会議室は、もはやビデオ会議に劣るのではないか?

リモートワークが長くなってハッキリしたことがいくつかあります。例えば、人と会うために今まで必要以上に時間や体力、お金を使っていたのだということに気付いた人は多いのではないでしょうか。今も人に会うことの価値は変わっていませんし、ビデオ会議が完全な代替となることはありません。しかし、仕事の面談や会議の100%を会議室などリアル面談にすべきと考える人はもはや少数派ではないでしょうか。

さらに最近、アジェンダを共有して順に議論を進めるようなときには、実は非対面のビデオ会議は、会議室での議論に勝るのではないかと思うようになりました。一般的にはビデオ会議は、会議室の会議に劣るもので、何とかがまんできる代替手段という見方が多いと思います。しかし、すでに優劣は逆転しているのではないかということです。音質や遅延、安定性など課題も多く、明らかに劣っている面が気になることはあります。一方、議論に必要なものは音質だけではありません。

昨年の秋、COVID-19の第2波が収まったことを受けて、Coral Capitalでは大会議室に集まり、マスク着用で各自ディスタンスを取った上でミーティングをしました。このときにやりづらいと思ったのは会議室の大画面ディスプレイでアジェンダを表示しても、文字が小さすぎて誰にも読めないということでした。20人が入る会議室で50インチのディスプレイに32ポイントのフォントを表示しても、ハッキリ言って読む気になりません。ビデオ会議の画面共有に慣れると、リアルな会議室ではディスプレイが見えづらいことに驚きます。西日が射して画面が光っていたり、斜め60度のアングルに座っていて蛍光灯の映り込みが気になったりします。

ビデオ会議なら、必要な画面は通常のアプリの表示のように見ることができます。どこを議論しているかを示すカーソルや文字の反転も良く分かります。今どき文書やアプリはクラウド上にありますから、全員が同時に操作をしたりメモを追加したりもできます。コロナ前、こうしたクラウドネイティブな議論の進め方をしていた会社は少ないのではないでしょうか。先進的な企業ではホワイトボードも大型ディスプレイも使わず、画面の向こうのクラウドを一緒に見ているかと思いますが、そうしたスタイルがコロナで加速したのではないかと思うのです。5人の会議参加者のうち2人がリモートという状況だと壁にあるホワイトボードなど使い物になりません。

実はクラウドアプリの発展にもいくつか段階があって、同じ文書(リソース)に複数人で同時編集でアクセスできるサービスやアプリが増えていることも背景にあるのだと思います。以前は同時編集が制限されていたり、同時編集してしまうとデータが壊れることのほうが多かったのです。クラウドストレージにファイルを置いても、同時編集は普通はできません。

ビデオ会議のほうが会議室より勝るところ

ビデオ会議でノイズキャンセリングのヘッドフォンを使っていると、顔の向きを変えなくても、全員の声が同じ大きさで耳元でハッキリと聞こえます。今のところ接続性に難があったり、ネット環境によっては聞くに堪えない音質のことはあります。しかし、コーデックや帯域、遅延といった技術的な部分は今後改善していく一方ですし、デジタル処理を通すことで付加価値をあげていく余地は大きいのではないかと思うのです。

例えば話し手の声の大きさによらず、機械的にボリュームレベルを均等にすることもすでに行っていますし、ノイズフィルターをかけることもできます。ある面では、すでにリアルよりも勝っています。リアルな会議室では座る場所や部屋の大きさによっては、実は聞こえづらい位置関係もあります。もちろん隣の人にヒソヒソと話す便利さは会議室のほうが良いなどと、一長一短があります。参加想定人数から最適な会議室サイズを選んだり予約することが意外にマインドシェアを取っていたことや、会議室間の移動時の雑談は重要な非公式コミュニケーションの場だったのかもしれない、といった違いももあります。

Coral CapitalのJamesが書いているように、今後はビデオ会議をリアルタイムで翻訳するサービスも出てくるでしょう。会議ボットが同席するようになれば、「ここまでの議論を3分ほどさかのぼって、テキストとしてメモしておいて」という声による指示で、クラウド上にメモを残すようなこともできるようになるのではないでしょうか。今でも録音などは可能でしょうが、デバイスに声を通すのがデフォルトになることの意味は実は大きいのではないかと思うのです。なぜなら、こんな付加価値がありますよと言っても、録音ボタンや翻訳ボタンを押すようなデバイスやサービスの導入は心理的、技術的障壁が大きて普及するイメージがわかないからです。しかし、常時会議ボットが録音していてキーワードで検索可能な形にするなどできれば、会議への非参加者が必要部分を探して、一部だけ会議を見ることもできます(私の前職のGoogleでは録画された会議がメールで回ってきて、その一部を見るというのは日常的な光景でした)。

声音から感情を読み取ったり、各メンバーの発言量をモニターすることで、議論のストラクチャーが最善であるかどうかを判定したり、社員のウェルビーイングや人間関係について重大な問題が発生する前に検知するといったこともできるかもしれません。また、スマートスピーカーで声で検索するのと同じで、議論の最中に会議ボットに対して「第2四半期の第2営業部の関東地区の売上と利益はいくら?」と聞くことで、アナリティクスへのクエリを声という自然な形で人間の議論に混ぜていくこともできるようになるかもしれません。

バラ色のような未来を描きすぎていると思うかもしれませんが、どれもデジタル化の帰結として突拍子もない話だとは思いません。

「電子書籍は紙の本の代わりにならない」と誰もが10年前には言っていた

なるべくリアルな会議を再現すべく技術開発を進めてきたものの、ビデオ会議はどこまで行っても「本物」にはかなわない。そう考える人もいるかもしれません。でも、これは私自身も何度も繰り返し経験してきたことだから思うのですが、「本物→劣化版→劣化版の改善→さらなる改善」という形で新技術の受容が進むと見るのは間違いだと思うのです。

確かに大事な部分で圧倒的に劣っていて、最初は使い物にならないおもちゃだと言われるのですが、新しいアプローチが出てくるときには全く違う付加価値が同時に生まれつつあるもので、気づくと、そうした付加価値の大きさのあまり、古い「本物」を使う気が起きなくなるというふうに新技術の受容は進むものです。

その最たる例が電子書籍です。私はテクノロジージャーナリスト、また本好きとして最初期から電子書籍に期待していました。電子ペーパーの商用化を目指したE Inkが最初にコンセプトを発表したのは1990年代後半でした。E Inkは当初、電子ペーパーを数百枚ほど束ねたデバイスを作り、それをパラパラとめくることで、電子ペーパーの束があらゆる本に化ける「ラスト・ブック」というものを作るのだと言っていました。紙同様、ペラペラめくることで読者は自分がどこを読んでいるのかも分かります。どの辺りに何が書いてあるか、物理的な本と同じで感覚的に分かりますから、後から何かを探すときに、指で「このへん」と開くこともできます。それが目指すべき姿なのだという話でした。今では意外に思うかもしれませんが、かつて電子書籍は既存の紙の書籍の物理的存在を、そのまま模倣しようとしたのです。左右の見開きを模倣したデバイスもありました。

しかし結局のところ、電子ペーパーは楽天のKoboやAmazonのKindleのように1枚の板になりました。そして当初は画面の書き換え速度も遅く、物語を読むのにはがまんができても、能動的に読む場所を取捨選択したりする読み方では紙の本のほうが断然優れているように思えました。白と黒のコントラストも紙の相手ではありませんでした。

私が最初に国際版Kindleを買ったのは2009年のことでした。下の写真にあるように分厚い本であっても何冊でも持ち歩けるのは画期的でした。特に海外出張時に「どの3冊を持って行くかを選ばなくて良い」ことや、荷物が軽くなること、飛行機でもホテルでも簡単に取り出せて読めることなどは紙の本では考えられない利便性でした。

初期のKindleには物理キーボードが付いていました(筆者撮影、2009年頃)

2015年あたりまでは電子書籍は「紙の本には及ばないものの、十分に使えるもの」という認識が主流だったように思います。しかし実際には紙にない機能やサービスが次々と開発されていき、品揃えも紙と変わらなくなってきました。いつからか、私はもう紙の本は嫌だなと思うようになりました。紙だと置き場所が必要ですし、いったん本棚に入れてしまうと、コンテンツへのアクセスが遠くなります。電子書籍なら、いつでもどこでもスマホで開けますし、書籍紹介のブログを書くときに画面にいつでも呼び出せます。単に本棚がなくなるとか軽いという意味とは全く異なる価値を提供しています。紙の本では下線を引くときにペンが必要です。私はペンがない状態で紙の本を読み進めるのに昔から抵抗があって、そのためにペンを20本単位で買って身辺にばら撒いているのですが、今では画面をなぞるだけで下線が引けるので「ペンがない。読み進められない」というジレンマがなくなりました。線を引いた箇所は、後からまとめてEvernoteに転記したり、PDFとしてメールすることもできます。読み返したい箇所をEvernoteに入れてリマインダーで1か月後の自分に読ませるということも自動化できます。

新しいアプローチで生まれるのは劣化品ではない

ビデオ会議は会議のDX、電子書籍は紙の本のDXですが、いずれも似た経緯をたどっているように思えます。最初は劣化版の代替品として見られるところがスタート地点です。しかし、徐々にそうではないことが分かってきます。前世代になかった付加価値がどんどん生まれてきて受容が進みます。もう1つ最近の例をあげると、機械翻訳というのもあります。人間の翻訳の劣化版と見られてきた期間が長いですが、例えば企業の決算関連書類の翻訳では数字や通貨の単位などの正確性が何よりも重要であるため、ドルや円の変換も含めて数字の再チェックが一切不要という新たな価値が生まれています。

このブログを読まれている方の多くはデジタルの力で世の中を良い方向に変えて行こうという人でしょうから、こうした議論は今さらと思うかもしれませんが、今後いろいろな分野で想定されるDXの1つの典型的な道筋として改めて書いてみました。多くのスタートアップで、新しいアプローチの価値が市場に理解されない期間があるかと思います。でも、前世代の模倣ではなく、新しい付加価値の創造によって臨界点が訪れるのは想像以上に早いのかもしれない。最近ビデオ会議について個人的に感じていたことが、それを象徴しているように思えるのです。

Ken Nishimura

Partner, Chief Editor @ Coral Capital

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