約30年前のバブル就職組が当時の雰囲気を語る逸話の1つとして、こんな話を聞いたことがあります。就活生向けの説明会について、ある流通系大手に電話で問い合わせをしたジョークです。
企業人事「はい、ABC運輸でございます」
大学生「就活をしておりまして、次の説明会についておうかがいしたいのですが」
企業人事「どちらの大学ですか…?」
大学生「D大学です」
企業人事「おめでとうございます! 内定です!」
なかなかブラックなジョークです。
当時人気の就職先だったのは、航空会社や広告代理店、メディア関連など華やかな業種。時代の空気でしょうか、華やかさに欠ける「地味な」企業は、収益性や将来性、社会的意義などと関係なく、学生には人気がなかったようです。そうした企業は「大学名を名乗るだけで内定が出る」などと揶揄された、というのです。
実は、これは宅配事業を行うある流通大手について言われていたジョークだそうです。ECやD2C、P2Pマーケットプレイスの興隆を背景にして、今や猫の手も借りたいほどの旺盛な需要に支えられるホットな業界です。
大手に限って言えば比較的早い時期からITを取り入れたシステム化を進めてきた業界で、IT子会社を持つところも少なくありません。メルカリが進出先の国・地域を選ぶとき、消費者向けの物流網が充実しているところという条件で絞ったと言いますが、日本のようにコンビニで発送したら数百円で翌日に相手先に確実に届いてしまうような国は多くありません。日本の物流にはエクセレント・カンパニーが多数存在しています。
かつて物流・倉庫などは人気の就職先ということはなく、上にあげたジョークがまことしやかに学生の間でささやかれていました。製造系企業でも物流部門は傍流と見なされていたかもしれません。でも、30年が経ってみて、そうした「アンセクシー」に思えた業種が、デジタル化の中で、今がぜん「セクシー」になっているように思えます。
「コンテナ」という近代史上まれに見る革新
米国でスタートアップ・ブームが大きく盛り上がり、いまで言うバーティカルSaaSが注目され始めたのは2010年代半ばだったように思います。2016年にTechCrunchに掲載された記事、「The unsexiest trillion-dollar startup」が象徴的です。「知られざる超アンセクシーな1兆円スタートアップ」というニュアンスです。
当時はまだソーシャルやモバイル関連の「華のある」プロダクトのデビューがピーク。スタートアップでもC向けが注目を集めていて、15秒のエレベーターピッチを聞けば誰もが「おもしろい!」というようなものが典型的なスタートアップでした。「メガネにカメラを付けてウィンクをすれば撮影するデバイスです」とか「デートアプリの問題はチャットが長い割に実際の出会いに繋がらないこと。だから最初から食事の約束をするアプリです」、「スーツケースを出張先から出張先に転送するんです。中身のスーツや下着は入れっぱなしでOK。こちらで回収してクリーニングして転送します。そんな所有しない新スタイルを提案します」、「鉛筆って、まっすぐに机に置けば垂直に立つじゃないですか? ロケットもね、まっすぐ縦に降りてくればピコンと立つはずだから、そうしたらロケットって再利用できるんですよ。劇的に打ち上げコストが安くなるんです」といったものです。どれも聞いただけで、ちょっとわくわくしませんか? (ついでに言えば、各記述に対応する具体的スタートアップ名が思い浮かぶ人も多いかと思います)
一方、上記の記事で紹介されている「アンセクシーな1兆円スタートアップ」のFlexportは海運系のスタートアップですが、果たして当時どれだけのテック系の人たちが海運に関心を寄せていて、それがDXすべき巨大市場と思っていたでしょうか。当時まだFlexportはシリーズA前後ですが、その数年後にバリュエーションが1兆円を超えることになると予想した人も少なかったかもしれません。TechCrunchの記事タイトルが伝えているのは、当時の読者の反応が「何それ?」というものだったことです。実際この記事を読んだとき私はそう感じました。
ベストセラーとなったビジネス書『コンテナ物語〜世界を変えたのは「箱」の発明だった』などを読めば、国際物流におけるコンテナによる標準化は国際分業を促進して世界経済の発展に寄与した文明史的な大転換だったことが分かります。港湾業務の効率化、異なる鉄道会社が1本のレールで相互乗り入れをするように海運と陸運を繋いでしまったことなどから非常に大きなインパクトがありました。日本海事センターの松田琢磨氏の書いたレポートには英ノッティンガム大学の研究として、1962年から1990年まで世界157カ国を対象とし分析で、コンテナ化後の約30年弱で貿易額が約26.5倍にも増えたこと、またマッキンゼーによる別の調査では、1965年に港湾労働者1人あたり1時間に1.7トンの貨物を運ぶことができたものが、コンテナ化した5年後に30トンに増えたという数字などが紹介されています。
つまり、テック系の人たちが知らなかっただけで、もともと大きなイノベーションが比較的最近に起こった興味深い業界なのです。
テック業界で生まれた手法がソフトウェアとともに広く伝統産業に染み出していった結果、今やバーティカルSaaSは黄金期を迎えようとしています。先日シリーズBの資金調達を発表した弊社投資先のShippioも国際物流のDXに取り組んでいますが、2022年となった今では、こうしたスタートアップは、むしろ王道を行くセクシーな企業群の1つと言えるかもしれません。
身を置くならテック企業か、DXすべき事業会社か
5、6年ほど前、学生の皆さんに聞かれたときにキャリアのアドバイスとして口にしていたのは、新卒であれば企業規模の大小によらずソフトウェアやデジタルをコアに据えた会社が良いのではないか、ということでした。ソフトウェアの重要性が高まる中、クラウドやSaaSを積極的に利用したり、内製したコードで事業を動かしたりしていない企業は早晩競争力がなくなるでしょうし、何より、そうした場では10年後にキャリアを切り開くために必須のデジタルによる事業や業務の進め方が身に付かないからというのが趣旨でした。スタートアップで起業したいなら、なおさらです。
一方、例えば倉庫業務自動化について業界関係者にヒアリングしていて最近感じるのは、今やDXすべき事業会社も、若手・中堅の就職や転職先として魅力的かもしれないということです。デジタルによる大きなインパクトを出せそうな場となっているからです。
メディアが派手に報じるAmazon倉庫などの自動化のイメージに反して関係者らが異口同音に指摘するのは、現場作業の自動化は、まだ全く端緒についたばかりということです。C向け商材のピッキング業務は軽くて形状も似たものが多いことから大規模倉庫で自動化が進んでいるものの、それもごく一部。例えば倉庫管理のWMS/WCSというITシステムと自律走行する搬送ロボットをインテグレーションする人材が決定的に不足していて、搬送系自動化ソリューションはまだ現場にほとんど入っていません。入手可能なソリューションは次々と出てきていますが、既存の業務フローや現場の制約などから導入は容易ではなく、プロジェクト・マネジメント力とITリテラシーの両方が求められる場です。ビジネス的に意味のある成果を出さないまま、せっかく導入したロボットを再びヒトが置き換えるような悲喜劇も起こっています。
日本のSaaSやデバイス系スタートアップの売上がソフトウェアによる純粋なMRRではなく、コンサルの比率が高くなりがちなのは、受け入れ側である日本企業のITリテラシーや、デジタル関連プロジェクト遂行の練度がまだ十分でないから、という面もあります。Coral Capitalの投資検討でときどき懸念材料となるのが普及速度です。ボトルネックとなり得るのはマーケティングではなく導入時のインテグレーションやオンボーディングのコストです。逆に言えば、中堅・大手でのボトルネックの解消には大きな経済的価値がありますから、かつてアンセクシーと思われた伝統的産業の大手企業であっても、DX担当チームは今後、より大きな裁量が与えられて、大きな結果が出せる魅力的なポジションが増えていくのではないでしょうか。もちろん、その会社のトップによるDXや組織改変に対するコミットが揺らがないことが前提ですが、そうした場で2〜3年のプロジェクトで成果を挙げられれば、キャリア上それは大きな財産になるでしょう。DX人材の受け入れ側ではプロジェクト単位で社内外のメンバーによるチームを柔軟に組成するような流動性も大事になりそうです。
国内でDXのかけ声が大きくなりはじめて約3年。伝統産業も情報産業的要素が増えていくので、当然と言えば当然かもしれませんが、スタートアップ側だけでなく導入企業側にもテック系人材の活躍の場が広がっているのではないでしょうか。
Partner @ Coral Capital