本記事は豊田菜保子さんによる寄稿です。豊田さんは、楽天をはじめ、国内外の企業で人材育成やダイバーシティ推進を専門としてきました。現在は、スタートアップや起業家人材の支援プログラムを主に自治体と協力して企画・運営する傍ら、スタートアップやテック企業向けに「人」「チーム」「コミュニケーション」に注目した研修やアドバイザリーを提供しています。
スタートアップ人事の全体像、掴めてますか?
スタートアップ経営において、「人事」というのは、具体的に何をすべきか分かりにくい分野ではないでしょうか?そんな方も、この記事を読めば、スタートアップ人事の全体像をざっくり理解し、他社の事例や投資家の目線から、自社の人事施策を考えるヒントが得られます。
今回は、Coral Insightsが過去に公開した人事系記事や、メルカリ・ZOZO・サイボウズなどの新興企業に関する情報を、人事の各トピック・領域別にまとめてご紹介します。
前編に引き続き、今日は後編として、下記トピック・領域の後半4つを取り上げます。
<トピック>
- 創業期の人事
- 「1人目人事」採用
<領域>
- 採用・退職
- 報酬・評価(←後編はここから)
- 就業規則・制度企画
- オンボーディング・人材開発
- ダイバーシティ
「もっと知りたい!」と感じるトピックがあれば、リンクをクリックして元記事に飛んだり、検索してみるなど、ぜひ寄り道しながら読み進めていただければ幸いです。
報酬・評価
「大企業で働くか、スタートアップか」ーーこの比較で、大企業を有利にしてきた大きな要因は、金銭的な「報酬」の高さと安定性です。しかし、日本経済新聞社がまとめた2021年の「NEXTユニコーン調査」では、スタートアップの21年度の平均年収は630万円と、ここ数年の上場企業平均よりも20万円前後高い水準となっています。大企業の安定性の源泉だった年功序列や終身雇用も崩れつつある今日、状況は大きく変わってきています。
自身も大企業を辞めて起業した株式会社ハルモニア(旧社名:空)・CEOの松村大貴氏は、「仕事をする上で、どこまでを自分で自由に決めたいか」「小さい自由で小さい責任と、大きな自由で大きな責任。この間のどのあたりが自分にとって心地よいか、幸せと感じられるか」を考えて判断することを勧めています。100%の自由(裁量)と責任を求めるなら、自分で起業するしかありません。
スタートアップの報酬設計では、裁量と責任の大きさに見合うように「年収」と「ストックオプション(以下、SO)」を組み合わせます。日本全体で見ると、まだ普及率は高くないものの、2021年12月に上場した32社中30社がSOを発行していたデータが示すように、スタートアップや新興企業では、社員への配布が一般的になっています。上場時のメルカリでは、約6割の社員がSOを付与されていたといわれます。
RettyのIR・経営企画担当役員である奥田健太氏は、登壇したイベントで次のように話しています。
「『給与は高めでSO少なめ』と『給与は低めでSO多め』のような感じで選べる状態にするのはありだと思いますね。僕もRettyに入社したときも、そういったところはセットで考えました。僕なんかは、給与は生活できるギリギリのところまで落として、アップサイドを多く欲しいと思っているタイプの人間で、結果として前職から比べて給与が半分になりましたが(笑)」
こうして入社時に合意した報酬は、「評価」を通じてアップデートすることで、納得度を維持できます。SmartHRの人事責任者である薮田孝仁氏は、Coral Capitalイベント『スタートアップ人事大解剖 〜カルチャー/採用/制度のつくり方〜』で、「スタートアップは、とにかく早く評価制度を設計し始めることがすごく大切」と主張します。
その理由について、同氏は次のように説明します。
「評価制度は1年経たないと、その制度は果たして自社に合っているのか否かが分からないから。少しでも早く導入して、自社に合う形へと変えていく必要があると思っています。
SmartHRでは、早いタイミングから等級制度を導入し、誰が何等級なのかを全社員にオープンにしています。もし導入が遅くなっていたら『なんでこの人がこの等級なのか』といった不満が出やすくなると思うので、等級制度の導入、ましてや等級をオープンにするということは難しかったのではないかと思います」。
評価の軸については、カルチャーを重視する多くの企業で、定量的な数値目標だけでなく、カルチャーとの適合性ついて、定性的な評価も行なっています。先述のメルカリ・小泉氏は、バリューを重視してきた自社の評価制度について、次のように振り返ります。
「定量的なOKRと定性的なバリューの2つを大事にしています。(…中略…)私はベンチャーフェーズにおいては評価はファジーでもいいと思っているのですよ。評価はかっちり定量的にだけやると納得度も高いかもしれない、もしくは説明するのが楽かもしれないですが、経営の意思は入りづらいのです。この経営の意思を入れるところの調整面が、僕はバリューだと思っていて。なので、多少曖昧かもしれないですが、経営としてのそこの調整弁を持っていないと、なかなか本人が成長するようなフィードバックをしづらいと思っています。
ただ定性的といっても、しっかりバリューみたいに軸があるとマネージャーが自分の好みで評価しているのではなくて、会社の軸で調整弁を使っているので、何とかここに一本筋が通るという感じなんです。ですから私は評価は、メルカリの今みたいな社員数が多いサイズになると、客観性を高めて分かりやすくチューニングしていますが、初期の頃はかなりファジーですね。でも、それで良かったと思っています」。
報酬・評価制度に、さらに強く経営の意向が反映されているのが、アパレルサイトを運営するZOZOの事例です。創業者の前澤友作氏が、「競争しないこと」を重視した経営をしていたため、全社員の基本給と賞与は、一律同額に設定されています。職能給や役職手当などで年収に差は生まれるものの、評価の点数化もなく、上司の判断で毎月昇格が可能であるなど、自社の方針に沿って、常識にとらわれない制度を展開しています。
就業規則・制度企画
「就業規則」には、その会社が描く「働き方」や「社員と家族のあり方」が、ルールという形で表現されています。創業期には、そういうことを考えている余裕はありませんので、就業規則は存在しないか、最低限の内容しか含んでいません。しかし、事業ステージが成長するにつれて、創業メンバーや社員のライフステージも変わり、「こういうとき、会社としてどういう対応をとるか?」と問われる機会も増えます。公平な答えを提供するソースとして、重要性を増していきます。
米国Etsy・CEOであるチャド・ディッカーソン氏は、『スタートアップにおける育児休暇の問題』で取り上げられているように、「従業員とその家族が幸福でいられることはビジネスにとっても利益である」という理念を表明しています。例えば、「育児休暇」制度は、日本のように、産前産後と育児休業の権利と経済的な保証が、法律で定められている国もあれば、米国のように、雇用が12週間保証されるだけという国もあり、「最低限」ラインは国ごとに異なります。Etsyは、これを世界中の拠点で統一することを目標にして、自社独自の方針として、法律遵守レベル以上の手厚い育児休業制度を用意しているようです。
日本では、男性の育児休業取得率の低さが課題となっていて、20年度は政府目標の13%に届かず、取得者の半数が1週間以内という状況があります。一方で、メルカリでは男性の取得率が8割を超えていたり、複数のスタートアップでCEOが約1カ月間休業するなど、新興企業で普及が加速しています。これは、次世代の経営者による新しい働き方の提案であり、激しい人材競争のなかで、社員に選ばれ続けるための生存戦略でもあります。
シード期のスタートアップの例では、SaaS「MagicPrice」を手がけるハルモニアが、昨年「メンタルヘルスケア休暇」を導入しています。コロナ禍の自粛生活や緊張感のある日々で、メンバーの多くに見えないストレスが蓄積していることを察知したことから、丸1週間、セルフケアのために休むことができるように制度を整えました。
また、シリコンバレーでは、NetflixやGitHubをはじめ、有給休暇を「無制限」に認めるテック企業が増えています。HRTechのGustoで人事責任者を務めるケイティー・エバンス・レバー氏は、インタビューで、同社が無制限の有給休暇を導入している背景について「自分の仕事、自分の時間に対してオーナーシップを感じてほしいし、内省や充電のために必要な時間に対しても、オーナーシップを持ってほしいから」と説明しています。
オンボーディング・人材開発
「オンボーディング」とは、新しく入社した社員が組織になじんで、実力と成果をスムーズに出せるよう支援することです。ツールとしては、入社オリエンテーションや、新入社員研修、メンター制度などがよく使われます。
「人材開発」は、社員の継続的な成長をサポートすることです。スタートアップでは、座学よりも「経験学習」が基本となっていますが、すべての経験が学習機会になるとは限りません。人が経験から学ぶためには、「リスクの程度」が鍵となります。あなたのチームのメンバーたちは、下記3つのゾーンのうち、どこで仕事をしていることが多いでしょうか?
- 【リスク低】Comfort Zone(快適空間)=何のストレスもなく、心理的安全が支配する
- 【リスク中】Stretch Zone(背伸び空間)=未知に出会い、適応や対処を求められる
- 【リスク高】Panic Zone(混乱空間)=失敗するリスクが高すぎて、恐怖が支配する
毎日やることがいっぱいで忙しくても、同じ仕事の繰り返しでは、挑戦や失敗のリスクがなく「コンフォートゾーン」に陥って退屈してしまいます。一方で、過度なカオスに投げ込まれて冷静さを見失ってしまうと、「パニック・ゾーン」に入って、経験から学ぶどころではありません。
スタートアップの「人材開発」では、1人ひとりが何らかの新しい挑戦をしているか、また失敗に対する恐怖が大きすぎる状況に追い込まれていないか、両面からのサポートが重要です。
ダイバーシティ
「ダイバーシティ」は、英語で Diversity, Equity and Inclusion (DEI) と呼ばれます。ざっくり訳すと、個性や違いを発揮できて(=Diversity)、みんなが同じように成功できて(=Equity)、組織内に自分の居場所がある(=Inclusion)ことを意味します。
ザ・人事という感じの、抽象的な話に思われるかもしれませんが、マッキンゼーなど様々な機関による調査で「ダイバーシティのレベルが高い企業ほど、業績が優れている」という結果が出ています。ESGを重視する長期投資家の関心が高まっていることもあり、上場企業では株価にも影響する経営マターです。
DEIの1つ目の要素である「Diversity(多様性)」を理解するために、『成功するスタートアップチームの共通点』でも紹介された、理想的な創業チームの構成とされる「デザイナー・ハッカー・ハスラー」について考えてみましょう。
例えば、Airbnbの創業チームの場合、ジョー・ゲビア氏が「デザイン」したプロダクトを、ネイサン・ブレチャージク氏が開発し、ブライアン・チェスキー氏がCEOとして「ハッスル」、つまり資金調達から採用、その他全ての必要な業務を率いていました。異なる得意分野や強みを持つ「多様性」のあるメンバーが、1つのチームに集まっていたのです。
上記は、目に見えない多様性(スキル・経験、出身地、心のジェンダーなど)の例ですが、目に見える多様性(年齢、人種、外見上のジェンダーなど)も重要です。女性客ばかりのカフェに男性が入りにくいように、自分と似た属性の人がいないと、仕事に魅力を感じても入社がためらわれたり、入ったあと居心地が悪く感じる可能性があります。
2つ目の「Equity(公正性)」は、似たような響きを持つ「Equality(平等)」が、みんなに同じ機会を与えることを意味するのに対して、みんなが同じように成功することを指します。
例えば、Coral Insightsでは、日本生まれのスタートアップが世界で勝つために、グローバルな組織を作る重要性を取り上げてきました。外国籍社員が入社したとして、日本人社員と同じ扱いをすれば、同じように成功できるでしょうか?公正性を考えれば、おそらく文化や言語の面で、特別なサポートを必要とするはずです。以下の過去記事も参考にしてください。
過去の記事
- メルカリ、Connected Roboticsらスタートアップ4社が明かす 言語・文化の壁を超えたチームづくり
- 海外市場で戦うなら「3人目までに外国人を」日本発グローバルな組織づくりのヒント
- グローバル企業を目指す日本企業が、多国籍・多文化なチームを作る方法
- 世界を目指すスタートアップに必要な「Born Global」ムーブメント
- スタートアップは公用語を英語にすべきか、日本語にすべきか
最後の Inclusion(包括性)については、色々な考え方がありますが、「チームや組織との一体感があること」「組織内に自分の居場所があること」と理解できます。具体的な方策は、グーグルが公開している『Unconscious Bias @ Work(職場における無意識の偏見)』という研修が参考になります。
Airbnb創業チームの例に戻ると、このスタートアップの成功に必要な全ての要素を、この3人がそれぞれ持ち合わせていたとしても、チームとして機能する保証はありませんでした。お互いの専門性を尊重して、役割分担を明確にするからこそ、組織の中で自分の居場所を確かに感じて、個々の能力を最大限に発揮することができます。
自社の人事施策を考えてみよう
今回は、Coral Insightsが過去に公開した人事系記事や、シリコンバレーや日本の新興企業に関する情報を、人事の領域別にまとめてご紹介しました。
スタートアップ人事の全体像や、自社に足りていなかった部分を、ざっくりと理解できたのではないでしょうか?この記事を他のメンバーにも共有し、自社のニーズやステージに合った人事施策を考えるヒントとして、ぜひご活用ください。
Contributing Writer @ Coral Capital