年末年始で業界関係の知人・友人らとキャッチアップする中で気づいたことがあります。あるスタートアップから別のスタートアップへ転職する人が増えている、ということです。統計的な裏付けはなく肌感覚ですが、同様に感じている方も多いのではないでしょうか?
あるスタートアップ創業者の友人が、創業1年半でチームが10人超になったということで写真を見せながらメンバーについて話をしてくれました。「この彼はもともとXにいたエンジニア、彼女はYでデザイナーをやっていた」などと説明してくれたとき、その7割程度が創業数年という別のスタートアップから移籍してきたメンバーでした。上場しているメガベンチャーや大手外資系からの転職も少しありました。
Coral Capital投資先のスタートアップ間でも、実は移籍はときどき起こっています。
単に本人の希望ということもあれば、事業進捗が想定通りに行かず、全社員を抱え続けられないことが分かった時点でCEOやCOOが移籍先を探し、それに別のスタートアップが応じるといった形で決まることもあります。
マクロで言えば、もっと大企業からスタートアップの世界へ人材が流動してこないことにはエコシステムは強く発展できないと考えていますが、それでもスタートアップ間の転職が増えること自体は良いことだと思います。転職者自身にもそうですし、受け入れ側やエコシステムにとっても良いことです。
以下に4つの理由を書いてみたいと思います。
事実上、スタートアップ「業界」への転職となる
例えば大企業からスタートアップへ転職するとき、その転職が失敗したらどうしようと考えるものだと思います。自分の実力が通用しない(マッチしない)ケース、あるいは事業立ち上げが難航したり、組織の問題で離脱するしかなくなるケースもあるでしょう。
いろいろなケースがありますが、単純化して言えば、うまく行かなかったケースであっても、別のスタートアップへの移籍は比較的容易なので、これは一種のセーフティーネットであると言えるかもしれません。
かつて、スタートアップ企業への転職や就職を「『株式会社インターネット』に就職するようなもの」と表現した日本人投資家の知人がいました。今や伝統企業もDXを叫ぶ時代ですが「ネット系ビジネス」を担ったのは新興企業でしたし、今も主流はそうです。また、スタートアップコミュニティーは2、3人を介して薄く繋がっているのも特徴です。インターネットを支えるオープンソース・コミュニティーの影響だと思いますが、仲間意識の元、あるいはCoral Familyのようなコミュニティーでは職種別に職能コミュニティーがオープンにノウハウを共有していることがあるからかもしれません。
そんなこともあって、スタートアップ企業間で転職するのは、大手グループ企業で部署間や拠点間を移籍する感覚に近くなっているのかもしれません。
「スタートアップ」はDXの専門家コミュニティー
産業史的な文脈でいえばスタートアップ業界という存在は、既存産業をDXする専門家コミュニティーとも言えるというのが、最近の私の認識です。もちろん既存大手にDXができないなどということはありませんが、トップ人材へのインセンティブ構造や社員全体に占めるデジタルビジネス構築に関わるそれぞれの専門性、そして「更地」からスタートできることなどが理由で、スタートアップのほうがスピード感があります。日本はまだ揺籃期ですが、北米・南米・アジアの動向を見ていると、デジタルによる新規ビジネスはスタートアップが担い、社会で分業していると見ることができます。
現在では巨大化したビッグテックも含めてスタートアップという仕組みが世界をDXしてきたのが過去20年です。こうした文脈に照らして言えば、大手や伝統的企業などからスタートアップへ転職するというのは、企業規模や個社の話であるよりも、DXの専門家コミュニティーのメンバーになるということです。スタートアップ間での転職が増加している現象は、このコミュニティーが本格的に立ち上がりつつある証に思えます。
何がいつ成功するか分からないので打席数が必要
創業者についても同じことが言えますが、スタートアップ社員として考えておくと良いのは、自分の能力や経験、ライフステージを考えたとき、どのタイミングで何を経験し、何回くらいチャレンジングな場に飛び込むか、ということです。1度目に出塁できない可能性も高いわけですが、チャレンジの1サイクルを2〜5年と考えれば、2度、3度と異なるスタートアップ企業で挑戦する心構えをしておくのは合理的だと思います。
創業者の方々は成功する確信と同時に、必ず成功させる覚悟を持ってスタートしています。投資家である私たちも確信を持って投資をしています。かといって現実に全てのスタートアップが成功するわけではありません。だからこそVCは1ファンドあたり数十社というポートフォリオを組むわけです。
これを個人に当てはめると5〜10年といった時間軸に対して数社のポートフォリオを組んでいるのがスタートアップ間の転職なのではないかと考えることもできます。タイミングに恵まれ、成長軌道に乗って、売上が伸び、数年で上場するような場にいることができれば、経験として大きな資産になるでしょうし、経済的にも報われる可能性があるでしょう。そのとき成長軌道に乗せる一助となったと思えれば、自信にもつながるはずです。
今さら指摘することでもありませんが、人生100年時代には新しいキャリアの歩み方が求められています。複数のスタートアップを経験するのが、新しいキャリア構築に適している可能性が高いと思うのは私だけではないと思います。
スタートアップ向けの人材はスタートアップが良い
スタートアップに合った適性の人と、そうではない人がいます。特に大きいのは「新しい経験への開放性」と「創造性」の2つだと思います。この2つは個人のパーソナリティー研究で客観的指標として数値化され、長年議論されている評価軸です。
人間には、新しいものに興味を示し、何でもやってみようというタイプの人と、自分がよく知らないことを恐れたり、できるだけ避けようと嫌う人がいます。これは認知能力(いわゆる地頭)とは異なる独立した次元の話です。開放的か否かは、どちらが優れているということもありません。ただ、それぞれが向く職業や職場というのはあります。
スタートアップは、明らかに開放性の高い人が向きます。やったことがないこと、決まってないことだらけだからです。成功したスタートアップのTwillioが「フクロウを描け」という変わったバリューステートメントを掲げて、「取扱説明書はありません。ルールを決めるのは自分です。自分で考えて、自分のペースで反復します」としているのが象徴しています。フクロウの絵の描き方など、CEOも含めて誰も知らないのです。でも、自分でやり方を調べてやる。そんな感じの仕事だらけなのがスタートアップです。
役割も固定しておらず、自分で役割を作ったり、定義を変えたりします。良く「混沌を楽しめる人が向く」と言いますが、それは個々人に備わった適性の話です。逆に、そうした人材が、時間とともに無理・矛盾が蓄積した組織やオペレーションを年単位で変えていく調整や折衝をするのは苦痛ではないでしょうか。まして変化の少ない業務を何年も続けるのは無理でしょう。開放性の高い個人ほど起業する確率が高いという研究などがありますが、これは起業家だけでなく、初期スタートアップにジョインするメンバーでも傾向としては同じではないでしょうか。
起業家には小説を書いたり、音楽を創作する人が少なくありません。事業やアプリを作ることには、楽器を奏でること、文章を書くこと、絵を描くこと、YouTube動画を作ることなどにも通じる個人の表現欲や創造性の発露があると思います。個人の創造性の研究は20〜30年の蓄積があり、創造性に関わる個人の特性は全人口に対して極端に偏って分布していることが知られています。ほとんどの人は小説を書いたこともアプリづくりをしたこともありません。楽器を学んで作曲することも、絵を何百枚も描いたことも、動画を編集して公開することもありません。「誰しも創造性を秘めている」というクリシェは現実に反しているのです。
創造性が一部の人たちに与えられた「ギフト」のように思うのは一面的で、実際には生まれ持った「呪い」であるケースも少なくありません。飛び抜けた才能や時代・環境に恵まれないと、いわゆる「売れないミュージシャン(作家、YouTuber、俳優……)」などになるからです。個人の創造性はマネタイズが困難なのです。しかも傍目には、次々と新しいことをやる割に飽きやすい「面倒な人たち」に見えるものです。創造性の呪いを持った人たちは、気づけば何か役に立たないものを何時間もかけて作ったりする一方で、経費精算のような通常業務ができなかったりもします。
一方で、スタートアップは新しいものを生み出す場です。それは現場の日々の業務も同じです。決まったやり方はないので、生み出すことが求められます。なので、スタートアップは個人の創造性をマネタイズしやすい場だと言えるのではないでしょうか。ソフトウェア・エンジニアはもともと創造的な職業ですが、その中でもアーキテクチャから作りたいとか、新しいフレームワークやプログラミング言語に触れてみたい、というのは、まさに創造性や開放性の高さからだと思えるのです。
そうした特性を持っていて、スタートアップでの働き方が合うと感じた人が、再び別のスタートアップへ移籍するのは自然なことだと思います。その意味でエコシステムが大きくなり、転職先の選択肢が増えているのは、とても良いことだと思います。
日本社会が向き合うべき最大の課題は高齢化かもしれませんが、産業の活性化や労働慣行のあり方に限れば、課題は「人材の流動性」と答える人が多いでしょう。事業も人材も流動性の高いスタートアップ・エコシステムが大きくなることで、日本社会全体が活気を取り戻す。そんなことを願う新年です。皆さま、遅ればせながら、あけましておめでとうございます。本年もCoral Capital並びに、Coral Insightsをよろしくお願いいたします。
Partner @ Coral Capital