしたい、という気持ちはないんです。いっぱいお金を稼いで大きな家を建てたいとか、高級乗用車を買いたいとか、そういうわけでもなくて、いまの収入で別に困っていないので、いいんです。
いま僕は月に4回ゴルフに行くんですけれども、田舎だと1回1万2000円くらいしかかからないんです。あとはもう子供も大きくなってお金がかからないし。
ですから、お金の面で「すごく稼ぎたい」という欲望もないですし、「大会社の社長になりたい」とかいう気持ちもないですし、「有名になりたい」みたいな欲望なんてまったくないです。
Contributing Writer @ Coral Capital