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新規事業の年商1億円、スタートアップのARR1億円

大手企業で新規事業を担当されている方と雑談をしていたときのことです。数年前に新規事業としてスタートしたプロダクトの話になりました。プロダクト販売のランディングページを見てみると、未来を感じさせるコンセプトと、物欲をそそられるおしゃれなプロダクトが魅力的でした。それを見ながら何気なく話を続けていたのですが、実はすでに事業の打ち切りが決定しているということでした。

具体的な出荷実績や売上はお聞きしませんでしたが、どうも年商は1億円程度だったようです。もう少しあったかもしれません。いずれにしても複数ある本業の各事業の売上や利益規模からすると、あまりにも小さく、担当者として肩身が狭かったのだという話でした。

これに対して、スタートアップがゼロからプロダクトを作り、売上を積み上げて行くとき、年商1億円、SaaS企業でいえばARRが1億円に到達するというのは関係者が祝杯を上げるような立派なマイルストーンです。

この違いには鮮烈なものがあります。私もかつて中堅企業で新規事業の立ち上げに奔走したことがありますが、ベストシナリオの事業計画ですら3年後の売上は本業の利益規模からすると誤差。社内からの視線を冷たく感じたものでした。

もろもろの前提条件が大きく違いますが、大企業の新規事業で年商1億円を作っても冷たい視線を浴びて撤退となることもあるのに、スタートアップのARR1億円はシリーズA調達に向けた順調なスタートダッシュと見られるということの違いについて、以下の3つの視点から考えてみたいと思います。

  1. 売上規模や組織文化の違い
  2. 事業の作り方の違い
  3. ビジネスモデルの違い

①売上規模や組織文化の違い

「意味のある数字」が違いすぎる

これはすでに書いたことですが、売上規模が数千億円とか数兆円ある大企業で、新たに年商1億円の事業ができたところで、売上的には全く意味がありません。千里の道も一歩からとはいえ社内のリソースを使ってやり続けるには、厳しいものがあります。大企業では、すでにある数千億円の事業について、その売上を1%改善するほうがインパクトがあるでしょう。

一方、スタートアップでは実際に売上が立って1つのマイルストーンに達すれば、これはまさにゼロイチ。シード投資のときのバリュエーションは仮説だったかもしれません。しかし、創業者らとメンバーの取り組みによって生まれた売上、それに紐づく企業価値は本物です。生まれたばかりの大企業の新規事業が「1000億円に対する1億円」のように見えかねないのに対して、スタートアップは「0円を1億円にした」ということなので、自ずと意味が異なります。また、そのときに蓄積している事業価値のほとんどを創業者を始めとする当事者が株式という形で保有していることも大きな違いです。

大企業と違って利用できる販売チャンネルや知名度、マーケティングリソースがあるわけでもありませんから、真のプロダクト力はスタートアップのほうが問われやすく、その証明としても1億円の重みが違いそうです。

新しいことがやりたいわけではない

大企業の社員の多くは、別に新しいことがやりたいと思っているわけではないかもしれません。安定した事業があるのに、なぜ小さな事業を作って社内のリソースを消費するのかと不満に思う人もいるかもしれません。自分(たち)の仕事が増えたと冷ややかに見る人もいるかもしれません。

一方、スタートアップ界隈にはゼロイチで事業を作る目的で集まった人々しかいません。業界全体が、そうした熱量に満ちています。しかし、ARR1億円を作るのは非常に難しい。そうしたこともあって、ARR1億円というマイルストーンは記念すべき通過点として関係者が祝うイベントになるものです。

②事業の作り方の違い

「山の登り方」が異なる

Coral Insightsをお読みの皆さまであればご存知の通り、スタートアップ企業がゼロイチで事業を立ち上げるとき、そこにはエコシステム全体で一定程度の共通した暗黙のマイルストーンがあります。

シード期には数千万円(多い場合には数億円)を資金調達して、プロダクトにニーズがあることを確かめながら改善やピボットを繰り返します。PMF(Product Market Fit)を達成して売上が伸び始めると、今度はシリーズAで数億円〜十数億円の資金調達。営業の再現性や組織づくりに取り組む……、というような一連の型です。Coral Capital創業パートナーCEOのJames Rineyは「プロダクト」「ビジネス」「組織」の3段階に分けて説明しています。

常に新規事業の立ち上げを成功させている大企業もあります。ただ、明確な新規事業創出の「型」や成功事例が豊富な、リクルートやサイバーエージェント、DeNAのような大企業は多くはありません。そうしたことから大企業で年商1億円の新規事業を生み出しましたといったとき、「それでどうなるの?」という空気感になるのも無理もないことかもしれません。

また、大企業が同時に数十の互いに関係しない事業案について、それぞれエース級人材を貼り付けて数年取り込むということはありませんが、スタートアップに投資するVCファンドがやっているのは、まさにそれです。

トップダウンとボトムアップの違い

大企業における新規事業というのは、一定のリソースを割いて意味のある規模になる前提で走り出すことが多いのではないでしょうか。一方で、スタートアップはきわめて限られた小さなリソースで、上に書いたマイルストーンをクリアしながらより高みを目指して登っていくのが普通です。

ここには時代の移り変わりも影響しているのかもしれません。特にソフトウェアによってレバレッジするビジネスの場合です。ソフトウェアに必要なのはアイデアで、無数の意思決定の積み重ねです。これは先行投資でリソースをかけるようなものではなく、確実にコアになるものをまず作り、ユーザーの反応や意見を参考にしながら変えていき、育てて行くものです。ユーザー接点が爆発的に多くなったネットサービスやアプリは、こうしたやり方が向きます。

コアの事業領域として認識されているものではなく、むしろ、そうしたところからかけ離れた辺境から生まれたプロダクトがスケールすることがあるのがスタートアップの取り組みです。近年、そうしたやり方を取り入れようと多くの大企業がオープンイノベーションに取り組み、社内ビジコンを開催したりしていますが、ボトムアップのイノベーションに慣れない組織では、これは一般に難易度が高くなりがちではないでしょうか。

③ビジネスモデルの違い

ソフトウェアによる付加価値創造である

スタートアップは急速にスケールするビジネスです。その多くはソフトウェアやネットを利用しています。シリコンバレーの語源となった「シリコン」で半導体を作る事業も、設計図だけあればコピペ式に安価に製造ができるという意味で、ソフトウェアに近い知財ビジネス。やはりスケールしやすいというメリットがあります。

大企業だから、というよりも、現在の日本の多くの大企業はソフトウェアを軸としたビジネスとなっていません。そこから出てくるビジネスや、組織も、ソフトウェアづくりを基礎としたものではない、ということも大きな違いではないでしょうか。

売上が「リカーリング」である

製造業が典型ですが、売上は出荷ユニット数で決まります。ある年に1億円ぶん出荷したからといって、それが続くと限りません。これに対してソフトウェアビジネスは、ネット経由での進化が容易になったことから、どんどんサブスクリプションモデルに移行し、売上はリカーリング(継続して繰り返す)ものに変質しています。

同じ年商1億円でも、「それだけ売れた」という状態と、「それだけ売れていて、今後も増える」というのでは意味が異なります。使ってみたものの解約率が大きい、いわゆるチャーンレートが高い状態では意味がありませんが、一定のチャーンレートで積み上げているARRの1億円というのは、年商1億円ということ以上の意味があります。

SaaSでは、ソフトウェア開発を継続するとプロダクトの顧客提供価値は上がっていきます。利用を開始して2年が経過したユーザーに対しても新機能による価値提供は同時にできますが、これは他の商材と大きく異なるポイントです。


売上規模や組織文化の違い、事業の作り方の違い、ビジネスモデルの違いという3つの視点で大企業の新規事業の年商1億円と、スタートアップ企業のARR1億円の違いを見てきました。ここで改めて気づくのは、現在日本の大企業で叫ばれるDXの難しさです。オペレーション改善にデジタルを取り入れる経費削減は組織的にはやりやすいでしょう。既存事業を少しずつ「DXしていく」ことも取り組みやすそうです。しかし、デジタルをコアに据えた新しいビジネスモデルで事業を作り出すには、組織や制度、文化の外科手術も必要になってくるのかもしれません。

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Partner @ Coral Capital

Ken Nishimura

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