アメリカでは健康保険を展開するスタートアップから、ユニコーンが続々と生まれています。これらの「健保スタートアップ」に共通しているのは、本業の保険に加えて、テクノロジーを活用した医療サービスや健康維持サポートに乗り出すことで、医療費の削減を目指していることです。
例えば2012年に設立されたOscar Healthは、保険契約者にコンシェルジュチームをつけ、健康管理のアドバイスや医師の紹介、24時間年中無休の遠隔医療サービスなどをサポートしています。これらの手続きはPCやスマホ、専用のアプリから利用できます。
ユニークな取り組みとしては、Google FitやApple Healthといった健康フィットネスアプリと連動し、歩いた歩数に応じて年間最大100ドルをユーザー還元していることが挙げられます。加入者に健康を維持するインセンティブを与えることで、病気になるリスクを減らし、医療費も抑えようとしているわけです。
ちなみに日本においては、民間の医療保険がヘルスデータに応じて保険料を割り引くサービスを提供しています。Coral Capital投資先でもあるjustInCaseも昨年9月に、スマホで計測した1日の歩数やBMIの改善によって毎月の保険料が安くなる保険を開始しました。
参考:Googleも市場参入か、ヘルスデータで割引く新ジャンル保険が国内で登場
患者向けだけでなく、医師向けのテクノロジーも展開しています。例えば、既存の電子カルテと連動することで、医師は患者のこれまでの検査結果や処方箋を見ることが可能です。
医療機関のメリットとしてはこのほか、医療費の入金サイクルの早さが挙げられます。医療機関が受け取る医療費は、保険加入者が受診時に自己負担額を払い、残りの金額は後日保険側から支払われる仕組みです。Oscar Healthは早ければ5日以内、遅くても15日以内に支払いが完了するため、医療機関にとって大きな魅力といえるでしょう。日本の健康保険から(支払基金を介して)医療機関への支払われるのが一律2カ月後になっていることを考えると、非常に迅速であることがわかります。
Oscar HealthはGoogle親会社のAlphabetが出資したことでも話題になり、今年3月には上場。IPO時点での企業価値は77億ドル相当となりました。現在はメディケアアドバンテージ(高齢者向けの医療保険)だけでなく、中小企業向けのプランなども提供し、2020年の売上は23億ドル、2021年6月30日時点のユーザー数は56万人に上ります。
健保スタートアップの代表格としてOscar Healthと並んで注目されるのが、メディケアアドバンテージを提供するClover Healthです。2021年1月、特別買収目的会社(SPAC)との合併を通じて上場したことでも話題になりました。
2013年に設立された同社は、医療機関向けにClover Assistantと呼ばれるソリューションを展開。患者の病歴や服用中の薬、ライフスタイルなどを集約し、機械学習を利用して患者ごとの最適な治療を提案しています。
この仕組みによって患者は、病気の早期発見につながるほか、医療費の支払いを抑えられるようになっています。患者向けのポータルでは自分に合った医師を探せるほか、外部のアプリとデータ連携し、自身の健康情報に基づいたサービスを利用することも可能です。
「オバマケア」が健保スタートアップ普及を後押し
健保スタートアップが登場した背景には、オバマ元米大統領政権が推進した「Patient Protection and Affordable Care Act」、通称オバマケアがありました。
2014年に施行されたこの法律は、米国民の健康保険加入を促すために、低所得層への補助金付与や保険未加入者への罰金、個人のニーズにあった健康保険を比較・購入できる「マーケットプレイス」開設などの項目が盛り込まれました。
冒頭で紹介したOscar Healthは、オバマケアで保険加入に向けた動きが強化されるタイミングに合わせてリーズナブルかつ利便性の高いサービスを提供したことで、加入者を大きく伸ばしたと言われています。
健康保険が手厚く病院へのアクセスが担保されている日本では考えられないかもしれませんが、健康保険によって保険料とカバー範囲が大きく異なる米国では、加入者であっても行きたいときに病院に行けず、重症化してしまうケースが少なくありません。国民の多くは民間の健康保険に加入していますが、通院回数が契約で制限されていることもあります。そうなると「今年はあと1回しか病院に行けないから、今回は我慢しようかな……」という心理が働き、結果として病院から足が遠のいてしまいかねません。
さらにオバマケア以前では64歳以下の17%が、高額な保険料が払えないことを理由に、無保険者が非常に大きな問題になっていました。健康を害した際に、適切な医療を受ける権利を守られていない国民が一定数いることは社会全体としても損失があります。
Oscar HealthとClover Healthに共通しているのは、今までと同じことをしても医療費は減らないという発想のもとで、オンライン診療を積極的に活用していることです。
病院に行こうか迷うときでも、自宅で診断してもらったうえで通院の必要性を見極める。そうすることで、今まで診断を先送りにしていた人でも早期発見が可能となり、重症化を防げます。あるいは、入院時は早く退院するかわりに在宅での遠隔ケアを継続すれば、医療費を抑制することにもつながります。
オバマケアをきっかけに台頭した健保スタートアップは、既存の大手プレーヤーにも影響を与えることになりました。
例えば保険大手のAnthemは、スタートアップと提携してオンライン診断に乗り出しました。Anthem以外の大手プレーヤーもサービスや金額を見直すようになり、これまで高止まりしていた保険料に価格競争が起こったのです。これまで保険料が払えずに無保険だった人が医療保険に加入できるようになり、消費者にとっては好ましい状況といえます。
日本でテクノロジードリブンな健保は成立するのか
米国ではスタートアップが医療保険市場に参入したことで、患者にとっては利便性が高まり、医療保険側の負担軽減にもつながりました。中長期的に見ると、日本でも米国と同じようにテクノロジーを活用する健康保険組合が出てくる余地はあると考えています。
日本の健康保険組合には、企業が単独で設立する「単一健保組合」と、同種同業の企業によって組織される「総合健保組合」があります。IT業界では、ZホールディングスのYG健康保険組合(単一健保)やITS健保(総合健保)などが有名です。
日本では、これらの健保組合がヘルステック業界のスタートアップと連携することで、Oscar HealthやClover Healthのようなテクノロジードリブンなサービスを提供できると考えています。こうした未来を実現するには、スタートアップやVCが集まって総合健保を新たに作ることも近道かもしれません。
日本の健康保険は患者にすごく手厚い一方で、運営元の多くは赤字で、税金の介入がないと成立していない状況です。だからこそ、テクノロジーを活用することで、必要な医療を提供しつつ、医療費も抑制する動きが出てくることを願っています。
(語り:吉澤美弥子/構成:増田覚)