もう1年ほど前のことになりますが、個人向けの遺伝子検査サービス「MyHeritage.com」を使って自分の遺伝子を調べて衝撃を受けました。MyHeritageは民族的ルーツを個々人の遺伝子情報から調べてくれるサービスです。私は自分のことを「100%日本人」だと思っていたのですが、そうではなかったのです。
遺伝子検査といえば、遺伝子疾患や生活習慣病の罹患しやすさ、肥満遺伝子の有無、パーソナリティー分類の5因子の傾向、アルコールやカフェインの感受性、アレルギー、祖先など民族的ルーツを診断できるものとご存じの方も多いと思います。私の興味は、自分の遺伝子が示すパーソナリティーの傾向でした。逆に、最も関心がなかったのは民族的ルーツです。なぜなら「100%日本人」以外に答えはないと思っていたからです。
私が受けた検査は59ドル。以下のようなキットを使って頬の内側(口腔粘膜)を綿棒でゴシゴシとやって、それを容器に入れて米国に郵送すると、数週間後に結果をブラウザで確認できるというものでした。
通知を受け取って指定URLをブラウザを開くと、妙に凝った演出と音響効果で表示されるGoogle Earthのような地球がぐるぐるっと回転して、まず日本にズームインしました。表示されたのは「日本人:96.4%」という数字でした(下の画面では「Japanese」が「日本語」と誤訳されているようです)。
明るいアジア風の音楽が流れる中、「なぜ100%日本人じゃないんだろうか? 何かのエラー?」と3秒ほど狐につままれたように画面を見ていると、再び地球がクルクルとまわり出して、今度は中央アメリカあたりを指し示して「中央アメリカ・アンデス:3.6%」と出てきたのです。えっ……、意味が分からない……! 私は遺伝的には96.4%日本人で、残りの3.6%は中央アメリカ・アンデス系だというのです(私の顔に興味がある方、写真はここです)。
さらに詳しく見ると、私の5世代前の曽々々祖父母の誰かに中央アメリカ出身の人物がいたらしいということでした。1世代を30年とすると約150年前です。私の母方は横浜の出身なので、もしやペリー提督と一緒に浦賀に来航した誰かなのかではないか、そしてその人物は横浜の外国人墓地に眠っている可能性もあるのではないか―、そんな想像が脳裏をよぎりました。世代ごとに数字が半分になっていくので、私の曽祖父母の誰かはクオーター(4分の1)だったということになります。もしそうなら、なぜ私に話が伝わっていないのかは謎ですが、モノクロ写真でみた曾祖母は確かに少しアンデス系の顔だった気がしてくるから変なものです。
検査後にCoral Capitalの出資先でC向けに遺伝子関連情報サービスを提供する米Genomelink創業者の高野誠大CEOに聞いて知ったのですが、日本人全体でみて私のように直近でたどれる範囲で異なる民族の遺伝子を受け継いでいる人は多くないそうです。いまや日本で生まれる新生児の3%強で両親のいずれかが外国籍という時代ですが、そうした傾向はごく最近のこと。
「日本人」の源流は、それほどハッキリはしていないものの、約2万年に及ぶ日本列島の地質学的な歴史の中で大陸や南北から日本列島に流入して定住するようになった遺伝的に異なる複数のグループ(ハプログループと呼ばれ、日本には大まかに8種類ほど存在するそう)が混交して生まれた民族だそうです。私もその末裔の1人で、遺伝子検査をしても「日本人」としか言いようがないのだろうと予想していたため、わずか数世代前の自分の祖先に外国人がいたという結果に本当に驚きました。
さらに驚いたのは、4〜6世代前の祖先が共通する遠いいとこが世界中に15人ほど見つかって、MyHeritageのサイトで確認することができたことです。ブラジル在住の日本人クオーターの男性の顔は、どう見ても私の親類で間違いないと親近感を覚える顔立ち。思わずその場でメールを送ったほどでした。
欧米で流行した「自分のルーツ探し」としての遺伝子検査
さて、民族的な均質性もあって、日本ではコンシューマーが直接自分でネットで申し込んで受けられる遺伝子検査、いわゆる「DTC遺伝子検査」(DTCは日本語でいうD2C)は、あまり市場としては立ち上がっていないようです。富士経済が2019年に出したレポートでは2017年に41億円、2022年に50億円の予測となっていました。一方、英FutureWiseはDTC遺伝子検査の世界市場は今後、年率23.1%で伸び続け、2027年末に1兆円規模になると予想しています。
欧米では民族的な混交が連綿と続いているため、自分の民族的出自を知りたいと思う人が多くいます。民族的多様性がある都市で、アメリカ人が友人に「What nationality are you?」という質問をするとき、聞いてるのは当然アメリカ人かどうかではなく、アイルランドが25%、インドが25%、中国が12%、セネガルが25%、などという割合の話です。
検査キットは1回が数千円から数万円。個人で手軽に受けられるDTC遺伝子検査は2017年頃から人気となり、先駆者で大手の23andMeやancestryDNAを使って、すでに5,000万人以上が検査を受けたと言われています。私が利用したMyHeritageも、名称にある「heritage:先祖伝来の」から分かるように家系図も示してくれます。欧米の利用者の多くは自分の先祖がどこから来て、どういう民族的系統であるのかを知るのを第一の目的として市場が拡大しています。
私自身は、他地域と孤絶して見える日本列島と言えども常に少しずつ外と接続はしてきたのだなという事実を改めて面白く思うと同時に、自分がいわゆる「100%日本人」ではないかもしれない、と知ったのは新鮮で、価値観が45度くらい揺らぐ楽しい経験でした。
念のために付け加えると、人種や民族という概念を過度に持ち出すことに個人的には反対です。人種を科学的に定義する意味があるのかどうかは今でも人類学者や社会学者の間で議論がありますし、不必要に人種や民族の話を持ち出すことが社会の分断を招き、異民族を包摂してきたはずの文明社会を後退させる心理効果を生むものとして有害に思えるからです。どんな属性であれ、集団にラベルを貼った瞬間から利害に過敏になって敵対するのが人間の性ではないでしょうか。
アメリカで白人至上主義を掲げる人種差別グループのメンバーの大半が、実は純粋なヨーロッパ系ではなく数%〜数十%ほどアフリカ系の遺伝子を引き継いでいることが分かってショックを受け、遺伝子検査の信憑性を貶めるような議論になっていたりもします。「純血」に意味がないと考え直すキッカケになれば良いですが、なかなか難しい問題です。
がんゲノム医療や予防医療の分野で注目
自分の民族的ルーツを知りたいというニーズで1兆円もの市場が生まれるわけではありません。DTC遺伝子検査は、ヘルスケアや医療分野で重要な意味を持ちつつあります。
例えば、「がんゲノム医療」が注目されています。がんに関連する遺伝子を検査し、診断や効果が高そうな抗がん剤の選択の補助に用いるといったことができるようになってきています。遺伝子の種類によって効果のある治療法が異なるため、個別化した効果の高い医療が提供できるわけです。あるいは、特定の遺伝子変異によるがんが特定できれば、がん細胞だけを攻撃する分子標的薬が使えます。こうした遺伝子検査や治療の一部、例えば遺伝子パネル検査は2019年に日本でも保険適用となっています。また、生活習慣病の代名詞である糖尿病や虚血性心疾患も、実際のところ生活習慣だけで発症率が決まってるわけではなく遺伝要因が大きいことが知られていて、研究が進んでいます。特に単一の遺伝子変異が疾患につながる遺伝病ではなく、きわめて多数の遺伝子の組み合わせによって特定疾患の発症リスクなどを推定できる「遺伝統計学」は、まだ新しい研究分野。研究者が分析に使うソフトウェアも数多く登場していますが、それも、ここ10〜20年の話です。遺伝子検査による発症予測の精度が上がれば発症前に介入する余地もありそうですし、個々人のリスクに応じた検査頻度の調整なども可能でしょう。これは年齢やBMIといった変動するリスク要因と違って生涯を通して変わらないものです。若いうちから疾患リスクに自覚的になることでライフスタイルに気遣うような行動変容ものぞめるかもしれません。
ただ、遺伝子検査を予防・治療に活かすというのは、まだ始まったばかりで多くの議論が必要でしょう。遺伝子検査によって自身の乳がん発症の確率が高いと判明したことから2013年に両乳房切除を決断した女優アンジェリーナ・ジョリーの事例などは、議論を呼びました。遺伝子検査を受けた結果、高い確率で特定疾患を発症することが分かった場合、発症前に先手を打つ予防医療が可能である一方で、アルツハイマーやハンチントン舞踏病のように治療法が確立されていない遺伝病について、発症の可能性が高いと知ることは本人に大きな心理的ストレスとなり得ます。私が受けた遺伝子検査では、こうした遺伝病に関連するもので特に単一遺伝子で決まる遺伝子情報はマスクされているのか、そもそも検査対象となっていないのか、知らせないようになっていたようです。
遺伝子差別により保険適用除外や失職の憂き目に遭った人たちも出てきています。医療ガバナンス学会の2015年の記事によれば、例えば、米国政府の仕事に応募した中年男性が、遺伝子検査によって先天性脂質代謝異常である「ゴーシェ病」の保因者であることが分かったことで、発症していないにもかかわらず、雇用を拒否されたとか、出生後早期に治療しないと知能障害や発達障害を引き起こす「フェニルケトン尿症」の治療を受けて正常に成長した女性が、高リスク患者と判断されて健康保険の加入を拒否された事例などです。そんなことから、米国では2008年には遺伝子情報差別禁止法(GINA)が施行。日本でも2019年3月に一般社団法人遺伝情報取扱協会(AGI)が設立されるなど、プライバシー面での議論と法整備が各国で進みつつあります。
パクチーの好き嫌いも遺伝子で決まっている
ヒトの遺伝子は二重らせん構造のDNAの中に約2万2000個ほど存在します。その情報はA(アデニン)、G(グアニン)、C(シトシン)、T(チミン)という4種の塩基からなるA-T、G-Cの塩基対としてエンコードされています。私が利用したMyHeritageで自分の遺伝子情報をテキストファイルとしてダウンロードすると、わずか20MBのほどでした。圧縮すると5.8MBと、iPhoneで撮影した写真1枚程度の大きさでした。以下のようなテキスト情報です。
遺伝子情報のフォーマットは標準的に使われているものがあり、このファイルを大学や研究機関に自分でアップロードすることで研究に貢献することもできます。自分や家族の病歴などと合わせて回答することで、匿名化された遺伝子情報と照合して研究に活用できます。むしろ、2021年6月にSPAC上場した23andMeは同意を得たユーザー1,000万人の遺伝子情報を活用し、医薬品メーカーとの創薬事業を立ち上げて年間数百億円と言われる大きな売上を作っています。
面白いのはヒトに限らず生物が持つ遺伝子の塩基配列の中には異なる複数の「型」が存在する場所があることです。遺伝子はタンパク質の設計図ですから、その大部分は人類共通です(というか、バナナとヒトですら約50%は遺伝子が同じ)。でも、個々人で違っているところがあるのです。ある塩基1つについて集団内で変異が認められ、そのバリエーションが集団内に1%以上存在するものは「一塩基多型」(SNP:Single Nucleotide Polymorphism、発音はスニップ)と呼ばれます。
SNPにはアルツハイマーや糖尿病に関連するものもありますが、疾患や生命に関わるものではない、個々人の嗜好やパーソナリティー、ライフスタイルに関するものも、たくさん相関が見つかっています。
例えば3番染色体にある「rs53576」というSNPはオキシトシン受容体に関係していて、そのヒトの社会行動のあり方に影響していることが知られています。オキシトシンは脳内では神経伝達物質としての役割があり、人間が誰かを仲間だと認識して信頼したり、関係性を構築するときに役割を果たしていると言われています。オキシトシンの受容体感度によって個々人の性格が違うというのです。具体的にはアメリカ人では「AA」「AG」「GG」の3つのバリエーションが存在していて、このうちGGの遺伝子型を持つヒトは楽観的で共感性やストレス耐性が高いそうです。
同様に、外向的か内向的か、ストレス耐性が強いか、新しい経験に対してオープンか、ハゲやすいか、ギャンブルにハマりやすいか、リスクを好むか、パクチーの匂いを強烈に嫌うか、船酔いしやすいか、恋愛傾向は短期型か長期型か、誰かに拒絶されたときに過剰に反応するタイプか、抑うつ傾向があるのか楽観的か、太りやすいか、アルコール渇望度は高いか、運動後すぐに心拍数が上がるか、甘いものが好きか、コーヒーを好むタイプかといったことについて、遺伝子型との相関を調べて報告する論文が次々と発表されています。
アジア料理で使われるパクチー(香菜)ほど好き嫌いが明確に分かれる食材は珍しいですが、その理由として遺伝子の違いが指摘されています。特定の嗅覚受容体遺伝子に関係する複数の遺伝子があり、人口の何割かの人はパクチーの香りを石鹸の匂いのようにに感じていて、人間が食べるべき食材とは全く感じていないそうです。単に文化や幼少時の体験が紐付いて嫌っているのではなく、味や香りの感じ方が全く違うというのです。ブロッコリーも同様で、嫌いな人たちは遺伝的に異なる味覚を持っているという研究報告があります。
自分の遺伝子情報を使って自分で論文を検索できる
SNPediaは、そうした論文の知見を集めて検索可能とした「遺伝子のWikipedia」です。
かつて大酒飲みだった私は7年前に飲酒をゼロにすると決めてから、もう一生飲まないと誓っているのですが、自分の遺伝子情報を手元のパソコンで検索してちょっと納得しました。アルコール渇望の度合いが有意に高いrs1799971(AG)の遺伝子型を持っていることが分かったのです。これはアヘン受容体に関係しているらしく、ヘロインやモルヒネを消費する可能性が他の人よりも高く、中国人を対象にしたヘロイン中毒者に占めるG型の割合は40%と、非ヘロイン中毒者の29%よりも高いという報告もあるようです。
アルコール渇望傾向と同様に面白いなと思ったのが、伝書鳩レースの「エース鳩」たちの研究論文です。ドーパミン受容体のDRD4-a/bに関連する遺伝子座でTT型やTC型の遺伝子型をもつ鳩たちのレース成績が良いという話です。人間のアスリートのパフォーマンスも身体能力ばかりでなく脳内の報酬系によって影響を受けるとする研究が話題になっていますが、たった1つの塩基の違いが、そのような違いを生んでいるとしたら、これは本当に驚きです。ヒトの場合にもDRD4は神経症やADHD、新規性探求(好奇心)などと関係しているという議論が続いています。スタートアップ業界に身を置く人であれば、起業家の適性は遺伝的なものがあるのではないかと考えるのではないでしょうか?
単一の遺伝子型ではなく、複数の遺伝子型の組み合わせと、例えば恋愛タイプの分類も研究されています。なぜ異なる恋愛パターン(生物学的に言えば交配戦略)があるかには進化心理学的な仮説もあって非常に興味深いところです。こうした話を1つ1つ書き出すとキリがなく、山のように興味深い論文が出てきています。
遺伝子検査によるパーソナリティー分析レポートが「科学の仮面をかぶった占い」になってしまうと、血液型占いが言われのない少数者差別を許容したり、自己暗示による思い込みを助長してしまったのと同様にマイナス面もあるかもしれません。しかし、組織のダイナミクスに果たす構成メンバーのパーソナリティー研究などは産業的価値も大きいですし、人間関係に悩む人々にとって学びが大きいのではないかと思います。
「楽しく、自分を知る」が入り口の遺伝子情報サービス
SNPediaを使って自分で遺伝子を調べることもできますが、1つ1つ調べるのは手間。もっと手軽に自分の特性を知る自己分析や一種のエンタメとして楽しむという新しいサービスが登場しています。すでに紹介したCoral出資先でY Combinatorに参加中(s21)のGenomelinkは、まさにこの領域を切り開いているスタートアップです。
Genomelinkに対して、MyHeritageや23andMe、AncestryDNAなどの遺伝子検査で取得したデータをアップロードすることで栄養、性格、知性、身体特性の5ジャンル250種以上のポイントについて分かりやすく表示して教えてくれます。また、個別化された食事栄養やスキンケアのアドバイス、身体能力の分析とアドバイスなどのレポートを有償販売しているほか、毎日のように発見される新たな遺伝子に関する科学知見について、登録済みのユーザーの遺伝子情報から何が言えるのかが分かるかを知らせるニュースレターを届けてくれる月額14ドルのサブスクサービスを展開。私のお気に入りは、「ビッグファイブ」という心理学フレームワークに基づく遺伝学研究を活用したBig 5 Career Type Reportです。
この8月末には「DNA App Store」としてさらなる進化を遂げ、Genomelinkは、誰もがDNAデータを持つ時代のパーソナルDNAクラウドになりつつあります。
自分の民族的ルーツを安価に知れるという理由で流行したDTC遺伝子検査ですが、個々人から見れば1度結果を知ってしまえば、それ以上でも以下でもないもの。遺伝子情報の医療・製薬・予防医療面での価値の大きさは計り知れないものである一方、常にプライバシー面での懸念・批判もあります。その意味では、Genomelinkは消費者に新たな価値を届けるPMFを達成し、またC向け遺伝子情報サービスが新たな局面を迎えようとしているようです。
Partner @ Coral Capital