先週、Y Combinator(YC)が最新の「Request for Startups」リストを公開しました。「スタートアップに取り組んでほしいこと」と題されたこのリストは、YCが特に投資したいと考えているスタートアップ分野を公開する内容となっています。世界中の数多くのスタートアップを見てきたYCが注目している分野がわかるので、毎回非常に参考になります。もちろん、リストにあるからといって実際に大きな市場機会が得られるとは限りませんが、良いヒントにはなるでしょう。
Coral Capitalでは「Why Japan?」という視点を常に持つようにしています。そこで、今回YCが取り上げた分野からも「Why Japan?」に関連するものをピックアップし、Coralの3つのコア投資テーマにあてはめてみました。参考として、YCのリストの翻訳も以下に掲載します。
ジャパン・カテゴリーリーダー(海外のコンセプトを、日本にローカライズ)
空間コンピューティング – Diana Hu
新たなパーソナル・コンピューティング・プラットフォームとしてのAR・VR技術は10年以上も前から研究されています。しかし、その実現が現実的になってきたのはつい最近のことで、Apple Vision ProやMeta Quest 3が発売されてからです。ユーザーエクスペリエンスが改善され、レンダリング能力が向上し、ハンドアイトラッキング機能も劇的に改善されました。しかし、課題はまだ残っています。
YCではこれらのデバイス向けソフトウェアの分野で、ゲームに留まらない様々なユースケースの実用的なソリューションを生み出すスタートアップ企業が創出されることを期待しています。特にこの分野では最良のユースケースやUX/UIのベストプラクティスを見つけることなど、取り組むべき課題がまだたくさんあります。その最先端で活躍する起業家と協力することを楽しみにしています。
LLMによるレガシー企業におけるバックオフィス業務の自動化 – Tom Blomfield
大体の古くからある大企業には、まだ自動化が進んでいない部門が存在し、たくさんの人たちが手作業で業務にあたっています。「バックオフィス業務」と呼ばれるように、表舞台からは隠されているため、私たちのようなエンドユーザーが日常生活で直接関わることはあまりありません。
多くの場合、これらの作業には多少なりとも曖昧な部分があって、LLM以前はそれが自動化を非常に困難にしていました。それ以外にも、そもそもソフトウェア・エンジニアがその業務プロセスに触れる機会がなかったため、これまで自動化が真剣に検討されてこなかったというケースもあります。その結果、何十年も前と変わらない方法で同じ作業を繰り返している人たちが今もたくさんいるのです。
LLMは、つい最近までは不可能だった方法で、手作業で行われてきたプロセス全体を自動化できます。特に言語的な曖昧さがあったり、ある程度の主観的な評価が必要な場合において、LLMはその真価を発揮します。
例えば、以下のようなソリューションが考えられます:
- カスタマーサービスのチャットにおける品質保証およびコンプライアンス評価
- 医療機関のレセプト請求における請求コードの入力や請求額の計算
- 住宅ローンやビジネスローンの審査
- 取引モニタリングや制裁スクリーニング、マネーロンダリング防止調査
- 自動車販売に関わる各種の申請手続き
このようなバックオフィスプロセスに触れたことがないという点が、多くのソフトウェア・エンジニアにとってはネックとなるでしょう。取り組むべき業務プロセスを見つけ、理解することがこの分野において最大のハードルかもしれません。
ヘルスケア向けマネージドサービス組織(MSO)– Surbhi Sarna
アメリカでは今、プライベート・エクイティ(PE)によって国内の大小さまざまな民間クリニックが買収されています。その結果、医療従事者は医療費として請求している額のほんの一部しか報酬として受け取れなくなり、若手の医療従事者の低賃金と過重労働が問題となっています。これはクリニックの収益の大部分が経費に消えるか、オーナーであるPEの利益になってしまうからです。
そこで、PEへの売却に代わる選択肢として新たに登場したのが、「MSO(マネージド・サービス・オーガニゼーション)」というビジネスモデルです。
MSOモデルでは医師によるクリニック経営を支えるために、①請求やスケジューリングなどのバックオフィス業務を処理できるソフトウェアを提供し、②患者を紹介するネットワークを提供します。
PEのオーナーが提供する利点も、これらと基本的に変わりません。しかしMSOモデルに参加すれば、小規模な診療所を医師として自ら経営し続けながらも、PEの巨大クリニックグループと互角に戦うことができるようになります。
YCでは様々な医療分野でこのMSOに取り組むスタートアップに投資してきました。例えば Nourish(栄養士)やLunaJoy(女性向けメンタルヘルス)、Finni Health(子ども向け自閉症ケア)などです。私たちは、これからもヘルスケアのあらゆる分野にわたってこのMSOモデルに投資していきたいと考えています。
エンタープライズ・ソフトウェアを統合する次世代型ソリューション – Pete Koomen
ほとんどのエンタープライズ・ソフトウェアは、ユーザー側で多くのカスタム・コードを書く必要があります。そのためOracleやSalesforce、NetSuiteのような大手ベンダーでは、SIerやコンサル、独立系ソフトウェア・ベンダー(ISV)からなる数十億ドル規模のエコシステムをそれぞれ構築していて、クライアントに代わってプロダクトのカスタマイズや外部ソフトウェアとの連携を行っています。
ETLパイプラインや統合、カスタム・ワークフローなど形は様々ですが、こうした「グルーコード」(訳注:glueは糊の意味)はエンタープライズ・ソフトウェアの世界におけるダークマターのような存在です。
YCでもZapier(S12)やFivetran(W13)、Airbyte(W20)をはじめとした投資先がこの分野で成功しています。いずれも企業の一般的なユースケース向けグルーコードの構築を支援するプロダクトを提供しています。
一方で、LLMを活用すれば個々の企業特有の一般的ではないユースケースに対してもカスタムコードを生成できるようになる可能性があります。グルーコードの必要性そのものが完全になくなるということです。YCでは今後、この分野に取り組むスタートアップが増えることを期待しています。
Coralの投資先における該当企業:
ジャパン・アドバンテージ(日本ならではの強みで、グローバルに展開)
ロボティクスへの機械学習の応用 – Diana Hu and Jared Friedman
ロボティクスはまだ「ChatGPT革命」のような転換点を迎えていませんが、すぐそこまで来ていると私たちは考えています。
YCはおよそ20年にわたりロボティクスに注目してきました。実はYCの創業者の1人であるTrevor Blackwell自身が、史上初の動的にバランスをとる二足歩行ロボットを製作するなど最先端で活躍しているロボット工学者なのです。
SF小説からわかるように、ロボットは発展した未来の象徴として何十年も前から期待されてきました。一方で、従来型のロボットは高価で壊れやすく、管理された状況下でなければ動作しないものだったため、そんな未来の実現は難しいのではないかと考えられてきました。しかしファウンデーションモデル(基盤モデル)の急速な発展により、ようやく人間レベルの知覚や判断力を持つロボットを作ることが可能になってきました。これまで欠けていた要素がようやくそろったのです。
SFの世界では消費者向けの用途が多く取り上げられていますが、実は最もすぐに応用できて、見落とされがちなのがB2B領域におけるロボットの活用です。具体的には、検査用ロボット開発のGecko Robotics(W16)のような産業用ユースケースや、John Deereに買収された自律走行トラクター開発のBear Flag Robotics(W18)のような農場用ユースケースが有望だと考えています。
私たちは、ロボットそのものを作る人たちや、それを支援するソフトウェア・ツールを作る人たちにこれからも投資していきたいと考えています。
日本に製造業を取り戻す(原文では「アメリカ」) – Jared Friedman
イギリスは19世紀に「世界の工場」となることで世界で最も豊かな国になりました。米国も20世紀に同じように成功しています。しかし、ここ数十年で米国の製造業はずいぶん衰退してしまいました。その結果、社会的・政治的な分断を招き、地政学的にも不安定な状況に陥っています。
こうした背景から、米国に製造業を取り戻す政策は民主党、共和党の両党から強い支持を得ています。2022年に成立したCHIPS法(訳注:米国内の半導体産業振興を目的とした投資を支援する法案)からも、この復興に向けて米国政府が本格的に資金を投入する方針であることがわかります。
同時に、様々な変化とともに米国の製造業復興に必要な条件が整ってきています。例えば機械学習型の新たなロボットシステムにより今後さらに自動化が進めば、これまで製造拠点を他国に移すインセンティブとなっていた人件費の差の縮小につながるでしょう。加えて、SpaceXやTeslaなどの企業のおかげで、「スタートアップのような環境」と「物理的なプロダクトの開発」を両立した国内企業の作り方をよく知っている若い世代のエンジニアたちが輩出されています。
このアプローチがうまくいくことは、私たちが実際に支援している同分野のトップ企業でも見てきました。例えばAstranis(W16)は、第二次世界大戦中に米海軍の軍艦製造に使われていたサンフランシスコ中心部の建物を拠点として、通信衛星を作っています。アメリカのかつての工業中心地であるピッツバーグに拠点を置くGecko Robotics(W16)も、産業用検査ロボットの製造で成功しています。Solugen(W17)もヒューストンの大規模な工場を活用し、産業用化学薬品の製造で活躍しています。
宇宙スタートアップ – Jared Friedman and Dalton Caldwell
ロケットを軌道に到達させるためのコストは急速に低下していて、なんと2006年にSpaceXが初めて打ち上げに成功した時点と比べて10分の1以下にまで下がっています。シードラウンドで調達できる資金だけで、衛星の製造から打ち上げまでできる時代になったのです。
現在、宇宙にどれだけの重さのペイロードが打ち上げられているか考えてみてください。それが1年後や5年後や10年後には、どれほどの規模に膨らんでいるでしょうか。
そしてもし宇宙へのアクセスが、民間航空旅行や海上輸送、トラック輸送などと同じくらい日常的で安価なものになる未来が間近に迫ってきているとしたら、どんな新しいビジネスが生まれるでしょうか。
宇宙ビジネスを立ち上げるというと、あまりにも野心的で難しいと思われがちです。しかし、実はソフトウェア企業を立ち上げるのと比べて必ずしも難しいわけではないのです。実際、YCもAstranisやRelativity Space、Stokeなど多くの宇宙企業に出資してきましたが、その成功率は他業種の投資先と比べて決して低くなく、もしかしたら若干高いくらいかもしれません。
Coralの投資先における該当企業:
気候テック – Gustaf Alströmer
社会の脱炭素化や大気中の二酸化炭素除去のための商業的なソリューションをスタートアップが提供できれば、私たちは壊滅的な気候変動を回避できる可能性があります。
YCではこの分野において「エネルギー関連」、「科学的革新」、「気候適応」、「グリーン・フィンテック」、そして「カーボンアカウンティング&オフセット」の5つ主要なカテゴリーに投資したいと考えています。
この分野でのビジネスチャンスは非常に大きく、ある推計によればEBITDAでおよそ3兆〜10兆ドル(約450兆〜1500兆円)ものビジネス機会が生まれるでしょう。また、近年の法整備により、この市場トレンドはさらに大きく加速することが予想されます。例えばインフレ抑制法により、米国だけで10年間でおよそ8000億ドルが気候変動対策に投じられると推測されています。これは、米国で太陽電池、バッテリー技術、およびEV産業の起爆剤となった2008年の900億ドルの法案と比べて10倍近い額です。
YCでは100社を超える気候変動関連のスタートアップに対し、総額100億ドルを超える出資をしています。気候テックに取り組めるのは、一世代に一度のチャンスなのです。
Coralの投資先における該当企業:
ユニークリー・ジャパン(国内に特化したイノベーション)
エンタープライズ・ソフトウェアを構築するAI – Harj Taggar
エンタープライズ・ソフトウェアの開発は、優秀なプログラマーからは面倒な仕事だと避けられがちです。営業や顧客対応が必要な上に、顧客ごとに微妙に異なる要件やニーズがあるため、すべての顧客を満足させようと思ったらソフトウェアの複雑化や肥大化が避けられないからです。
しかし、もしAIがエンタープライズ・ソフトウェアの作り方や売り方を変えられるとしたらどうでしょうか。そもそも、どの顧客も基本的なニーズは共通していて、細かい部分をカスタマイズしてほしいだけなのです。
AIはコードを書くのが得意で、特に既存のコードベースから学習させれば非常に優秀です。例えば最初に基本のスタータープロダクトを提供するだけで、あとは顧客自身がAIにどのようにカスタマイズしてほしいかを伝えれば残りはAIがやってくれるとしたら、従来の長い販売サイクルを大幅に短縮できるでしょう。将来的には、どの企業も独自のカスタムERPやCRM、HRISを持てるようになり、自社の変化に合わせてそれらが常に更新され続けるようなシステムがスタンダードになるかもしれません。
このようにAIを前提として設計されたプロダクトなら、大手の既存企業の優位性さえもくつがえせるかもしれません。大手企業が単純にコピーしようと思っても、肥大化した既存のソフトウェアに機能を追加するだけでは到底勝てないからです。ソフトウェアの構築方法に対するアプローチを根本的に変えなければならなくなるでしょう。
AIのコーディング能力が向上し続ければ、まだ存在しない全く新しいタイプのエンタープライズ・ソフトウェアさえも作れるようになるかもしれません。こうしたAIをつくることは技術的な挑戦としても面白いですし、なによりAIコーディングに興味があるのであればエンタープライズ・ソフトウェアが最も収益性の高い分野として狙い目です。
もしあなたが起業家、またはこれから起業しようと考えていて、これらの分野で何かをつくることに興味がありましたら、ぜひCoral Capitalまでご連絡ください。ちょうど今、新オフィスへの移転を記念して2ヶ月間の「対面オフィスアワー」を開催しています。コーヒーを飲みながら一緒にブレインストーミングしてみたいという方は、ぜひこちらからお問い合わせください!
Founding Partner & CEO @ Coral Capital