日経BP社から10月上旬に上梓された『実践スタートアップ・ファイナンス 資本政策の感想戦』(山岡佑氏著、以後「資本政策の感想戦」と略)は、創業から上場までたどり着いたスタートアップの以下の6社、
- プレイド
- スペースマーケット
- Gunosy
- Sansan
- UUUM
- ニューラルポケット
の取った資本政策について、外部から集められる情報と分析に基づいて書かれたスタートアップの資本政策のケーススタディー集です。これからスタートアップを起業しようという人や、すでに起業してストックオプションの設計に悩んでいるとか、次回資金調達時の優先株の条件にはどんな選択肢があるのか具体的な事例を知りたい創業メンバーの方々にとって、今後バイブルとなりそうなお勧めの1冊です。
起業の1つの形態である「スタートアップ」という方法論を選ぶ起業家が最初に読む1冊としてバイブルと言われているのが磯崎哲也氏の『起業のファイナンス』ですが、本書「資本政策の感想戦」は、過去の実例に基づいて「打ち手の解説」から学べる、書名通りに実践的な1冊です。
資本政策はやり直しが困難なことが多く、失敗が高くつくことがあります。そういう意味でも先に知っておけば防げる失敗は一通り頭に入れたほうが良いと思います。
資料を読み解き、過去の取引の具体的内容と「なぜ」を順に解説
実在のスタートアップの資本政策は、上場承認時に公開される新規上場申請のための有価証券報告書や登記簿謄本に記載された株式発行や取引、株主構成の変更を見ることで部外者でも知ることができる公開情報です。しかし、日常的に読み慣れた人でないと、分かりづらいものです。それを本書では豊富な図表で解説してくれます。例えば株主構成を「創業者」「その他役員・従業員」「外部投資家」の3グループに分けて、その推移を100%積み上げ棒グラフで示してくれていて、どういうタイミングでどのくらい創業者の持ち分が希薄していって、上場時にどのくらいのシェアになったのかということが視覚的に分かります。同様に、従業員数の推移と新株予約権(ストックオプション)の割当人数・付与割合を折れ線グラフと棒グラフで示すなど、あまり見たことない興味深いグラフも掲載されています。
資金調達ラウンド(取引)や株式の譲渡・分割、優先株や新株予約権(ストックオプション)の条件設計などは、標準的な「型」を知らないと、そこから外れた取引の存在に気づきづらいでしょうし、なぜそういう条件に設定したのか、背景や意図が見えてきません。こうしたことは実際に取引している経営メンバー、ベンチャーキャピタル、支援をしている士業の関係者しか知らない世界かもしれません。回数を経験している投資家やCFOは精通しているかもしれませんが、多くの場合、起業家はそうではないかと思います。その意味でもケーススタディーという形で本書が出たことはエコシステムの健全な発展には大きな意味を持つのではないかと思います。
「資本政策の感想戦」は、公認会計士でスタートアップ向けIPO支援や経営コンサルティングをしている山岡佑氏が2019年から2年ほどにわたって、note上の同名の有料コンテンツとして公開していた連作を1冊にまとめた本です。私はnoteのコンテンツをいくつか読んでいましたが、note版に比べて書籍版では図表が充実しているほか、記述も追加されているようです。1つ1つの取引について時系列で「What」と「Why」を解説してくれています。
ちょうど将棋の対局後に、1つずつ打ち手を振り返って「もっとこういう手もあったのではないか?」「この打ち手には、こういう意図があったのではないか?」と振り返る感想戦のように、というところから書名(シリーズ名)が付けられています。各取引の意図は、取引当事者に聞いてみないと本当のところは分からないわけですが、名探偵の出てくる推理小説を読むかのような山岡氏の状況証拠とロジックの組み立てはシャープで、ときに複数示される解釈は読んでいて勉強になります。
プレイドの優先株の変則設計の背後に意図を読み取る
単に資本政策で調達額や株主構成を追うだけでなく、プロダクトのローンチやユーザーの伸びの推移、場合によってはプロダクトの失敗による初期創業メンバーの解散と、そこからの復活など、ニュースメディアなどの情報も合わせて、時系列に何が起こったかがストーリーとして展開されています。
具体的に、どんな取引から、どんな意図を読み取るのか。
例えば、2014年5月のプレイドの1.5億円のシリーズA資金調達ラウンド。発行したA種優先株式の株数と株価からバリュエーションはポストマネーで8.2億円と推定されますが、特徴的なのは残余財産分配権の設計でした。詳しくはこちらの記事(【3分で解説】EXITの際の利益分配の仕組み シードファイナンス勉強会(3)超要約 | Coral Capital)をご覧いただきたいのですが、日本では優先株による資金調達では「1倍・参加型」が主流です。もともと優先株の発行自体、投資家側のダウンサイドリスクを抑えることで、創業者持ち分の希薄化を押さえる標準的な方法です。プレイドでは、その優先株の一般的な条件に加えて分配権として取得額の1倍〜2倍までは、普通株主に比べて4倍の金額を優先株の株主に分配するという条件が付加されています(文章で書くと分かりづらいですが、書籍では折れ線グラフで示されています)。これは投資家に有利な条件ですが、なぜ、このような設計にしたのでしょうか?
山岡氏は調達時のリスクが投資家にとって大きく、それを軽減しつつ十分な調達額を確保するための打ち手だったのではないか、として評価しています。実際、調達時にはプロダクト(KARTE)は完成しておらず、その後に予定より遅れてリリースされたというファクトから、投資を受けた時点では製品版完成の目処が立っていなかったように見えると指摘しています。ほかにもKARTEが切り開いた「Web接客」という概念が日本で定着するかどうか分からないこと、プレイドは第二創業とも言えるKARTEの前のプロダクトをシャットダウンしたことで一度経営チームが解散した経緯があり、KARTE開発チームはその後に組成されたことなどもリスク要因でした。投資家はリスク要因の多さや、大きさに応じてバリュエーションを調整するので、これだけリスクがあると一般的な優先株ですらバリュエーションが低くなり、1.5億円の調達をすると大きく希薄化してしまいます。一般的な優先株より、さらに投資家に有利な条件を付加することで1.5億円の調達額を確保した、というのが山岡氏の推測で、「種類株を上手に活用した事例」だとしています。調達後すぐに人材を拡充していることから、調達額を減らすとか、プロダクト作りを一定程度進めてから調達するのではなく、優先株で早期に多額を調達して迅速なチーム組成に成功した、という見立てです。
このように単なる数字や比率に見える各取引に対して、山岡氏は「強い意思を感じる」とか、「非常に合理的な意思決定」、あるいは、初期入社メンバーに生株を付与するなどリスクを取ったことに報いる「感情的な意思決定もあったように見える」などといった具合に数字から浮かび上がる意図を、まさに感想戦のように1つ1つ紐解いていきます。
スタートアップの資本政策6社の感想戦6本+定石の3章構成
本書の構成は大きく2部です。第1部に6社6本の感想戦があり、第2部「資本政策の定跡」には、
- 共同創業者や創業メンバーに対するエクイティ付与
- 事業上のキーマンに対するエクイティ・インセンティブの設定
- 従業員に対するエクイティインセンティブの付与
の3章が含まれています。第1部で取り上げた企業に加えて、他のスタートアップも例に出しながら、取り得る選択肢と、その意味するところを提示しています。
例えば共同創業者が取り得るベストプラクティスの1つとして、スペースマーケットの事例が出てきます。スペースマーケットは法人設立時に共同創業者らが共同出資するとき、まず創業者1人の持ち分を100%としておき、後に資金調達に動く前になってから「設立メンバーに対する割当」を行っています。これは創業後の持分比率を見極める期間を置いた良いアプローチだと紹介しています。具体的に一緒に仕事する前に持ち分比率を決めると、実力やコミットメントに対する相互の評価に乖離が出て揉めるというのは良くあることだからです。
創業メンバー3人で3等分の株式を持ってスタートした例では、代表に過半数を寄せたほうが良かったのではないかとも書いています。それは外部から見て意思決定者が分からなくなるからです。実際、会社の代表が決めたことでも2人が反対すれば通らないので、フラットで平等な良さと引き換えに経営の安定性やスピード感の点で外部投資家から違う評価を受ける可能性があるということです。
ほかにも、従業員に対するエクイティインセンティブ、いわゆるストックオプションについては、東証マザーズ127社について、どのくらいの割合が「SOのみ」「SO+生株」「SO+生株+持株会」なのかといった統計情報もグラフで掲載。全社員付与なのか一部社員のみなのかといったデータもあって興味深いところです。
それぞれの感想戦の最後には総括があり、「良かった点」「悪かった点」がまとめられています。悪い点は「株式分割は1度で済んだはずでは?」「ストックオプションは、こう設計すれば税制上有利だったのでは?」というテクニカルな改善提案が主体です。一方、「異例」「興味深い」などのキーワードで示される取引の中には、なぜそのような一方が不利に見える取引が成立したのだろうか、と首をかしげるものもありました。全ての取引は当事者の問題ですし、成功したスタートアップ企業について外野がとやかく言う話ではありませんが、「自分ならどうするだろうか」と考える貴重な材料になっていると思います。本書は全体としてリアルな資本政策の多数のケースからプロの視点を通して多くが学べる、味わい深い1冊でした。
Partner @ Coral Capital