最近、コロナの状況が少し落ち着いてきたことを受けてCoral Familyの創業者数人と食事をしたときに目にした光景がとても印象に残りました。先輩起業家と話し込んでいた別のスタートアップの起業家が、それまで知らなかった人生の秘密を初めて知ったかのように目を輝かせて、「今までの自分は全くやれてなかった…!」と何度も何度も言うのです。私が聞いた話からすれば、すでに毎日全力投球をしているように思えたのですが、「自分は経営者としてやるべきことを、全くやれてなかった」という話でした。具体的な施策ではなく、組織や人との向き合い方と、そのときの覚悟のことだったようです。
これまでにも、そういう光景を何度も目にしてきました。起業家が、別の起業家にインスパイアされて、目を輝かせたり、場合によっては悔し涙を流すような場面です。使い古された言葉かもしれませんが「目線の高さが上がる」ということかと思います。自分たちが登ろうとしている「山」が小さいものに思えて、より高い別の山を目指すようになるとか、自分たちの成長スピードが遅いことに忸怩たる思いを覚えるとか、コミットメントの気迫の違いを感じ取って自分を恥じ入るということです。
こうしたことは起業やスタートアップというものが個人の情熱や思想の発露であると同時に、文化であることを示しているのではないでしょうか。起業は、パーソナリティー研究の分類で言えば、新しい体験への開放性が高く、創造的な個人に適性があると考えられるので、きわめて個人的なことのように思えます。しかし、身の回りに実例があることで、それが伝播する文化の側面も大きいのでしょう。
同じ大学の同期、あるいは、同期入社の誰それが会社を辞めて起業したと思ったら、ものの2年くらいでシリーズAで5億円を調達して事業を伸ばしていると聞けば、「彼女(彼)にできるなら自分にだってできるんじゃないか」と考えたりするでしょう。あるいは同時期に創業した起業家がシリーズBで30億円を調達したと聞けば、自分も負けたくないと思うこともあるかと思います。ただただ顧客に向き合い、顧客課題の解決にフォーカスするのだということが言われますが、私が見てきた中でいえば、負けたくないという強烈な気持ちを持つ起業家の皆さんこそ、フォーカスもシャープになるように思えます。
起業家こそが起業家にとってインスピレーションの源となるのだろうと思います。
もちろん、それ以外のケースもあります。私が良く覚えているのは、今や時価総額が4,000億円を超えたSansan共同創業者でCEOの寺田親弘氏の話です。今のように調達環境が充実していなかった10年前のことです。Sansanは堅実な積み上げ型ビジネスとして早期単月黒字を達成し、創業4年目の2011年頃には早くも上場も視野に入ったといいます。ところがその頃、「こんなはずじゃなかった……」と寺田氏は落ち込んだというのです。小規模上場になる未来が見えてきて「目指してるものに対して全然届いていない」「なんかこれ、しょぼいことになってきたな」「このまま普通に行ったら、そのへんにある会社になっちゃうぞ」と思ったと言います。そんなとき寺田氏は、あるスタートアップのイベントで登山家の故・栗城史多氏(2018年に死去)の講演に触れて号泣してしまった、と言います。「この人すごいな、命懸けてるんだよな。自分にこのくらいの覚悟はあるんだろうか、何やってるんだろう」と強烈にインスパイアされたと言います。そこからSansanは、当時としては例外的な大型調達や新規サービスの無償提供に踏み切るなど大胆に高みを目指したのでした。
冒険家やアスリートは多くの人にインスピレーションを与えてくれます。ただ、一般論としては特殊な才能や境遇に恵まれた人よりも、自分と変わらないと思える境遇の人が驀進する姿や大きく成功する姿を見たときに、より自分と関連付けて考えるものではないでしょうか。
起業家として起業家コミュニティーに入っていくことの大切さが過小評価されているように私には思えます。逆に、スタートアップ起業家の密度が極端に低い場所で起業したり、先のステージにいる他の起業家と交流することなく事業づくりをしようとすることには一般に思われているよりも難しい面があるのではないか、ということも感じています。
同世代もしくは同時期にスタートを切る起業家とつながること、少し先を行く先輩起業家の言動に触れることによって、つらい場面で良い聞き手になってくれるだけでなく、刺激を受け続けて、目線を上げ続けるためにも、とても良いことだと思います。スタートアップで起業を目指す人は、ぜひ「先を行く先輩起業家」に声をかけて会ってみることをお勧めします。
Partner @ Coral Capital