本記事はTemma Abe氏による寄稿です。Abe氏は東京大学経済学部を卒業後に新卒で三菱商事に入社。2016年からのアクセンチュア勤務を経て、2019年からは米国西海岸に在住し、UC BerkeleyのMBAプログラムを経て、シリコンバレーで勤務しています。現地テック業界で流行のニュースレターやポッドキャストを数多く購読しており、そこから得られる情報やインサイトを日本語で発信する活動をされています。
企業の清算・採用抑制・レイオフ・ダウンラウンド・経営陣の売り逃げなどの話題で持ちきりになってしまっている昨今の米国テック業界ですが、これから始める連載はそんな中でも好調または攻勢を見せているスタートアップを探して紹介する試みです。
これまで私は、クリエイターエコノミー・自動運転タクシー・ARR取引プラットフォームなど、世の中で注目され巨額の資金も集まっている分野に対してクリティカルに分析する記事を多く書いてきました。しかし、ダウントレンド全盛の時代になってしまった今では、逆にポジティブにスタートアップや関連テーマについて紹介したくなった、というのが個人的なモチベーションです。
今回取り上げるのは、AI/ML(人工知能/機械学習)のプラットフォームを提供しているScale AIです。
若き天才がYCを経て起業したAI/MLプラットフォーム
- Y Combinator(YC)を経て2016年にサンフランシスコで創業。
- 300社以上が同社のサービスを導入。
- 同社のミッションは、AI開発を加速させること。MLのライフサイクル全体を管理するための、データセントリックで一気通貫のソリューションを提供することでこれを実現させる。
- 創業初期は、AI/MLのプロジェクトの一丁目一番地とも言える「データのラベリング(アノテーション)」の代行プラットフォームとして、主に自動運転系の企業が収集する画像データの処理を事業のコアとしていた。
- 現在はサービスを拡充し、データの収集⇒アノテーション⇒キュレーション⇒クリーンアップ⇒さらにそのデータを基にした機械学習モデルの構築と監視を支援するサービスも提供。
- AI/MLのゴールドラッシュ時代に様々な企業にツールとインフラを提供する、AI/ML領域におけるAWSのようなポジションを目指している。
- Scale AIを語る上で必ず前面に出てくる(出てきてしまう)のが幼少期から天才と言われ、19歳でMITを中退してScale AIを創業したAlex Wang CEOです。25歳にして、すでにビリオネアの仲間入りなど話題性のある人物です。この記事では触れませんが、興味のある方はこちらの記事などをご参照下さい。
驚異的な実績+タイミング良い資金調達
現在の環境下でスタートアップを評価する際に一番最初に来る視点は「厳しい冬になってもサバイブ出来るのか」だと思います。多くのVCが投資先に対してダウントレンドにおける指南書のようなものを出しています(Sequioa Capital, Craft Ventures, Y Combinator)。そんな中で、Scale AIはキャッシュに困る状況にはならないように見えます。
- 2020年に創業4年目にして既に$100M ARRを達成している。
- 2020年時点でブレークイーブン*を実現している(TechCrunch)。*定義は不明
- 2021年4月に$7.3Bのバリュエーションで$325Mを調達している。
- 高バリュエーションでレイターステージに積極投資していたクロスオーバーファンド(Dragoneer Investment Group, Tiger Global Management, Coatue Managementなど)が、VC投資に慎重になる前に大型の調達を出来たのはタイミングが良かった。
- 2022年1月にDoD(米国防衛省)と$250Mの調達契約を締結している。
顧客リストの顔ぶれがすごい
- 当初から注力している自動運転の領域では主要プレイヤーをほぼ押さえている(GM, Toyota, Nvidia, Zoox, Aurora, Nuro)。
- 各領域のメガスタートアップも名を連ねている(Brex, Etsy, Flexport, Instacart)。
- アメリカ政府との関係性も構築している。
- AIの最先端と言っても過言ではないOpenAIがクライアントになっている。
不況でもクリティカルな需要が残りそう
- 顧客はエンタープライズが中心であり、スタートアップをメイン顧客にしている企業に比べて、相対的に環境変化の影響は受けにくい。
- 自動運転系や決済系においては、顧客のミッションクリティカルなオペレーションを担っているので、契約を切られにくそう。
- ウクライナ戦争でも衛星映像処理が話題になっているが、AIの軍事活用ニーズは今後更に拡大する可能性がある。
- 急速に冷え込みつつある米国テック業界のジョブマーケットの中でも、AI/ML関連の人材採用ニーズは拡大しているというデータから、企業の投資意欲は引き続き強いと推測出来る。
積極的な人材採用からも好調さが読み取れる
- 2021年4月にAmazonの元No.2を特別顧問として採用(参照)。
- 2022年6月にUberの北米ライドシェア事業の責任者を引き抜いてCFOとして採用(参照)。
- 2022年も人員をほぼ倍増させる予定(関係者談)。
- 参考:明確なデータに基づくものではないが、テック業界のトップ人材(エンジニア)が働きたい会社としてPaypalやGoogle、StripeなどのポジションをScale AIが引き継いでいるという見立てもある。
競合は数多く存在するが、抜きん出ている印象
この領域に取り組もうとしている企業はScale AIに限らず数多く存在していますが、事業規模やサービスの幅の広さという点で、Scale AIは一歩抜きん出ている印象です。
例えば、スタンフォードの研究室から生まれて、アノテーションの自動化サービスを提供するSnorkel AIも有名ですが、直近のラウンドでは$1Bのバリュエーションで$135Mを調達とScale AIの5分の1以下いうレベル感です。ただし、Snorkel AIはセキュリティやプライバシーの観点から、ラベリング時に外部のコントラクターを活用しないと謳っており、金融機関や医療機関などにその点が刺さっているという差別化もあるようです。
また、Labelboxというスタートアップも良く名前が挙がります。直近のSoftbankがリードしたラウンドではSnorkel AIと同程度の$1Bのバリュエーションで$110Mを調達していますが、顧客リストを見るとScale AIのそれと比較するとネームバリューでは見劣りする印象です。Labelboxの特徴としては、ラベリング作業は請け負わず、あくまで顧客企業によるAI/MLプロジェクト(ラベリングの外部委託オペレーションを含めた)を管理するためのツールを提供するスタンスを取っているようです。
将来の展望と深掘りしたいポイント
ある程度時間をかけて今回のリサーチはしたものの、非上場企業であるため当然ながら公開情報は限定的です。それをふまえての評価ですが、財務実績・顧客リスト・採用状況などからも、順調に事業を伸ばしていると言えそうです。ダウンラウンドのリスクが大きい昨今の環境下で、生き延びるための資金調達をする必要性は小さそうです。
AI/ML領域の市場規模が順調に拡大していけば、(教師無し学習が教師あり学習にとって代わって主流になるなど業界を揺るがすような革新が無い限り)Scale AIはマーケットの多くを獲得し得るポジションを築いているように思われます。
Alex Wang CEOによれば、「AI/MLは、企業がタスクを自動化する方法として、従来のソフトウェアプログラミングに取って代わるほどの、パラダイムシフトになり得る」とのことです。
- データは新しいコードです。システムの構築、トレーニング、テストにおいて、データは非常に基本的かつ重要なものです。企業はこれまでコードから価値を生み出してきたように、データをいじれるようになる必要があるのです。(Fortuneのインタビューより)
個人的に深掘りしたい気になるポイントを挙げるとすれば、事業拡大する中での利益率の変化でしょうか。過去にブレークイーブンを達成という報道はありましたが、
- データラベリングの経験蓄積に伴い、人によるマニュアル作業ではなくアルゴリズムによる自動化の割合がどれだけ大きくなってきているのか?(=どれだけスケール出来ているか)
- Scale AIを既に使いこなしている既存顧客からの要望は、難易度がどんどん高まってくると推測されるが、コスト効率良くリテンション出来るのか?
- アーリーアダプターはAL/MLの専属チームがいるかもしれないが、エキスパティーズが薄い顧客層を獲得していく上で、効率良いオンボーディング・トレーニングが出来るか?
- まだまだ未開拓の市場が大きいものの、競合もキャッチアップする可能性がある中で、顧客獲得の短期的なスピードと長期的リターンのバランスをどう考えるか?
なお、シンセティックデータ(アルゴリズムが生み出す現実世界の統計的特性を反映した合成データ)の活用など、業界を大きく揺るがし得るテーマも出てきています。Gartnerによれば、2024年にはAI/MLの学習データの60%がシンセティックデータになるとのことです。当然ながらScale AIの事業にも少なくない影響を与え得るトピックと言えますが、彼らは既に対策を始めています。同社には、顧客からの要望を察知し、その分野のエキスパートを採用(買収)し、素早く新サービスを提供し始める仕組み・土壌が整っているようです。
Contributing Writer @ Coral Capital