高度経済成長期(1955年〜1973年頃)の東京湾岸に、「夢の島」と呼ばれる巨大なゴミの山があったことを、皆さんはご存知でしょうか。ピーク時の1967年頃にはゴミの山の高さは16メートルにも達し、悪臭と火災の懸念から大きな社会問題となっていました。1965年には、大量発生したハエの大群が4ヶ月にわたって江東区南部に襲来し、全国にその名を知られる事態にまでなりました。以下の写真は不衛生な状態を改善すべく山の一部を焼き払う「夢の島焦土作戦」の様子です。
夢の島公園の公式サイトより
先日、Coral Capital社内で「夢の島」の話をしたところ、20代、30代の同僚たちは誰一人として知りませんでした。それもそのはず。東京はこの半世紀の間に、ゴミ処理の課題を技術と市民の協力で完全に克服し、いまや夢の島は美しい緑地公園へと生まれ変わっているからです。
その夢の島の2.5倍の高さ―。インドネシアの首都ジャカルタで目にしたゴミの山は、高さ40メートルにも及びました。バンタル・グバンと呼ばれる東南アジア最大の廃棄物処分場です。毎日約8000トン、東京23区全体から出る一般廃棄物とほぼ同量のゴミが運び込まれ、約3,000人の「ウェイスト・ピッカー」たちが、その山の斜面に掘立小屋を建てて暮らしています。
インドネシアのゴミ問題は、かつての東京と同じか、それ以上に深刻です。この課題に、日本発の環境テックスタートアップが挑もうとしています。今回、そのスタートアップ企業の最初のパートナー候補となるMM2100工業団地を訪れ、現地のゴミ問題の実態と、テクノロジーによる解決の可能性を探ってきました(Coral Capitalパートナー・西村賢)
ゴミを価値に変える小型装置の挑戦
11月初旬、インドネシアを訪れました。首都ジャカルタからクルマを東へ走らせること約1時間。Coral Capitalの投資先であるAlchemist Materialの最初のパートナー候補である「MM2100工業団地」を視察しました。ホンダやデンソーなども入居する近代的なこの工業団地で、その運営企業BeFa代表の小尾吉弘さんは語ります。
「インドネシアの最大の課題はゴミ処理問題です。市街地でもゴミの山があちこちにある。ビーチなど観光地もひどい状態」(MM2100運営のBeFa代表・小尾吉弘さん)
MM2100工業団地を運営するBeFa代表の小尾吉弘さん。1983年から40年近くジャカルタに住み、工業団地の立ち上げから開発・運営に従事。2012年には団地内に職業専門高校を設立し、態度を重視した教育で即戦力となる人材を育成。2006年にイスラム教に入信するなど、現地社会に深く溶け込む
ジャカルタ近郊にある工業団地「MM2100」
Alchemist Materialは廃プラを水素に変える小型装置を作っています。インフラ未整備の途上国でも、小型装置を設置さえすれば、ゴミの山を経済価値(ビジネス)とすることができる。そんな世界を実現すべく設計・開発に取り組んできました。本来であれば国など行政がやるべきゴミ処理ですが、初期投資がかさむことなどから焼却設備建設はおろか、東南アジアの国々の多くでは、分別や回収事業もできないまま、ゴミの山があふれかえっています。
そこで小型で分散型の装置を提供することで、地元コミュニティーが儲かる形でゴミ問題を解決する。それがAlchemistの狙いです。
海洋プラスチック問題を根本から解決する
冒頭にご紹介したバンタル・グバンはインドネシアのゴミ問題全体からすると、氷山の一角に過ぎません。
空港から高速道路で市街地へ向かうと、至るところに小規模なゴミの山が点在しているのが目に入ります。市街地に入ってからも運河や河川の水面は、廃プラやゴミで埋め尽くされ、雨季になると水があふれ出す原因にもなっています。私が訪問した市街中心部の高層ビルからでも窓から見下ろすと、足元にもゴミの山が見えたりしていました。
ジャカルタ市街中心部の高層ビルから足元を見下ろすと、そこにもゴミの山が
世界で最も汚染がひどい川として知られるジャカルタのチタルム川。ゴミから換金性のあるゴミを回収する人々
世界第4位、約2.8億人の人口を抱える新興国インドネシアでは急速な発展の代償として環境問題が深刻化しています。そして、これは世界的な環境問題でもあります。
例えば、インドネシアの1人当たりの未処理プラスティックゴミ量は年間3.05kgと推定されています。これは日本の0.28kgの実に10倍以上です。プラント技術の発達した日本では石油由来のプラスティックや合成繊維・ゴムなどは焼却炉で燃やして電気として利用する「サーマル回収」や、素材として再利用する「マテリアルリサイクル」で約87%が処理されていますが(プラスチック循環利用協会)、インドネシアでは固形廃棄物全体の回収の比率だけを見ても約39%にすぎません。大型焼却炉などの施設が発展せず、投資もされていません。
世界全体でプラスティックの生産量は過去30年で0.3億トンから4.6億トンへと15倍に膨れ上がっていますが、日本のようにゴミの分別と回収、大型焼却炉がある先進国と違い、急速に発展した途上国では、多くのゴミが適切に処理されないまま、環境中に放出されているのが現状です。街の一角やジャングル、河川に廃棄されたゴミの山が、海洋に流れ出しているのが「海洋プラスティック」の問題の本質です。
世界のプラスティック生産量の推移(出典:Plastic, Pollution, Our World in Data)
環境保護の意味合いで、日本でプラスティック製ストローを紙製ストローに変更するなどのCSR活動もありますが、そうした活動は啓蒙という視点では意味がありますが、海洋プラスティックを減らすのが目的であれば、東南アジア、インド、中国などに処理技術を普及させるしかありません。
適切に処理されていないプラスティックの総量の推定(出典:Plastic, Pollution, Our World in Data)
この深刻な環境課題に対して、革新的なアプローチで解決を目指すスタートアップが、Alchemist Materialです。日米の技術者チームで構成される同社は、廃棄物処理の課題に独自の解決策を提示しています。
石焼き芋と同じ原理のイノベーション
Alchemist Materialが開発する装置は、従来の焼却炉の概念を根本から覆すものです。
システム全体でもコンテナに積載可能な小型装置は「ガス化室」(チャンバー)を備えています。約1000度と比較的低温に保たれたチャンバー内で廃プラスティックを処理し、水素と二酸化炭素を生成します。1台3〜5億円という価格を想定していて、これは一見高額に思えるかもしれません。しかし、従来の都市ゴミ焼却施設では、処理能力300トン/日クラスで約100億円、500トン/日以上の大規模施設では150億円以上の初期投資とインフラ整備が必要となります。それと比較すれば、Alchemistの装置は画期的な小型化と低コスト化を実現したと言えます。
Alchemist Material共同創業者でCTOを務める石川哲也さんは、世界最大の半導体装置メーカーの「Applied Materials」に26年間勤めてフェローにまで上り詰めた半導体装置のエキスパートです。その石川さんは、この装置の本質を「石焼き芋と同じ原理なんですよ」と説明しています。
一見単純なこの例えの中に、重要な技術的洞察が隠されています。通常、気体は熱伝導率が極めて低いため、空気を多く含むゴミを高温で熱してガス化するのは難しいのです。Alchemistの装置はこの課題を「流動床」方式を応用することで解決しています。流動床方式では、ガス化室の底にある固体の粉粒体が、気体などで流動させられ、チャンバー内を満たします。この粉粒体が優れた蓄熱性を発揮し、石焼き芋が熱い石によって均一な温度で長時間加熱されるように、ガス化室内に安定した温度条件を作り出すのです。
この流動床という原理は大規模プラントで約100年前から使われていて、プラスチックから水素を生成するプラントも日本国内で20年近く動いている実績があります。Alchemistのイノベーションは、その実証済みの技術を、半導体装置産業で培われたノウハウを活かして小型化することにあります。
途上国での運用を見据えた工学的な工夫
大規模プラントの技術を小型化する際の最大の課題は、「小さいほど冷めやすい」という物理的な制約でした。最近、小型原子炉が安全性の面で有利だと注目されているのも同じことで、熱が放散する表面の面積と体積の関係から、物体というのは小さくなると急に冷めやすくなるのです。
この課題に対して、Alchemistは同心円状の二重構造という巧妙な設計で対応し、高温の燃焼炉からの輻射熱による熱損失を、ほぼゼロとしました。さらに、内部チャンバーを、半導体装置で採用されている材料で構成し、効率良くガス化のための熱を均一にゴミに伝えます。
また、運用面でも途上国向けの工夫が施されています。チャンバー内は大気圧で運用でき、動作には純酸素などが不要で大気で構わない点、動作温度を1000度程度に抑えている点など、インフラの整っていない場所でも運用できるよう設計されています。
Coral Capitalがシード資金を提供してから約1年半。すでに、東大とのコラボでのコンピューターシュミレーション開発に続き、シリコンバレーでの流体制御システム開発を経て、神奈川県・横浜でガス化試験を手掛けるところまでたどり着いています。
システムの説明をするAlchemist代表の鈴木達則さん。右の銀色の柱状の装置がガス化実証装置
「地元が儲かるから解決する」というマネタイズの仕組み
Alchemistの強みは、単なるゴミ処理にとどまらない収益モデルにあります。装置から生み出される水素は発電用エネルギーやアンモニア製造原料として活用されます。また二酸化炭素は製造業の工業用途や冷凍発送のドライアイスとして利用可能で、需要が年々拡大する二酸化炭素をローカル製造することによって、従来の二酸化炭素に代わる低炭素二酸化炭素でGXに貢献します。
「途上国では、ゴミ処理のための十分なインフラも予算もありません」とAlchemist代表の鈴木達則さんは語ります。「私たちが目指すのは、マイナスの価値しかないとされてきたゴミの山を、エネルギーという価値に変換すること。処理にコストがかかる『厄介者』を、水素や二酸化炭素という『商品』に変えることで、ビジネスとして成立させる。そうすれば、行政の予算に頼ることなく、持続可能な廃棄物処理が実現できるはずです」
ゴミの山を商品と捉える発想は、日本のような先進国の廃棄物処理の現場では常識となりつつあります。ゴミ焼却による発電事業に携わる、ある日本の関係者は「われわれにとってゴミの山はエネルギーの塊にしか見えないのですよ」と語ります。Alchemistの革新性は、この考え方を途上国でも実現可能な、分散型小型装置という規模とコストで具現化したことにあります。
この発想の転換は、バンタル・グバンのような巨大なゴミ処理場で暮らすウェイスト・ピッカーたちの生活にも、新たな可能性をもたらします。現在、彼らの多くはゴミの山崩れやメタンガスによる火災などの危険と隣り合わせの環境で、わずかな収入を得るために再利用可能な資源を探し続けています。しかし、ゴミが電力や水素の原料として価値を持つようになれば、より安定した雇用と収入を得られる可能性があります。さらに、メタンガスの発生源となる生ゴミを焼却すれば、GHGガスクレジットとして先進国企業からのマネタイズも視野に入ります。半導体装置ビジネスに関わってきた創業メンバーらは、装置内の動作ログを正確に遠隔把握するのが常識という半導体業界のプラクティスも持ち込もうとしています。
環境問題の解決を、規制や補助金に頼るのではなく、純粋な市場原理によって実現しようとしているのです。社会課題を根本的に解決する最も確実な方法は、それを解決すること自体が持続可能なビジネスになっている状態だと私は考えています。投資家としての私がAlchemistの取り組みを応援している理由は、まさにここにあります。
パイロット導入の場としてのMM2100工業団地
Alchemistの装置の第1号機の導入先候補が、MM2100工業団地です。現在、2300ヘクタール(東京ドーム約490個分)という広大な敷地に製造業を中心に約400社が入居しています。うち、約6割を日本企業が占めるこの工業団地は、Alchemistにとって理想的なパートナーとなりそうです。
ジャカルタから東へ40kmほど離れた場所にあるMM2100工業団地
「ゴミ問題解決と同時に水素を地産地消でやる構想に興味を持ちました」とMM2100の小尾さんは語ります。「工業団地内には水素も二酸化炭素も産業用途で利用できる企業が集積している。私たちのような工業団地をモデルケースとして、これをインドネシア全土に展開していければと考えています」(小尾さん)
すでにゴミの集積・分別のための場所として100m×100mの予定地もMM2100内に確保していて、その場所も小尾さんに案内いただきました。Alchemistの装置だけでなく、各種ゴミ処理の装置を集めて運用することを目指しているといいます。
MM2100敷地内のゴミ集積・分別のための敷地。すでに右背後には集落が出したと思われるゴミの山が見えた
興味深いのは、現地の社会構造を十分に理解した事業計画です。「ゴミの収集・分別はローカルの事業者や人材活用で共存共栄を果たし、さらに装置のオペレーションやメンテナンスのための人材派遣も、地元工業高校との連携事業となります」とAlchemistの鈴木さんは説明します。「ただ、ここは地元プレーヤーの利権もあるので、棲み分けが必要です。ペットボトルの『PET』などの価格がつく廃棄物は彼らの利権ですが、実は私たちには好都合です。PETはカロリーが低く、むしろ私たちはカロリーの高いPEやPPなどの、リサイクルされない廃棄物を処理対象としているからです」
廃棄物から水素を生み出す技術で途上国のゴミ問題に挑戦するAlchemist Materialは、その第一歩としてMM2100工業団地での導入準備を着々と進めています。
人材育成が支える技術革新
Alchemistの装置導入に向けて、MM2100工業団地には大きなアドバンテージがあります。それは20年以上にわたって築き上げてきた人材育成の基盤です。
2000年、地元住民の雇用機会を求めるデモをきっかけに、MM2100は工業高校(SMK)を設立しました。設立当初のMM2100の入居企業は地元の人々ではなく、遠く中部ジャワから来る人々を雇用していたのでした。
MM2100の工業高校は、主に日系企業の人事総務部長といった人々約10人が運営に関わり、実践的なカリキュラムを提供しています。インドネシアの教育省が定めるカリキュラムの8割を無視して、代わりに現場のニーズに即した独自の教育を実践。
例えば、二輪工学学科では、ホンダが工場の現場で使っている本物のマニュアルを使って3年かけてバイクの解体・組み立てを学ぶなど、卒業後に即戦力として働ける人材を育てています。
二輪工学、電気技術工業、産業電子工学などを学ぶ工業高校の学生たち
「授業の半分の時間を態度の教育に使っています。道徳と規律を叩き込むことです」と小尾さんは語ります。「入学1年目は、5つの本質的価値として『正直、責任感、規律、協調、思いやり』を叩き込む。『笑顔、あいさつ、声がけ、礼儀、マナー、熱意』という6つの美徳と合わせて、これらを6つの言語でジェスチャー付きで大きな声で叫ぶのです」
インドネシア語、英語、日本語など6言語で、5つの価値と6つの美徳を叫ぶMM2100の工業高校の生徒たち。日本からの来訪者である私たちにデモとして短時間バージョン(約2分)を披露してくれた。日本語による「起立!」に始まり「着席!」で終わる中で、「私たちが大事にしている価値観は何ですか?」と代表の生徒が語りかけると「しょうじき! せきにんかん! きりつ…!」などと大きなジェスチャーとともに叫ぶ
実際、工業高校を訪れてみると、学内を歩く高校生たちの目は希望に輝いています。日本からの来訪者に対して弾けるような笑顔で白い歯を見せ、恭しくお辞儀をします。
この徹底した教育方針は、着実に成果を上げています。MM2100の工業高校卒業生の就職率は100%と、他の工業高校の50%程度という数字を大きく上回ります。入居企業からの評判もきわめて高く、日本やドイツへの技能実習生としての派遣も行っています。さらに、その影響は学校の枠を超えて広がりつつあります。MM2100でスタートした工業高校は、現在インドネシア国内の7つの姉妹校へと広がっています。
「工業高校の生徒たちに清掃を教えたら、10年ほどたって、今ではスタバで自分のゴミを片付ける人が増えてきました」と小尾さんは目を細めます。「インドネシアにはなかった習慣が、少しずつ根付いてきているんです」
この文化的な土壌は、Alchemistの装置運用にとっても重要な意味を持ちます。「ゴミの分別や装置の安定運用には、技術だけでなく、規律と責任感が不可欠です」と鈴木さんは指摘します。「MM2100の人材育成の仕組みは、私たちのように新しい環境技術を根付かせる上で大きな強みになるはずです」(小尾さん)
将来的にはAlchemistの装置展開と人材育成を並行して進められる可能性も出てきています。
さらに、Alchemistの装置の運用がMM2100で成功すれば、それがより大きな展開への足がかりとなります。インドネシアにはMM2100と同規模の工業団地が30〜40カ所存在します。さらに、東南アジア全体では日韓が運営する工業団地は約1000拠点に上ります。特に注目すべきは、これらの工業団地が抱える共通の課題です。
「ゴミ問題解決と水素の地産地消と同時にできることに興味も持ちました。インドネシアの工業団地をモデルケースとして、Alchesmitの装置をアジア全体に広げていける可能性は十分にあると思います」(小尾さん)
工業団地という「点」から始まり、そこでマイナスの価値だったゴミを水素という「価値」に変える。それも、輸送のための液化という水素利用時の「隠れたコスト」をかけることなく、その場で使える形で。Alchemistが描く未来図は、環境問題と水素社会という2つの課題に対する、シンプルでありながら理に適ったアプローチです。
バンタル・グバンのゴミの山は、今日も刻一刻と大きくなり続けています。インドネシアの工業団地から始まるこの小さな実験が、東南アジアの環境問題を解決する一歩となる―。私たちは、そう信じています。
Partner @ Coral Capital