今年(2021年)9月、米PayPalが後払い決済の「Paidy」を約3,000億円で買収すると発表して業界関係者を驚かせました。買収額が1,000億円を超える「ユニコーンM&A」が出ることは予測されていたことでしたが(日本のVC・スタートアップ発展の3段階のフェイズについて述べたグロービス・キャピタル・パートナーズ仮屋薗氏のインタビュー記事を読んでみてください)、日本のスタートアップ界隈の今までの基準からすると桁違いに大きなイグジットでした。
Paidyの大型買収によって際立った形ですが、ここ数年、海外投資家が日本のスタートアップ企業に出資する例が増えています。
この記事では、海外マネーが日本のスタートアップに流入する理由について解説します。前半では、未上場もしくは上場したスタートアップへの出資の事例と傾向についてトレンドをまとめ、後半で、その背景について述べます。
2019年以降に増えてきた海外投資家からの大型資金調達
海外系PEファンドやクロスオーバーファンド(上場・未上場の両方で投資をするファンド)など、大きな運用資産を持つ海外機関投資家が日本のスタートアップやVCへ出資する事例が増えています。
例えば、世界各地で180兆円以上の資産を運用する老舗ファンド、T. Rowe Priceは2018年12月にクラウド名刺管理のSansanの約30億円を資金調達ラウンドに参加したのを皮切りに、クラウド会計のFreeeやAI学習システムを提供するatama+に出資しています。
米系グローバルPEファンドのKKRは、2019年8月にマーケティングツール「b-dash」を提供するフロムスクラッチの約100億円を資金調達ラウンドに参加。KKRは2021年にはQRコード決済ゲートウェイのStarPayにも出資しています。
同じくPEファンドのカーライルは2021年9月にバイオベンチャーのSpiberの約344億円の調達ラウンドのうち100億円を出資したほか、2020年に設立した日本向けバイアウト・ファンドの2,580億円の約1割を成長投資案件に振り向けるとしています。
Coral Capital出資先でクラウド人事労務ソフトを提供するSmartHRは、クロスオーバーファンドのLight Street Capitalをリード投資家として約156億円を調達しています。
海外投資家引受比率の高いIPO案件も増加傾向
上場前のレイターステージでの出資に加えて、上場時に一定の新規発行株式を引き受ける機関投資家として、海外勢の比率も高まっています。最近だと、2021年4月に上場したビジョナルは上場時の規模の大きさに加えて、海外投資家比率が86.6%と高いことも話題になりました。スタートアップ企業で海外投資家による引受の比率が30%以上と大きい案件を表にまとめると以下のようになります。
社名 | 募集総額(億円) | 海外比率 | 上場日 |
ビジョナル | 682 | 86.6% | 2021年4月 |
プレイド | 241 | 77.4% | 2020年12月 |
セーフィー | 252 | 63.6% | 2021年9月 |
ココナラ | 167 | 60.4% | 2021年3月 |
フリー | 371 | 58.9% | 2019年12月 |
ウェルスナビ | 197 | 58.5% | 2020年12月 |
ヤプリ | 176 | 53.3% | 2020年12月 |
Kaizen Platform | 66 | 48.5% | 2020年12月 |
ラクスル | 189 | 40.3% | 2018年5月 |
Sansan | 389 | 40.1% | 2019年6月 |
メドレー | 206 | 32.7% | 2019年12月 |
メルカリ | 1,307 | 31.1% | 2018年6月 |
Photosynth | 109 | 30.7% | 2021年11月 |
スタートアップ企業の上場時の海外機関投資家の引受比率(INDBをもとにCoral Capital作成)
ほんの3年前には20%も行けば多いほうと言われていたのが、ここ1、2年で海外比率が高まってきて50%を超える案件が増えています。過去3年に上場した日本のスタートアップのうち上場時に海外機関投資家の引受があった案件について、各年ごとに平均を取った数字を並べると以下のようになります。
ただ、近年はSaaS企業の時価総額が大きくなる傾向にあり、海外投資家比率の高まりは、募集総額の増加の結果ではないかという見方もあるかと思います。以下の散布図は横軸を募集総額、縦軸を海外投資家比率として各企業をプロットしたものです。
2018年6月上場のメルカリが少し特異に見えるので、これを除外して線形近似を見るとR²=0.339と、やや相関ありに見えるものの、やはり海外投資家の引受比率が大きくなっているのは、ここ数年の海外投資家の態度の変化のほうが大きいと言えそうです。
なぜ今になって増えているのか?
では、今になって、なぜこれほど海外からの出資が増えているのでしょうか?
(1)日本にユニコーンがあるのが、ようやく知られてきた
メルカリが2018年に上場、Sansanは2019年に上場しました。それぞれ現在の時価総額は約1.1兆円、約4,400億円とドル単位で言えば「ビリオン」です。日本にもそうした高いポテンシャルのあるスタートアップがある、ということが、ようやく海外でも知られてきたのが理由の1つ目です。
日本は海外から見るとブラックボックスです。スタートアップを知るためのメディア情報や企業・財務情報の大部分は日本語ですから、かなりアクセスが難しく、有望なスタートアップが登場したことに海外投資家が気づくのにワンテンポあった、というのが2021年の現状と考えられます。
特にグローバルに良く認知されているPayPalによるPaidyの買収によって一気に注目を集めた印象もあり、Coral Capitalに対する海外投資家からの問い合わせも急増しています。
(2)英語でコミュニケーションできる優秀な人材が増えた
上記とも表裏ですが、海外投資家と英語でコミュニケーションできる優秀な人材が、スタートアップに増えたことも理由として大きいかと思います。創業者であるCEOだけでなく、特にCFOポジションに、外資系投資銀行出身者や上場企業でIRを担当していたような人材が増えて、IPO前後に海外投資家としっかりと話せる人が増えています。少しお名前を挙げると、
※カッコ内は関連する経歴
- Freee創業者の佐々木大輔氏(Google)
- Freee CFOの東後澄人氏(JAXA、マッキンゼー、Google)
- ヤプリ共同創業者の角田耕一氏(UCバークレー卒、クレディ・スイス証券)
- マネーフォワードの辻庸介氏(ペンシルバニア大学ウォートン校MBA卒)
- マネーフォワードの金坂直哉氏(ゴールドマン・サックス証券)
- プレイドの武藤健太郎氏(コーネル大学MBA卒、ドイツ証券投資銀行部門、グローバルM&AアドバイザリーのBDAパートナーズ)
- SmartHR経営推進グループ 経営企画IRの森雄志氏(楽天IR部)
といった方々です。例えば、プレイドの武藤さんの書かれたグローバルオファリングにおける海外投資家とのコミュニケーションの実体験録を読むと、スタートアップ・エコシステム内でこうした知見の共有・蓄積も起こっていることがわかります。
上場後も経営チームが英語でコミュニケーションできること、そして日本のスタートアップの経営レベルがグローバルで見ても遜色ないことも(例えばLight Street CapitalパートナーGaurav Gupta氏のインタビュー記事をご覧ください)、海外投資家から見て日本のスタートアップに投資しやすくなっている背景にあります。
(3)米中バリュエーションの高騰の影響
海外機関投資家の目が日本のスタートアップに向く理由として3つ目に指摘したいのは、米中でスタートアップ投資が加熱した結果、バリュエーションが高騰しているという外部要因です。相対的に日本のスタートアップは「安く」見える状態になっています。
グローバルではスタートアップ投資額は過去最高を記録しています。CB Insightsの集計によれば2012年に$63B(7兆円)だったものが、2021年は第3四半期までで、すでに$437.7B(50兆円)を超えています。
中国については政情不安やテック系企業への北京政府の締め付けが強くなっていることから、以前ほど海外からの投資が集まりづらくなっていて、それが日本へと向かっている面もあるでしょう。
(4)国内調達環境が育ち、未上場で大きくなるスタートアップが増えた
国内のスタートアップ投資額は年々増加し、過去7年で少なくとも7倍程度に増えています。その結果、シリーズCでの数十億円の資金調達が実施可能というまでに、国内の資金調達環境が育ってきています。
海外の機関投資家は、シリーズAなど規模が小さいと投資できません。運用総額に対してインパクトが小さいためです。同様に未上場でシリーズC、Dと成長するスタートアップが増えた結果、今後はPaidyのような大型買収も増えることが予想されます。
シードやシリーズAのスタートアップを買収する意味は、当該事業領域の最適なチーム(人材)やプロダクトを買うことですが、これは地域・言語の依存性が高いものです。一方、シリーズC以降のスタートアップ買収においては、売上(事業)を買うという側面が強くなってきます。
特にSaaSやFintechのようにメトリクスやビジネスモデルの共通化がグローバルで起こっている領域については、出資・買収において比較的言語の壁を超えやすい一方、規制の存在のため事業そのものは国境を超えるのが難しいという構図があります。今後は、買収で市場エントリする(日本市場参入)という意味合いでのスタートアップ買収が増えることも予想されます。
4番目の論点で海外プレイヤーはアーリーステージのスタートアップへの投資や買収は難しいと書きましたが、これは逆に言えば、シード・シリーズAの日本のスタートアップ企業の買収に関しては、日本企業は言語・競争環境理解の面で圧倒的に有利だということです。もし今後、海外投資家やテック企業による日本のスタートアップの買収が増えていくのだとすると、それに先んじてアーリーステージのスタートアップ買収を検討する日本の大手企業も出てくるのかもしれません。
また、シリーズC以降の大型調達で海外機関投資家のプレゼンスが増している背景には、日本には、その規模のエクイティー出資による資金の出し手が少ないことも背景にあります。創業メンバーからすれば「海外に調達に行くしかなかった」という状況です。SaaSという新しいビジネスモデルを評価して正当なバリュエーションをつけるということについても、グローバルの投資家と差は大きく開いている、ということも言えるかもしれません。