2010年代初頭から始まった日本のスタートアップ業界の隆盛は、国内ベンチャー史的に見れば、恐らく第5次ベンチャーブームという位置付けかと思います。今回は前回ブームの2000年前後と異なり、デジタルイノベーションという世界的潮流の中にあるもので、ブームと呼ぶべきかどうかは分かりません。質も量も段違いで、それにともなってスタートアップが生まれたり、活躍する事業領域も幅が広くなっています。
スタートアップの事業領域が広がってくるにつれて、そこに投資するVC側に求められる専門知識も広がってきています。その意味で、ディープテック系の修士・博士号を持つベンチャーキャピタリストが増えていたり、多くのVCが今後採用しようと考えているのは、日本のエコシステムにとって素晴らしいことです。
一方、意外にも足元で抜けているなと最近感じたのが、長らくソフトウェアビジネスそのものの本丸だったエンタープライズITの領域で経験や人脈のあるベンチャーキャピタリストです。エンタープライズITは日本だけで十数兆円規模の市場があります。かつて私がコンシューマー向けデジタルメディアからエンタープライズ向けの記者に転身した理由も市場規模でした。
これは大手企業向けにSaaSでソリューションを提供している知人が嘆いていたことですが「日本のVCにはエンタープライズITが分かる人がいない」ということです。今回の第5次ベンチャーブームが主にC向けからスタートしているから、という事情も関係しているかもしれません。あるいはVCが本質的には金融業で、金融系出身のVCが多かったことも関係しているかもしれません。
エンタープライズITが分かるというのは、キャリアでいえば、オラクル、セールスフォース、マイクロソフト、アマゾン、アクセンチュア、ヴイエムウェアといった外資系ITの世界で10年以上の経験がある人です。ソリューション営業として、自社製品や技術を深く理解した上で顧客に提案するようなことをしてきたり、システム導入支援をやってきた人たちです。大口顧客向けの営業組織をマネジメントしてきたようなシニアな人物もそうです。
こうした経歴の人たちは大企業の経営者が抱える経営課題から入ってソリューションを提案することに慣れていますし、それ以上に大切なのが「ドアノック」ができること。大手企業の各所で要職にある人たちの人脈を持っていて、声をかければ話を聞いてもらえるだけの信頼を長年の付き合いで培っています。
ITのB向け営業は、他の専門系営業と同様に、経験の有無がものを言う世界です。大企業の組織構造や課題感、IT導入における意思決定のフローや組織のあり方など、「どこに意思決定のレバーがあるのか」ということを弁えていないと開くべきドアも開きません。
現在、法人向け営業を進めるスタートアップには、こうした人材がCOOやセールスのVPといった肩書きで少しずつ入りつつありますが、実はVC側にいればレバレッジが効くのではないかと思い始めています(これはCoral Capitalがそうした人材を募集しているというような話ではなく、業界全体の話です)。
大企業を顧客としたいSaaSを提供するスタートアップに対して、次々と大企業を繋ぐような人材です。逆側から見れば大企業の課題解決を新興系SaaSを使って積極的に提案できる人材です。
先ほど挙げた外資IT企業の中堅の人たちは、だいたい3〜4社を渡り歩いていて、あたかも「株式会社外資IT日本法人」というコミュニティーになっていると思えるほど同業間での転職が盛んです。個人のキャリア形成において高待遇で引き抜かれる「斜め上に出世する」ことがあること、エコシステムの特性として個社の成長・変化速度より、新しい会社の台頭が速いことなどが背景にあると個人的には思っています。ほかに良く見かけるのがシリーズB、Cのシリコンバレー企業の日本法人のカントリーマネージャー職に就くというケースです。
もともと転職が盛んな外資ITですから、エンタープライズITの世界にいた人たちがスタートアップにチャレンジするのも選択肢として、まだまだ増えそうです。ただ、シードやアーリーステージのSaaSだと待遇面やキャリア設計上、特にシニアなポジションからの転職は難易度が高いかもしれません。その点、VC側であれば多数の投資先全体に対してバリューアッドが可能です。日本のSaaS市場はまだ始まったばかりなので、こうした人材が価値を発揮できるようになるまで、もう少し時間が必要かもしれませんが、大手企業で利用される国内SaaSが増えるにつれて、エンタープライズITからVCの世界へ転身する人も出てくるのではないでしょうか。ジェンダーもそうですが、VCの世界でも多様性が求められているのだと思います。
Partner @ Coral Capital