人工知能(AI)の影響力は、今や避けられないものとなっています。医療から交通に至るまで、AIはさまざまな産業を再定義し、社会的な議論の前提さえも変えつつあります。その影響は地政学的にも広がり、国防や世論、さらには国際的な勢力均衡にも大きな変化をもたらしています。こうした状況の中、日本をはじめとした多くの国では、外国製AIモデルへの依存に対する懸念が高まっています。そして海外のテクノロジーへの依存を減らすため、国産技術の開発の必要性が多くの政府や政治家によって強調されています。
また、各国や地域が独自の専門モデルを開発することによる「AIのバルカン化」が今後進むという見解に後押しされ、「日本版OpenAI」を目指そうとする企業への関心も高まっています。しかし、ローカライズされたAIにはニッチな用途はあるかもしれませんが、米国や中国に対抗できるようなグローバルに競争力のある基盤モデルを日本が開発できる可能性は極めて低いと私は考えています。これは単に国内の人材や野心の問題ではなく、日本だけでなく多くの国々が直面している根本的な構造的課題によるものです。
グローバル競争:米国と中国の圧倒的優位性
米国と中国は基盤モデルの開発において圧倒的なリードを保っています。この優位性には、以下のような要因が寄与しています。
- スケール:米国と中国は、大規模言語モデルの開発や改良に不可欠な要素である豊富な経済資源や大規模な人口、膨大なデータセットへのアクセスに恵まれています。
- 先行者利益:長年にわたりAIエコシステムを構築してきた米国と中国は、圧倒的な専門知識やインフラに加え、市場からのフィードバックを大量に収集できる環境が整っています。
- 人材や研究開発力:一流の研究機関や活発なスタートアップエコシステム、政府の充実した資金支援に惹かれ、トップ層の人材が集まってきています。
日本は高い技術力を持っていますが、規模、実績、人材のすべてにおいて、米国や中国に匹敵するレベルを再現するのは非常に難しいでしょう。米国と中国がここまで先行しているということは、新規参入国は非常に高い参入障壁を乗り越えなければならないのです。しかもモデル開発だけでなく、大規模なインフラの構築や膨大なデータセットの蓄積にも追いつかなければなりません。
日本にとってもう1つの大きな壁が、AI人材の確保です。現行の移民政策や言葉の壁、そして伝統的に内向きな企業文化が、AI分野で本格的にグローバル人材を確保することを難しくしています。一方で、米国は世界中から優秀な人材を引き寄せています。中国はシンプルにその規模の大きさが強みです。そのおかげで、どちらも世界トップクラスのAI人材が活躍するエコシステムの構築に成功しています。
日本が取れる対策としては、より開放的な移民政策や、外国人人材の受け入れ・定着支援、国際的な連携の推進などが考えられますが、いずれも時間がかかるでしょう。
エンジニアのジレンマ:性能重視か国産重視か
政府による国産モデルの推進や助成金があったとしても、エンジニアが選ぶのは自分たちのニーズに最も合ったツールであり、そのツールの生産国がどこかはあまり重視されない傾向があります。実際、日本ではすでにOpenAIやGoogle、Anthropic、Metaなどの世界的な大手企業のモデルが圧倒的に多く使用されています。これらのAIモデルは、国産モデルと比べて性能が優れている上に、頻繁にアップデートが提供され、コストも低いためです。
かといって、規制によってエンジニアに国産モデルの使用を強制すれば、日本の企業がグローバル市場での競争力を失い、裏目に出る結果となる可能性があります。「国の独立性」と「経済的競争力」とのトレードオフが非常に大きいのです。ほとんどの国には、自国の企業を不利な立場に追い込んでまで、最先端技術の利用を規制する余裕はありません。
こうした状況から、AIは地政学的にも新たな次元の緊張関係をもたらしています。各国は、他国への経済的依存に加え、これらのプラットフォームが国際的な世論や貿易、国家運営に与える影響にも対処しなければならなくなっています。一部の国では規制や制限を試みる動きも見られ、外国のテック企業の影響力に対する懸念が世界中で高まっています。
しかし、GoogleやFacebook、WeChatのような大手プラットフォームに代わるものを国内で作るのは、先進国にとっても大変なことです。テクノロジーの急速な進化や高い開発コスト、そして熾烈な競争が壁となり、国産プラットフォームを維持することは非常に難しくなっています。そのため、ほとんどの国が外国で開発されたプラットフォームやAIに、少なくとも部分的に依存せざるを得ないのが現状です。
これらの外国製プラットフォームの運用を、政府が規制することは可能かもしれません。例えば、倫理基準の遵守やバイアスへの対処を義務付けることなどです。しかし、これにはさまざまな影響を考慮した慎重な対応が必要です。すでにクラウドインフラに関しては、データセンターをサービス対象国内に設置することが求められている場合があります。また、特定の業界や用途においては、規制により国産モデルの使用が義務付けられていることもあります。しかし、外国のプラットフォームへのアクセスを全面的に制限した場合はどうでしょうか。国産かどうかよりも性能やグローバルな接続性を優先する必要がある国内ユーザーを不利な状況に追い込み、競争力を低下させる結果となるかもしれません。
日本が世界トップクラスの基盤モデルを開発するというアイデアは魅力的ですが、現状では非現実的です。世界のAI競争はすでに米国と中国に大きく傾いており、その構造的な優位性を覆すのは非常に困難です。GPTなどの基盤モデルに匹敵するものを国内で開発することよりも、日本がすでに競争優位にあるロボティクスや製造業といった特定の産業に特化したAIイノベーションを促進することに重点を置いたほうが、より大きな成果を得られるかもしれません。
実際、日本が世界レベルで強みを発揮できる隣接産業は数多く存在します。例えば、AIのエネルギー消費量は、ネットゼロ排出量達成に向けた取り組みの中で大きな課題となっています。その解決策となり得る核融合や核分裂は、原子力工学と先進製造技術における非常に専門的な知識を要しますが、いずれも日本が強みを持つ分野です。また、半導体や電池技術、ロボティクスも、遅れが見られつつあるものの、日本が依然として競争力を発揮できる分野であり、積極的に取り組む余地があります。
最終的に、日本の戦略は、グローバル・プラットフォームとの適切な統合を前提にしたものでなければなりません。競争力を損なうことなく、国の独立性を保てるような効果的な規制を設けることも重要です。政府は、すべての国が独自の基盤モデルを開発できるわけではなく、また開発すべきでもないことを認識しなければなりません。むしろ、既存のテクノロジーを活用し、日本がグローバルな舞台で競争力を持てる分野に注力したほうが、国益に貢献する結果へとつながるでしょう。
Founding Partner & CEO @ Coral Capital